『富坂だより』 1号
1998年7月

特集: 韓国・中国・日本の教会の架け橋として

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フーチー「弟子を呼ぶイエス」


巻頭言
「東アジア教会との新しい関係を深めるために ―富坂奨学金へのご協力を訴える―」
村上 伸


 富坂キリスト教センターは、1995年に韓国の朴ソンジュンさんを協力主事にお迎えした時から、事実上新しい時代に入ったと思います。それまでも、「韓国神学研究所」との密接な関係は続いていましたが、そこから招いた一人の研究者とその家族が、ニ年の間文字通り、歩みを共にして下さったことは、センターにとって初めての経験だったからです。この間、朴さんが1996年の秋から『福音と世界』誌に連載し「日本のキリスト者を訪ねて」というインタビュー記事は、単に内容が感動的であったというだけでなく、日韓キリスト者のあるべき関係を指し示すものとして、圧倒的な支持を受けました。この豊かな経験が私たちに勇気を与えてくれて、今年の春からは中国の薜恩峰さんをこ家族ともども富坂にお迎えすることにつながったのです。そして「富坂奨学金」の構想は、これらの経験から生まれました。

もともと私たちのセンターは、(キリスト教社会倫理の諸問題を学際的に研究する)という目標を持っていますが、このような研究は、世界、特にアジア諸教会との対話を深める中で行われなけれは意味はないのです。そのためには、日本の研究者を発掘するとともに、アジアのすぐれた人材にも、チャンスを提供しなけれはなりません。「富坂奨学金」が創設されたのはこのためです。

差し当たりは、いま挙げた朴さん(現在アメリカで研究中)と薜さん(中国キリスト教史に関する博士論文執事中)のために使うことになっていますが、もちろん、この二人だけでなく、今後、多くの可能性を私たちは思い描いています。日本の経済はたしかに冷え込んでいます。そのためもあって、私たちはお金を「出すこと」に関して臆病になっているところがあります。しかし、こういう時こそ、将来のために「投資する」勇気が求められるのではないでしょうか。21世紀に向かう教会にとって、人材を育て、将来のあるべき関係の基礎を作ることは不可欠の使命だと思います。

どうぞ、センターの決断をご理解くださり、ご協力くださいますようにお願いいたします。

(むらかみ ひろし・TCC 理事長)




朴聖ジュン氏の米国留学の支援を願って
山梨英和女学院短大学長 木田献一

朴聖ジュン(パクソンジュン)氏にはじめてお目にかかったのは、多分1989年、第2回日韓神学協議会に出席するため、韓国に出張したときだと思う。当時、朴氏は韓国神学研究所学術部長として、その協議会の討論を稔りあるものとするよう、すべてのグループを順にまわって議論に参加しておられた。この人は、実践的にも理論的にも韓国の教会と神学の運動の中で、真に指導的役割を担うべき人物であることを強く印象づけられたのである。

しかし、韓国に一定の民主化が達成されると、社会にも教会にも反動がやってきた。60年代末から80年代前半にかけて独裁の時代には、若い人々は自由のためにはいかなる犠牲もいとわぬ気風が溢れていた。朴氏もそのような人物の一人として、1968年7月から、実に13年半服役するという苦難を甘受されたのである。その間、朴氏は獄中で、日本語、中国語、英語などをマスターするだけでなく、当時展開されていた「民衆神学」の息吹を受けて、その本質を, 文字通り全存在をかけて学び取られたと言ってよいであろう。そのことは,朴氏が来日されて, 極めて短い間に、『民衆神学の成立と展開』(1997年、新教出版社)という大著をまとめられたことによって、充分証明されていると言えよう。

2年余りの日本滞在の間に、朴氏は日本の教会を真に担っている人々を訪ねて日本における「民衆神学」の可能性を引き出し、東アジア諸国における教会の連帯を生み出す端緒を、われわれに示して下さった。この端緒を、アメリカにおける研修を通して、さらにグローバルな教会の新しい連帯につなげようというのが、彼の米国留学の意図である。

