『富坂だより』 4号
1999年11月

特集: ソウル・宗教と文化フォーラム
   〜ロシア・中国・韓国・日本の和解と連帯に向けて〜

【目 次】

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「宗教と文化フォーラム」 が開かれた
ソウル聖公会大聖堂


巻頭言

新たな「共」に生きる場を!

秋山 眞兄


「教育」現場を仕事にしているが、この数年で子ども文化や社会が激変したと感じている。その原因には様々な見解や分析がなされている。抽象的ではあるが、「地域」「家族」、そして「学校」の崩壊ということが最も身に迫ってくる。極端な言いかたではあるが、子どもたちは、「企業戦士」の父親と「専業」主婦の母親という、滅私奉公であれ、滅公奉私であれ、「公」と「私」しかない狭間でしか生きてこられなかった。そして学校も、また公・私という両者に引き裂かれてきたことを思わざるを得ない。

公でも私でもない、「共」の場を創造できるのかどうか、それが問われているように思う。ひととひと、女と男、せいとときようし、ひとと自然、むらのひととまちのひと、そして南のくにのひとと北のくにのひととの「共生」を目指す試みが様々になされてはいるが…。

また、米国及び超多国籍企業は経済・政治(軍事)・知識領域など、あらゆる事柄をグローバリズムという論理で世界中を支配下に置こうとしている。しかもそれにただただ追従するだけの日本国家を思うと、私たちの世代のテーゼであった「世界大で考え、地域で活動せよ」から、「地域で考え、世界大に行動せよ」に変化させることが求められているといえよう。いずれにしても、新しい枠組みや場を想像しなくてはなるまい。

富坂キリスト教センターの活動も、今までのキリスト教界の枠組みやセンターをここまで支えてきた背景をも越えて、新しい「共」の場を創造する活動へと展開できるのかどうかが問われているように思う。財政的には厳しい時期ではあるが、多くの方々の物心両面からの支援と、各プログラムに参加して下さっている方々の知恵でもって、21世紀におけるセンターの活動を創り出して下さることを願っている。

(あきやまなおえ・ TCC財務理事)




ソウル・宗教と文化フォーラム
― ロシア・中国・韓国・日本の理解と連帯に向けて ―
1999年10月19日-20日
鈴木正三

1985年から始められた東北アジア民衆交流の第三期を4カ国のキリスト教会と有志の協力を得て、今年10月、三部編成の(追悼式、討論、歌の祭典)フォーラムとして、ソウルにて開催した。

【第一日目】

追悼式。第二次大戦前後の民衆犠牲者に向って捧げられた、様々の思いが込められた追悼礼拝は、参加者に深い感動を与えた。

アジアの文化を象徴する円で書かれた文字「和解のための懺悔、赦し、そして希望」をあしらった、81ページに渡る韓国語と日本語と英語で準備された追悼礼拝式文の小冊子、その式文を持って、追悼礼拝は静かに始まった。場所は大きな聖公会大聖堂。正面にキリストの壁画をあしらった堂内の天井から、今回のフォーラムをデザインした縦横2メートル位の垂れ幕が下がっている。礼拝は進行し、平良修牧師の説教、今回のフォーラムの企画者であった故安炳茂教授の3周忌に当たる当日、金聖在大統領民政主席補佐官(今年6月まで韓国神学研究所理事長)の追悼の言葉、と続いて日本、中国、韓国、ロシアからの様々の形の追悼が演じられた。日本からは、郷土史家の安里英子さんが沖縄式の追悼を平和への誓いの言葉に託し、みなで沖縄式の主の祈りをとなえ、喜納昌吉さんが三線を奏で、2人のエイサーが踊りで犠牲者を弔った。中国から来た王建国牧師は聖書の良きサマリヤ人の喩話を通して、中国教会が文化大革命などの苦難を経て、そこから神の聖と愛によって引き出されてきた恵みを語った。韓国からは、1人の女性舞踏家がムーダンの形式で、聖歌隊の歌をバックに、犠牲者に対するすばらしい追悼の舞踏を踊った。最後にロシアのバラショフ司祭がロシア正教会の苦難とその救いを語った。そして今なお若しむ北朝鮮の人々のことを思って献金をささげ、追悼礼拝を終えた。

