『富坂だより』 5号
2000年7月

特集: 第2回富坂セミナー

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JPIC研究会
『地球のみんなと生きる』の表紙


巻頭言

「倫理」を生み出すもの

石井 智恵美


富坂キリスト教センターがキリスト教社会倫理の学際的共同研究ということを掲げて久しいが、「倫理」という言葉はどこへいったのか、と思われるような事件が昨今多発している。「倫理とは何か」と真正面から問うことが、現在これほど分が悪くなっているのは何故だろう。「倫理」が成立する基盤であるはずの人と人とのつながりが希薄になっているということなのだろうか。

先日、まったく偶然に15年ぶりに一番影響を与えられた高校時代の先輩に再会した。それも、富坂の仕事の関係で。こんなことが人生にはあるのだ。昨年韓国で行われた「宗教と文化のフォーラム」に出演してくれた沖縄のミュージシャン・グループの一員に、なんとその先輩はなっていたのである。彼は高校時代、早熟な天才肌の人で、無神論者であり、当時教会に通っていた私は徹底的に論破された。論破され、粉々になったかけらを一つ一つ拾い集めて、「それでも人には神が必要だ」と、自分の世界観を問いなおす作業を始めたことが、神学を学ぶことにつながった。

今でもその先輩の問いでトゲとしてつきささっているものは、「人は皆、自由という重荷を背負っているのに、クリスチャンはその重荷を神に押し付けて楽をしている」というものである。「神を信じることが楽をしていることなら、神なき人の苦しみを私はわからないのか、だとしたら隣人を愛せよという戒めを、キリスト者であるがゆえに守れないのか」と悶々とした日々を送った。

ふりかえって見れば、その先輩から与えられたトゲのおかけで、私は思考停止をせずに、信仰の歩みを続けることができたと思う。いつも神なき人の苦しみを忘れない」という気概と共に在ることができた。神の導きがあるとすれば、このようなトゲを与えられることでしかないのかもしれない。「倫理」はこのようなうめきを母体として産まれてくるものではないのか。社会的にうまく適応しているような顔になっている時に、問いきれないような問いの前に立ちつづけていた思春期の自分から問われる。おまえは今どこにいるのか、と。先日の富坂セミナーで会場から発言してくれた高校生の姿からも、そのようなまっすぐなエナジーを感じた。負いきれないほどの問いを担おうとしている無数の人々がいる。たとえ、顔がみえなくても、その人々とのつながりが「倫理」を問いつづける基盤であり、希望であろう。未熟ながらもその歩みを続けてゆきたいと願っている。

(いしい ちえみ・TCC研究主事)




第2回富坂セミナー
「地球のみんなと生きる−若い人たちは宣教のパートナーだ−」
TCC総主事 鈴木正三

今年、第二回富坂セミナーは、2000年2月4日(金)、5日(土)に、教団の北海教区とキリスト教主義学校同盟北海道ブロックの共催で、札幌クリスチャンセンターで開かれた。テキストには一昨年出版されたJPIC(正義・平和・被造物の保全)研究会『地球のみんなと生きる』を用いた。4日の晩のセミナーには、第一部「正義・平和・被造世界の一体化を日本で担うこと」をテーマに秋山眞兄氏 (JPIC研究会座長・麻布高校教師)の講演、山本俊正氏(JPIC研究会メンバー・NCC幹事)の報告を受けた。また第二部は「平和を作り出すために」をテーマに地元北海道から山本光一氏(札幌元町教会牧師)清宮敬文氏(北星学園女子中高教員)森豪司氏(北星学園新札幌高校教員)による各現場からの発題があり、約50名近くの参加者を得て互いの経験を分かち合う良い機会となった。5日はテーマ「聖書・キリスト教と人権・平和・環境教育」とし、辻中明子氏 (島松伝道所担任教師・北星学園新札幌高校非常勤講師)の発題を受け、半日を使ってキリスト教主義学校の教師の方々約10名との研修会を持つことができた。以下は、発題者・主催者の感想である。


    草の根エキュメニズムの大切さ
    日本キリスト教協議会国際担当幹事 山本 俊正

    表記のテーマにて開催された富坂セミナーに報告者の一人として参加した。富坂センターからは秋山眞兄さんがJPIC(正義・平和・被造世界の一体化)を日本で担う意味について講演をし、私が世界教会協議会(WCC)での取り組みの背景及び問題意識を中心に報告した。さらに、具体的な現場の取り組みとして、札幌からの参力者により「平和」を切り口にして「国旗・国歌法」、「ガイドライン関連法」をめぐっての学校、教会での実践例が発題された。また、「聖書・キリスト教と人権・平和・環境教育の具体的な取り組みについても報告され、参力者で討議した。