アメリカの教会も、今の世界の民衆運動と連帯するために、自己変革の産みの苦しみをしている。あと一年、彼はアメリカの底辺に生きる人々を訪ね、ラテン・アメリカやアフリカにまで、民衆連帯の環を広げる試みを続け、再び東アジア諸国の教会の連帯と革新の課題に取り組もうとしている。この一年の研修活動のために、多くの人々の支援をお願いしたい。この企図には、彼を知るすべての人々が心から賛同して下さるものと思う。反動と停滞の時代を越えて共に21世紀の教会の歩みを切り開くために、連帯の意志を表していただきたいと願うものである。

(きだけんいち)




日中教会の架け橋として
聖公会司祭 竹内謙太郎

ボーダーレス時代が到来したといわれてからすでに一世代を経ました。状況が変化しても、制度や組織が変更されても、あるいは考え方が変わっても、実際に状況を動かすのは人間であるという事実は厳しい現実でしょう。国家間や民族間の交流がますます盛んになってもこの現実は変わりません。人の意識と活動がすべての源泉であることは疑うことはできません。

富坂キリスト教センターはこのたび薜恩蜂牧師を富坂奨学金の奨学生として迎えました。薜牧師は敬虔なキリスト者であると同時に、人間的にも信頼できる誠実な人柄を持った有為な人物です。薜牧師は同志社大学神学部に学び、中国留学生として非常な苦労を重ねて来られ、学問的にも優れた能力を発揮しておられるのは衆目の一致して認めるところであります。薜牧師は現在中国キリスト教史の研究で学位取得に励んでおられます。

富坂キリスト教センターでの同牧師の責任は、センターが計画している中国キリスト教史料の収集と翻訳出版プロジェクトの担当であります。日本の教会は、これまで中国のキリスト教会の動向に十分な研究史料を持つことがありませんでした。未知の領域が多いのに驚くとともに、私たちの怠慢を深く感じております。日本の教会が侵した過去の罪責を事実関係において確認し、そして信仰を同じくする多くの兄弟姉妹が中国の激変する状況にあって、過去から現在に至るまでたどって来られた軌跡を明らかにすることは、現在はもとより、将来に渡って両国キリスト教会の交わりに必要不可欠な問題であろうと確信しております。薜牧師はこのような作業を進めていくためには、かけがえのない人材です。恐らく彼の存在を欠いては、このプロジェクトは一歩も進めることはできないでしょう。薜牧師が今後この分野で多大な貢献をされることは私たちの心からの願いであり、確信でもあります。皆様の強力なご援助とご協力を心からお願いする次第です。

(たけうちけんたろう・聖公会東京教区聖アンデレ主教座聖堂司祭
現代中国基督教史資料研究会座長)




研究会活動報告 「キリスト教と天皇制W研究会」
大阪商業大学助教授 片野真佐子

1896年、陸軍第十一師団が置かれてより、善通寺は軍都として発展し、跡地の大半は陸上自衛隊駐屯地となっている。これと向かい合うように、四国学院大学はしっかりとその存在を誇示している。

キリスト教と天皇制W研究会、正式には大正デモクラシー・天皇制・キリスト教研究会は、発足当初、関西以西組と関東組がほぼ半々の構成であったことから、関東と関西とで交互に研究会をもった。そのなかで、一度、メンバーの佐野道夫さんの勤務する四国学院大学を会場にしてはどうかという声が上がり、昨年11 月に実行する運びとなった。だが、いくつか問題もあった。一つは費用の問題である。そこで、各人が各人の立場で工夫してみようということになった。公開研究会というかたちにして、会場の経費を浮かせようというのもその一案である。そのために、右記のプログラムを案出した。けれど、日時の問題などから、結局公開研究会の体をなさず、いつものメンバーが参加したに止まったのは残念であった。