【第二日目】

討論会は、底流に東北アジア民衆が苦難の中から生み出した文化に、なにか,共通の思いがあるのではないかとの連帯感を与えた。

百周年記念館で「東北アジアの平和のための宗教と文化の役割」と題する討論会が行われた。今回の企画の韓国側責任者である崔永実教授(現韓国神学研究所所長)の挨拶の後、日本からは、沖縄文化の担い手であって、なかなかの主張を持っている喜納氏が、21世紀の知恵は世界各地の先住民の声や自然と共生しているシャーマンの声を聞くことから始まるのではないかとのユニークな発題をした。韓国からは、韓国アジアキリスト教女性文化研究院院長の崔満子さんが、韓国の宗教文化の特徴であるハヌル信仰と農耕儀礼的全一的、円融的性格について論じた。ロシアの歴史哲学者ラシュコフスキー氏は、ロシア革命とその後のソ連崩壊を経験したロシア正教徒として、ソ連崩壊に至る無神論的世界の問題とその後のキリスト教の重い課題を深い感慨を込めて語り、大きな感銘を与えた。その後の討論は、時間が足りなく残念であったが、沖縄の安里さんが、沖縄の精神風土とあまりに似ている韓国の発題に、驚きの発言をしたことが印象的であった。その日の午後は日本軍に従軍慰安婦とされた女性たちのために新しく作られた挺対協(挺身隊対策協議会)の教育会館をみなで訪問した。

【第二日目の晩】

日韓歌の交流のタベ。日韓文化交流の壁となっていた日本文化の禁止が、戦後50数年を経て今年9月10日にやっと解禁され、10月20日、キリスト教百周年記念館において日韓共同の歌のタベが開催された。  

今回のフォーラムで一番準備が大変だったのは、最後の晩の「平和のための連帯のタベ」と題して行われた日韓合同の歌のタベであった。会場が暗くなると、民族服の踊り手が一人で会場から踊って舞台に上がり、舞台中央に置かれた花束を持って踊り、会場二階の5個所からつるされた5色のカラーの布の帯を、踊りながら集めかい束ね、ひとつにして舞台に高く掲げていく、そんな凝った演出で始まった。4組の韓国の歌手とかバンドが次々に出てきて演奏した。又、その後に喜納昌吉の3人のバンドと2人のエイサーの踊り手が「花」を含めた沖縄の歌を戦後初めて日本の歌として紹介した。その歌をエイサーの踊りに導かれて踊った韓国、ロシア、日本の参加者は、朴炯圭(パクヒョンギュ)牧師(前ソウル第一教会牧師)と平良修牧師がその踊りの輪の中で、手を取り合って踊っている姿の中に、21世紀の人類に希望をバトンタッチしている姿を、確かに見た思いがした。

全ての公演が終って、近くの喫茶店で慰労会をした時、今回の企画がどんなに困難であったかを、あの解禁声明を出した、政府の韓日文化交流諮問委員会の委員でもあった金聖在牧師が語った。喜納氏は、韓国で初めて歌うことが許された名誉を語った。そして、自分にもっとも合った世界観を教えている聖書をいままでバラバラに読んできたが、もっと系統的に勉強しなければならないと言ってみなを驚かせた。平良牧師の仕事がまた一層いそがしくなるだろう。

(すずきしょうぞう・TCC総主事)

関連記事 →  5カ国による「宗教と文化」フォーラム開催(『富坂だより』3号)