    二日間にわたるセミナーを通して、いくつかの大切な示唆を受けた。第一に強く感じたのは「草の根エキュメニズム」の活性化とその重要性を再確認したことだ。1990年に開催されたJPICソウル会議を起点として、ドイツの各地域教会における公会議プロセスを経て提出されたJPICの課題が日本及びアジアでも認識された。しかし、問われていたのはそれぞれの課題がどのように地域、ローカルレベルで現実化、具現化されるかということだった。運動が世界的な広がりの中で展開される一方、あくまでもその主体は日本という文脈で宣教する地域の教会にあることを再確認する必要がある。第二に、これは第一の印象とも関連するが、宣教の現場で苦闘する人々との対話を深め、課題を共有化することの大切さだ。特に、情報と資本が地球上を駆けめぐるグローバル化の時代において資金や技術の支配に対抗する原理とネットワークの形成が求められている。このことは、教会の宣教の課題がNGOや市民社会の課題と様々な領域において共通し、共同行動をとる契機が多くあることを意味している。北海道の現場で苦闘する体験はそのまま東京での体験と通底しており、それぞれの体験を分かち合う共通の場がますます必要とされている。

    最後に、今後も上記のようなセミナーを日本の各地で開催することができれば、具体的な課題と行動を共にする契機となる。コンピューターの画面上ではない、顔の見える関係をさらに深化させ、神の宣教の業を共に担うものでありたい。 (やまもととしまさ)


    片手に『聖書』、片手に『地球のみんなと生きる』を持って

    日本基督教団新潟教会牧師 上島 一高

    札幌北光教会の牧師をしていた頃、WCCから出版されたU・ドゥフロウ、G.リートケ著『シャローム』の英訳を読んだことがある。副題は、WCCの 1990年ソウル会議の「正義・平和・被造世界の一体化(以下JPIC)」を意識したネーミングだった。同じ頃、リートケ著『魚の腹の中で』の安田治夫氏による邦訳や、『日本のキリスト教1971〜90』(英文)中、同氏がまとめられた「環境問題」の項から学ぶところは大きかった。氏が「環境が社会問題と認識されても、それは、キリスト教信仰の中心に関わるものとして見られることはなかった。その上、関心は、たいてい個々人のそれにとどまり、諸教会のものとはならなかった」と語るとき、平和と訳される「シャローム」の概念が正義・平和に、いわば領域的に適用されていたことに気付かされることとなる。シャロームは、世界の主なる神の支配をあらわす、もっとダイナミックな概念なのであった。そして、富坂の『エコロジーとキリスト教』が出る。私は、その後北星学園新札幌高校に赴任するが、同書中の鶴見和子論文に導かれて、生徒・同僚・父母らと共に、ミナマタをメインテーマとし、ヒロシマ・ナガサキそしてオキナワを結んでJPICについて考えた舞台構成「命(いのち)からのことづて」上演に携わることになり、水俣にも足を伸ばすことになる。

    その後、北海道を足場として、強制労働の跡をたどり、アイヌの世界に触れ、精神障碍体験者を中心とした豊かな営みを生徒らと歩いて学んだ。そんな中で、「富坂」から発信されたブックレット『地球のみんなと生きる』に出会ったのだった。北海道でのフィールド・ワークも、教師中心の企画から、いよいよ2000年度には、生徒の主体的な企画、準備へと展開させようと思っていた矢先であった。

    「若い人たちは宣教のパートナーだ〜」という副題は、日本基督教団北海教区で語られていたものから借りた。若い人は一方的に伝えられる対象なのではなく、むしろ、彼らが感じ、彼らが考えたことを分かち合うことによって、宣教は豊かにされるということのストレートな表明である。

    私は4月から新潟の教会に赴任した。 ここには、敬和学園高校の生徒がたくさん集っている。また、巡り合わせに感謝したいが、最近『新潟水俣病の三十年』を著された弁護士の坂東克彦氏がいる。 片手に『聖書』、 片手に『地球のみんなと生きる』を持って、高校生や青年たちと、フィールド・ワークに出かけたい。