しかし、いくつかの収穫もあった。第一には、もちろん、合宿効果である。佐野さんの大奮闘のおかげで、大学の施設は必要なだけ十分に活用させていただいた。会議室から研究室、そして構内の宿舎まで、二日間の滞在中、わたしたちは常に議論のなかにいた。今後の共同研究の推進に向けて、この経験はチームワークの形成に絶大な威力を発揮すると思う。第二に、善通寺駅に降り立って以降、メンバーの研究と生活の場を散策した。デスクワークが中心のわたしたちにはまことに貴重な体験である。

休憩の合間には、清泉礼拝堂をはじめ学内を見学し、被差別・少数者委員会(通称マイノリティ委員会)の主催するビクター・マトムさんの写真展にも立ち寄った。マトムさんは南アフリカの写真家で、スラムの子供たちの日常風景を撮影し、写真の意味や楽しさを教え、また子供たち自身に写真を撮らせて、シフィキデと呼ぶ作品を仕上げさせている。その素朴な出来具合がわたしたちにつかの間の一体感をもたらしてくれたようである。折りあらば、今後も、さまざまな試みを重ねてみたい。

    期日:1997年11月23日-24日 会場:四国学院大学
    23日(日)
    13:00-15:00 第一部 賀川豊彦研究の諸相  
    倉橋克人 「賀川豊彦と大正デモクラシー」
    15:30-17:30 第二部 大正デモクラシーとキリスト教ー時代認識と天皇制意識との関連ー  
    土肥昭夫 「キリスト教と天皇制ー大正デモクラシー状況のなかでー」
    24日(月)
    10:00-12:00 第三部 天皇制とキリスト教研究の回顧と展望  
    発題 青野正明・伊藤晃
(かたのまさこ)



研究会活動報告 「自然・科学技術・人間」研究会

日本基督教会仙台黒松教会 牧師 上山修平

温暖化、ダイオキシン、環境ホルモンなど、自然科学に関する問題が噴出してきている世の中です。「20世紀が作り出したもので、後世に残るものはほとんどない」と言った人がいますが、残らないならまだしも、残すべきではないものを残すことがほぼはっきりして来た今日この頃です。さて、私たちの研究会はそんな中にあって、科学・化学・物理学・生物学・神学に関係する者たちが集い、特に、キリスト教の責任・役割なども視野に入れながら、93年以来、話し合いの時を持ってきました。現在、その成果として、メンバー各人の論文を集めたものを第二部とし、第一部に各論文の関係性を述べた総論を加えた書物を出版する準備を進めています。見出しだけですが、内容を紹介しますと、

《現代科学技術とキリスト教倫理》

    第一部 総論と各論文の関係
    第二部
    1 科学とキリスト教 −大洪水を予想する父と娘の対話−(安田治夫)
    2 現代宗教と科学技術(古谷圭一)
    3 遺伝子プログラムと神による創造(谷村禎一)
    4 危機管理と科学者(家田貴子)
    5 物理学と宗教的次元(今井尚生)
    6 同性愛とキリスト教−現代科学との関わりを踏まえて−(上山修平)
    7 被造物の理解−神学と自然科学との対話を目指して−(細川道広)
表題だけ見ても、現代科学が社会にもたらしている様々な問題について論じられていることがお分かりいただけるかと思います(中には、読んでみないと分からないと思われるだろうな、というものもありますが)。

今回は、キリスト教信仰を持つ方たちに集まっていただきました。そういう意味で、「この問題について、キリスト教信仰ではどのように考えるのか」という点は、前回の論文集「エコロジーとキリスト教」より、より明確に示されているかと思います。各論文の書き出しに聖書からの節を挙げていただき、論文内容と聖書との関わりが示されています。また、文章は「です、ます」調で統一していますので、読みやすいかと思います。大学の教養科目の授業などで若い方たちにも読んでもらい、一緒に考えるのに用いられたら、というのがメンバー全員の願いです。 〔ここで紹介されている計画の本は『科学技術とキリスト教』として出版されました〕