心地よい刺激を受けて
−第14回プログラム委員会に参加して−
日本基督教団深川教会牧師 木原 葉子

子ども文化とキリスト教」研究会担当主事という立場で、初めてプログラム委員会に参加させていただきました。研究会の中では雑用係というぐらいの気持で主事をお引き受けしましたが、プログラム委員会の参加者名簿を見てびっくり!私のような者が参加してもよいのでしょうか、とおそるおそる、先輩牧師のお誘いも断って一人こそこそと出かけました。私たちの研究会はスタートしたばかりで、まだ手探りの段階ですので、初日に簡単な報告を済ませるだけでしたが、今日の子どもたち及び教育の問題は、どなたでも何らかの形で関わりを持たれることでもあるので、ティータイムや食事の時間にも、様々な立場からの貴重なご意見やアドバイスを頂き、ありがたく思いました。

育児と家事と教会の仕事の合間を縫って参加した私には、どの研究会の報告も興味深く、教えられ、考えさせられ、心地よい刺激を受けるひとときとなりましたが、研究の成果というものは必ず活字となり、一冊の書物にまとめ上げられなければいけないのだろうか、という初歩的な疑問も持ちました。私自身、自分の時間がなかなか持てず、活字離れも甚だしいことへの言い訳になりそうですが、今までのいわば教養主義的な知のあり方そのものが問われている今日、3年、5年といった年限で書物を出す、というのとは別に、継続的な早急に成果を求めない試みがあってもよい、むしろ必要なのではないでしょうか。

二日目の午後、新進の研究者奥地拓生氏による「地球の歴史に関する個人的考察」と題する特別講演がありましたが、岩石の循環という視点から46億年の地球の歴史を考える、非常にスケールの大きなかつユニークな内容でした。実際に岩石を手に取り、スライドを見せて頂きながら、陽石のぶつかり合いによって誕生した地球が、岩石の循環によって陸地を形成し、生命を生み出していった壮大なプロセスを、わかりやすく話していただきました。また、この理論から開発された、岩石によって家畜の尿尿や排水を浄化して農業用水に再利用するBMW技術と呼ばれる循環システムも紹介され、エコロジカルに考える、また生きるとはどういうことか、非常に具体的に示されたように思います。地球の歴史、そのスケールの大きさから見れば、真に塵芥のような存在でしかない人間のあらゆる営みが相対化されるような、この世の思し煩いからしばし解き放たれるような、さわやかな一陣の風を感じながら、天城山荘を後にしました。

(きはらようこ・「こども文化とキリスト教研究会」非常勤主事)

関連記事 →  「もっと子どもたちの声を」(『富坂だより』9号)




研究会活動報告「新宗教運動」研究会
日本基督教団上下教会牧師 志村 真

今年新たにスタートをきりました「新宗教」には、機構的な特徴が2点あります。それは、この研究会が京都にありますNCC宗教研究所との合同研究会であること、そして、事柄の繊細さによって皆さんにご報告できない点があることです。従いまして、十分なレポートができませんことをお許し願いたいと思います。

研究会のコアは、宗教研究所の幸日出男所長、マルチン・レップ副所長、キリスト教センターの鈴木正三主事。その他8名の研究員でスタート。その後2名を加えて、現在総勢13名。研究員には、牧師、僧侶、神学者、仏教学者、宗教学者、精神科医、弁護士、ジャーナリスト、学生がおり、学際的かつエキュメニカルな陣容となっています。また、世代の偏りもなく調和的です。

第1回研究会は5月6日に、京都のNCC宗教研究所で開催。当初、海外から研究者を迎えて報告を受けるはずでしたが、ビザの関係で実現いたしませんで、レップ副所長が短いレポートを行いました。1回目の会合と言うと、通常、顔見せ的な、あるいは事務的な話になりがちなところですが、丁寧な自己紹介を行ったことで、研究会の今後を予見させるような実りある初回でした。

10月28日開催の第2回研究会では、新進宗教学者が調査対象の宗教教団の刊行物を詳細に分析検討した報告を行いましたが、その後の討論ではかなりホットな批判的議論が展開され、問題に対する各委員の鋭い解析力を見せ付けられました。