    北星学園新札幌高校では、きっと、セミナーに参加した向谷地君が、新しい宗教主任の横田法子さんと共に、新しい出会いの企画を立てていってくれることだろう。(かみじま いっこう・元北星学園新札幌高校教師)





 「東アジアの宣教と神学」研究会 〜研究を終えて〜

日本基督教団なか伝道所牧師 渡辺 英俊

朴聖ジュン(パク ソンジュン)さんという、韓国民衆神学の受肉ともいうべき人が、富坂キリスト教センターに協力主事として在任されたのを機会に、朴さんを中心にこの研究会が設けられました。これに参加させていただいたことは、私のように現場に身を置いてしまっている者にとって、思いがけない幸いでした。座長を引き受けながら、まとめ役よりは突っ込み役に回ることの方が多く、その任に耐えないものであったことを申し訳なく思っています。

3年余にわたる研究の前半を金子啓一さんに、また後半を吉田恵さんに、主事協力者として実務とまとめ役を担当していただけなかったら、ここまで来られなかったと思います。金子さんは、この研究会の仕掛け人であり、この顔ぶれをそろえてスタートさせ、軌道に乗せて下さいました。吉田さんには、報告書をまとめる段階で、テープ起こしからメンバーの原稿の催促まで、たいへんな労苦を負っていただきました。  

朴さんは、富坂センターでの2年の任期中はもちろん、任期を終えて米国に留学されてからも、その困難な生活事情の中でこの研究の中心になって下さいました。朴さんの妥協のない誠実さと忍耐とにより、この研究報告はすみずみまで魂のこもったものになったと思います。また、メンバーの方々も、それぞれ多忙を極める仕事を抱えながら、この研究会に力を注いで下さいました。めったにできない顔合わせで、この研究会をやり遂げることができたことを、ご労苦下さったこれらの皆さまに感謝申し上げます。

この研究会で得られた大きな成果は、まず、今後「アジアの宣教と神学」というようなテーマを考えていく際に、共通の基盤となるものが確認できたと思います。私はそれを、

    @宣教と神学への考察を成り立たせる〈場〉としての「低み」
    Aその営みを成り立たせる源泉としての「民衆の霊性」
という二つの要因にまとめられると思います。

第1の点では、メンバーのすべてが〈原〉体験、ないしは〈現〉体験として、現代社会での「低み」を神学の出発点とも立脚点ともしていました。これらの〈場〉は、現代世界で低くされた人々の場である点において共通しています。福音の事件はそのような〈場〉で起こるものであり、従って神学的作業もまた〈場〉を選び取ることを不可欠とするという認識を、メンバーが共有していました。

第2の点は、研究会の終わり近くになって、朴さんの思想の新しい展開に直面して、当惑と共に表面化したものですが、メンバーそれぞれが暗黙の内に、〈低み〉に置かれ苦しみを負わされている人々の、解放への渇仰のようなものを、神学の営みの源泉として想定していることが明らかとなりました。内容に議論は課題として残りましたが、私たちの研究を成り立たせた共通の求心力として、それが働いていたことはたしかだと思います。

他方、この研究の成果として、「民衆性」に立脚した神学を考える上での主要な対立軸が明らかになったと思います。世紀末の混沌の中では、共通基盤の上に立った対立軸が明らかになることは、今後の討論を実りあるもめにするために重要だと思います。

すでに原稿も完成、今夏には出版できる準備が整いました。英訳もできればと考えています。皆さまのご期待と声援をお願いします。

(わたなべひでとし・「東アジアの宣教と神学」研究会座長)




上海悠々(2) 「内なる無限」

葛谷 登

神韻縹渺たる風格の持ち主で現代の漂泊の文人とも言うべき故森敦の『意味の変容』という哲学的随想の一節にこうあります。

大小はただ外部から見て言えることであって、内部に入れば大小はない。なぜなら、境界ぽ外部に属し、外部から見た内部の大小は、この境界によって判断される。しかし、内部にぽ境界が属しないから、無限であり、無限には大小がない。」(筑摩文庫88頁)

とすれば、四畳半の部屋の中も、東京ドームの屋内も同じ広がりを持つことになります。私はたまたま8月のある土曜日に上海の広々とした通りを歩いていましたら、塀にプロテスタント教界の小さな看板がかかっていました。よく見ると、塀の裏には日本の公民館ほどの大きさの建物があります。出入り口となるドアは日本の家に見られる勝手口ほどのものが一つきりしかありません。外から見る限り森閑として人っ子一人いる気配はありません。明日は日曜日だというのに、どうしたことだろうと思いました。