(うえやましゅうへい)




安炳茂(アンビョンム)先生1周年記念追悼式の挨拶
「カスミアッパー(胸が痛い)」 
鈴木正三

「カスミアッパー」、胸が痛む、この韓国語は昨年行われた安炳茂先生の葬儀の時、富坂キリスト教センター理事長村上伸牧師が記憶に留めた韓国語でした。村上牧師が意味を開いたら、胸が痛む、という意味であったということで、この言葉を日本に持ち帰られたのでした。 この言葉が1996年12月11日に富坂キリスト教センターで行われた安先生追悼式の席上で紹介され、荒井献教授が早速このカスミアッパーという言葉の聖書学的意味を解説してくださいました。まことに安先生の追悼会らしい会でした。 

安先生を思い出します時、このカスミアッパーという言葉は安先生の幼児期の間島での体験から、1970年代、1980年代の民主化闘争時代までをつらぬく、民衆への思いを代表している言葉だと思います。それは南だけでなく、北の民衆も視野の中にありました。 韓国神学研究所とわたしたち富坂キリスト教センターとの第一期研究交流は1985年に始まりました。 最初は民衆神学研究会を警抜キリスト教センターの中に作り、相互に3回にわたって民衆神学協謎会を行い、その成果を1990年に『民衆が時代を拓く』という本にして出版しました。次に1991年8月7日に安先生を訪問した折に、何を研究交流のテーマにすべきかを相談しました。その時初めて安先生は北朝鮮との直接対話を話題にし、交流すべき北の学者の名前まで上げられました。

それから池明観教授が話を大きくしてしまいまして、韓国、北朝鮮、ロシア、中国、日本と5ヵ国の東アジア連帯のための国際学術討論会という企画となりました。そして研究交流の第二期プロジェクトとして、1年おきに東京、上海、韓国の天安と討論会を重ねてきました。これは大変な計画でしたが、上海会議で初めて北朝鱗から5名の代表が出てきて下さいまして、車椅子に乗って韓国から参加された安先生始め10名の代表団と劇的な出会いを果たすことが出来ました。ところが1996年暮の天安での最後の討論会では、ご存知のごとく、日本側参加メンバーの1人が、女子挺身隊問題に対して日本政府の立場を主張して、討論会が紛糾しました。私はもうこれでこの研究交流も終わりだと思いました。ところが安先生は再び私を招いて下さいまして、第三期の研究交流のテーマとして「文化」を取り上げたいと言われたのであります。残念ながらそのテ一マについて具体的に安先生と相談する前に、安先生は天国に先立たれました。

しかし、この「文化」というテーマを安先生の遺言として受け取らなければならないと考えています。民衆神学の目的のひとつである民族統一のために、この文化というテーマを媒介に、何とか次のステップを踏みたいと考えるのです。 昨年暮れから北朝鮮の食料危機と子供たちの餓死のニュースが伝えられるようになりました。それも時がたつごとにひどさを増してきました。

アンパクサニム、オルマナ、カスミアッパスルカヨ。(もし安先生が生きておられたらどんなに胸が痛んだことでしょうか。)まだまだ小さなものですが、カスミアッパーは私たち日本のキリスト者の言葉にもなりつつあります。みなさまの北への思いの後について、安炳茂先生の後に従って、わたしたちもさらに一緒に歩ませていただけたらと思っております(1997年10月20日韓国・香隣教会にて)。

(すずきしょうぞう・TCC総主事)



連載・アメリカ報告(1)