いよいよ2000年が近まり、世紀末的事件が懸念される昨今です。いわゆる「終末カルト」の動向が警戒されており、既に予防検束の事例も海外では出ています。そのような中で、マスコミを含めた多くの論調に対して、私はある懸念を持っています。例えば、あの破壊的団体を語る上で、「空中浮遊」と「ハルマゲドン」は外せません。それは、超能力による問題解決と巨大事象による滅亡という対極概念でした。一方、その教団に対する「破防法待望論」と「12月危機説 (幹部受刑者の出所)」が流布されていますが、これも切り札による一括解決の待望と、一事象による破滅的展開の悲観という対極的捉え方です。これら教団内部と外部の言辞は構造的に相似しており、いずれも仮想である点で共通しています。問題解決を破壊的団体との類似思考で臨むのか、それとも対照的なあり方で取り組むのか、が挑戦されています。つまり、決定的に「他者性」を欠く(真理の名における経済的搾取や人的被害など)集団に対して、責任追求や批判という接近も含めての「隣人性」を保持しつつ向かい合うあり方はないだろうかと、私は思い巡らしています。

(しむらまこと・「新宗教運動」研究会非常勤主事)

出版物 →  『あなたはどんな修行をしたのですか?』(新教出版社 2004年)



上海悠々(1) 「心から心へ」

葛谷 登

「心から心へ」という言葉はイギリスの神学者ニューマンの言葉だそうですが、彼がプロテスタントからカトリックヘの心の旅をした人だけに、この言葉は味わい深いものがあります。人と人との交わりもかくありたいと念ずるものの、なかなか思うにまかせぬのが、憾みとすべきところです。

私の友人というより恩人に李少勤君という人がいます。お祖母さんの代からのクリスチャンで私とは大学の一年先輩にあたりますが、年は六つ七つは上で偶々私が大学で中国語を第二外国語として取ったことが機縁で中国のこと、中国語のことを教えてもらいました。お互い寮に住んでいましたが、そうした機縁でもなければなかなか交わりを持つことは難しいものです。

大学四年になり、大学院に進もうと思って入試科目である中国語の受験勉強をする段になり、彼に頼んで一緒に魯迅の弟である周作人の文集を読んでもらいました。なるほど中国語の文章はこう読むのかとうなずくこと再三で、辞書には書いていない、というよりは書けないことを来る日も来る日も楽しく教えてもらいました。おまけに李君の部屋での読書会なのでお茶が出たりお菓子が出でたりで至れり尽くせりです。談論風発、時の過ぎ行くのも忘れました。

さて、周作人と言えば戦後、中国の裏切り者、「漢好」として指弾され、不遇な毎日を送ることを余儀なくされた人物です。話題がどうしても日中戦争に関わらざるを得ません。ある時私は李君に

「日本は中国に対して何をすればいいんだろうね。」 とおめでたくもたずねました。そうしたら、李君の顔は見る見る赤くなり、押しとどめ難いものを精一杯こらえているように沈黙してしまったのです。私は何が何だか、分かりませんでしたが、そこにいるのが恐くなって部屋を出ました。私は李君から中国人は怒ることはないと聞いていましたし、平生の彼の姿はまさにそれを裏書きしていましたので、彼の沈黙はまったく予期せぬものでした。彼の出身は南京だったのです。これが私の中国の原体験でした。

それから二十年後、私は初めて中国(上海)を訪れました。観光コースのお決まりの魯迅公園にも行きました。この界隈は昔、日本の租界であったところです。魯迅公園には年老いた御婦人がベンチに坐って池の中に時の流れて行くのを静かに見つめていました。偶々、私はその方と二こと三こと話をし、そこを去りました。途中、日中友好の碑が立っていました。それを見ると無性にたたきこわしてやりたくなりました。

愛なき者、神を知らず、何故なら神は愛なればなり。 ヨハネ一書四・八

その時私は大杉栄、伊藤野枝と共に惨殺された伊藤野枝の甥、橘宗一少年の墓石に深く刻まれたこの御言葉を思い出さずにはおられないものを感じたのです。

(くずやのぼる・愛知大学専任講師)




連載・アメリカ報告(4)

 「主夫もまた楽し」 

朴 聖ジュン

さる8月末、妻・明淑が韓国へ完全に帰国しました。金大中大統領の新党創設作業に、発起人として参与することになっためです。これは新しい党を創り、来年4月にある総選挙に備え、その選挙で勝利することによって、計画の持続的推進を可能な構造を創出するという金大統領の新構想にのっとったものです。

彼女の突然の帰国は、私の生活に相当の変化をもたらしました。まず、夫の地位から主夫(アメリカでは、ハウス・ハズバンドと呼びます)の位置へと変わったことがその一つです。キリ(註:朴氏のひとり息子)と二人だけの生活とはいえ、昨日をもって14番目の誕生日を迎え、背丈も父と同じ位になったキリの旺盛な食欲のため、食事を作る仕事を始めとして、明淑と分かち合ってきたすべての家事をひとりでする仕事、共同体のメンバーとして誰も当然しなければいけない仕事に加えて、この9月学期から、ぺンドルヒルで受けるワーク・スカラシップ(work scholarship)にふさわしい相当量の仕事、そしてキリの宿題の手伝い、私自身の勉強等、本当に忙しい日々です。

このような生活の変化は、私にとってすべてが有益なものです。主婦にとって家事労働の苦しみとはどういうものか、そして女性達の焦燥感の根が少しわかるような気がしました。何よりも私が喜ばしいのは、本当にキリの父親になったという感を持つようになったことです。この感じはキリに食べ物を食べさせながら、さらに具体化し、さらに切実になってゆきました。母親の媒介なしに、キリと父親の直接的接触が可能となったのです。私はキリとの間に起こっているこのような変化をいとおしんでいます。

ペンドルヒルは今、秋の実りです。今年は紅葉が昨年よりは少し劣りますが、林の道を行けば、美しい絵の中を歩いているような気がしす。澄んだ空気、美しい木々と鬱そうした森、そしてまだ汚染されていない広大な自然と大地は、私がアメリカで一番うらやむべきものです。

来年7月には、このすべてのものを置いて私達は帰らねばなりません。韓国に、韓半島に、アジアに。最近、明淑の新しい韓国生活しばしば電話で聞きながら、さらなる新しい出発への期待感で、もう胸がときめいています。

「どちらにせよ、韓国というのは複雑で面白いところだ。可能性がたくさんあって……。そう、やるだけのことはやってみよう!」

皆さんの意義深い支援に深く感謝しつつ……。

(パクソンジュン・TCC協力主事/翻訳:石井智恵美)




ご支援への感謝  

薛 恩峰

空も高く青く澄みきりさわやかな季節となりました。皆様にはお変わりなく健やかにお過ごしのことと存じます。

『富坂だより』に掲載されている富坂奨学金にご協力下さった方々のご芳名をお一人お一人追いながら拝見致しますと、面識のある方もあれば、一面識もない方もあります。大阪・京都・神戸・西宮、今は東京という形で小生の在日の旅が続いております。過ぎ去った歳月を振り返ってみると、めまぐるしく変化する世の中にあって、一つだけ変わらぬものがありました。それはたくさんの日本の友人の麗しい友情とご支援に支えられてきたということでした。

歩みも、相変わらずたくさん友人に支えられております。一人の異邦人に示して下さった皆様の心暖まるご支援、ご期待、お励ましに心から感謝致しております。

時間が経つのが速いもので、もう11月になりました。2年間の研究の総決算の時が追って来ました。論文は、まず中国共産党の宗教理論と宗教政策を分析することから出発して、中国における政教関係の基本的な構造を浮き彫りにした上で、波乱に富んだ中国教会の50年史の大きな流れを論じるものです。難問はまだ多く残っておりますが、完成を目指して追い込みをかけます。

来るクリスマスと2000年が皆様にとって素晴らしいものでありますようお祈りしつつ、筆を置かせていただきます。

(シュエ エンフン・富坂奨学金奨学生 中国研究会非常勤主事)


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