 「私のアメリカ生活10ヶ月」 

朴 聖ジュン

昨年(1997年)8月7日、ニュージャージー州ニューアーク空港において、私は生涯で初めてアメリカの地を踏みました。吉松純牧師の牧師館で、アメリカでの第一夜を過ごした朝、窓辺へ行き、静かに外を眺めてみました。広々と、うっそうとした森の中に絵の様に美しい家々がぽつりぽつりと散らばっている童話の中のような風景が視野に飛び込んできました。「まあ、なんと豊かに暮らしているんだろう!」と、思わず感嘆の声を上げてしまいました。次の瞬間、「しかし、ここは元々はインデアンの人々の地だったんじゃないか」という思いが頭をかすめました。そして、この美しい森の中に、ゆったりと馬にまたがっている先住民、インデアンの人々の平和な姿が、浮かび上がってきました。これが私のアメリカの第一印象でした。このイメージは、すぐる9ヶ月間、アメリカの地、どこへいっても、私の脳裏から離れない一つのモティーフとなりました。

多くの人々がアメリカで生活をする時、始めの数ヶ月間は、ストレスのため、胃腸を悪くするということでしたが、私たちも例外ではありませんでした。ストレスの原因はまず経済問題でした。特に昨年11月に韓国がIMF寒波に襲われ、ウオン貨の価値が急落してからは、アメリカでお金を使うことが恐くなってしまいました。何よりも、住宅費が占める割合が余りにも大きく、苦痛の原因となりました。生活用品一つ買おうとしても、車をだし、慣れない道を探して行かねばならない負担とストレスは大変なものがありました。

しかし、何よりもストレスの最大の原因は、言葉の壁でした。英語の難しさは、時間が経つほどに重くなってくるような気がします。生活上のすべての問題を韓国語や日本語とは、論理構造が正反対である“英語”という媒介を通じて以外解決することができないという状況は、精神的な不便というものを越えて、生理的不調を引き起こし実際に病気になってしまいました。ですから、私の胃腸病は、“英語病”です。

私は昨年の9月から、今年の6月初旬まで、ユニオン神学校の客員研究員として、1年目の勉強を終え、9月初旬まで続く長い夏休みに入ります。最近“IMF事態”と表現されるアジアを初めとする世界経済の危機について、その震源地であるアメリカ、それもウォール街のあるニューヨーク、マンハッタンに位置するユニオン神学校の講義室とキャンパスで、真摯な関心や討論に接することはできず、とてもさびしく、残念な気がしました。そのような時、ある集まりでその問題に関して私の見解を披露したことがきっかけで、ユニオンの小講堂で“IMF講演”をすることになりました。最近『福音と世界』に送った文章は、ユニオンでした講演の一部を整理したものです。

昨年11月、ベンドル・ヒルという “研究と瞑想のための”クエーカーの施設(フィラデルフィア所在)で、“私の人生と民衆神学”というタイトルで講演をしたことが縁となって、9月からそこの“Resident Program”に来ないかというお誘いを受けました。これは年14500ドルの生活費を出せば、私たち3人家族に、住まいと食事の一切が提供されるので、現在の経済的困窮から抜け出すことができると喜んでいましたが、年6千ドルの医療保険加入が義務となっていることを後で知り、今決めかねており、悩んでいるところです。

明淑(注:朴氏のおつれあい)は、今年の10月に韓国へ帰る問題を前に深刻に悩んでおり、ペンドル・ヒルを選択することは、明淑の今後の進退と関わっていますので、問題はさらに複雑になっています。私たちの息子キリは、9月から7学年となりますが、背が母親より高くなり、バスケット・ボールとクラリネットを習っており、英語もなかなかうまくなりました。なによりも端息がほとんどなおったことは、アメリカから受け取った一番大きな贈り物です。私はこれからこの夏休みを利用して、日本でお世話になった先生方、友人の皆さんに、一枚一枚手紙を書く予定です。手紙一枚も出さない無礼な奴と思われたことと思いますが、どうぞ広い心でお許しください 。

(パクソンジュン・TCC協力主事/翻訳:石井智恵美)


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