戸のかたわらに呼び鈴がありましたので、無礼千万にもそれを押すと、戸が開きました。開いた途端に門番のお爺さんの顔がぬっと現れました。入り口を入るといきなりそこは守衛所だったのです。お爺さんに私が日本からきたクリスチャンだと名乗ると会堂管理人の方が出て来て中を丁寧に案内してくれました。

中は日曜日のために我勝ちに掃除などの仕事をしている人々の活気でいっぱいです。およそ外からは幽霊屋敷にしかみえなかったところが、実は神様に精いっぱいお仕えしょうとする人々が所狭しと、活躍する舞台であったのです。

会堂管理人の方のお話によると、日曜日は2-300人は座れる会堂がいっぱいになるとかということでした。私は残念ながら日曜日はそこで礼拝を守ることが出来ませんでしたが、礼拝を心待ちに準備の仕事をしている人々の雰囲気から察するにむべなるかなと思い至りました。その教会は三自愛国教会に所属しているとも聞かされました。

私は会堂の中にたたずんでいると、ここが本当に社会主義の国なのだろうか、どこか別の世界にいる気がせずにはおれませんでした。三自愛国教会は国家に管理された表の教会であるという思いこみがあったからです。

中国では管理する人間より、管理される人間のほうが圧倒的に多いのです。管理する側は逆に管理される側に飲みこまれてしまいそうです。たとえ、人間の体を縛ることは出来てもその心を縛ることは出来ない、神の言葉にどれだけイデオロギー的な解釈を加えようとも神の言葉が語られる限り、それは人の心に種として宿り時がくれば芽吹く…そんな思いが沸沸と湧いてきました。

中国という外なる世界から見ると、眇たる一粟ほどの建物の中には天にも届かんとする無限の広がりを持った内なる世界が厳然と存在しており、私はそこに吸い込まれんばかりになっていたのです。

(くずやのぼる・愛知大学専任講師)




DOAMシンポジウム

「日・独・韓シンポジウム」に期待する

富坂キリスト教センター理事長 村上 伸

9月上旬に「ドイツ東亜伝道会」(DOAM)の理事たちを中心とする旅行団が日本を訪れることになりました、これは会長のパウル・シュナノス牧師の熱心な発意によるもので、スケールの大きい構想を持っています。

富坂キリスト教センターがDOAMを母体として生まれた団体であることはご存知の通りですが、シュナイス牧師らとの個人的な交流を別とすれば、理事たちが揃って日本に来てセンター活動を親しく見聞きするというようなことは、これまで全くありませんでした。ですから、これは、日独双方にとって画期的な経験です。  

むろん、日本をより良く理解するためのプログラムも多く組まれていますが、単に表面的な「見学旅行」にしないために、シュナイス氏はこの中心に一つのシンポジウムを設定しました。9月12日(火)から16日(金)まで「国立女性教育会館」(埼玉県嵐山)で予定されているのがそれです。これには、かつてドイツに留学してDOAMと何らかの関わりを持った多くの日本人と韓国人が招かれることになっています。

シンポジウムの総主題は、「赦しと補償と暴力の放棄−−韓国・日本・ドイツにおける真理と和解と平和のための教会の責任」というものです。日独両国は、克服すべき重い過去をいまだに引きずっていますが、それを福音的な視点から検証し、将来へ向かう教会の責任を明らかにしたいという願いが、ここには込められています。毎日、主題に即した講演・聖書研究・報告・討議などが予定されていますが、特に重要なのは、「東アジアのコンテキストの中で」現実的に論じるために、韓国の牧師・神学者たちが招かれるということです。欲を言えば中国も加えるべきでしょうが、色々な理由でこれは断念しました。

しかし、現代日本の状況を見る時、このようなシンポジウムはまことに時宜に適ったものです。センターの基本方針にもぴたりと合致する素時らしい企画で、心からそれに期待し、成功を祈ります。

(むらかみ ひろし)




追悼 山岡喜久夫先生
 山岡先生の思い出   

DOAMドイツ東アジア宣教会会長 パウル シュナイス
    戦前より50年以上も富坂にかかわってこられた山岡喜久男理事が2月21日に神の御許に召されました。享年85歳でした。

かけがえのない友人が去ってしまいました。私にとっては父のような友人でした。彼は今、長い間、あこがれていた故郷へ去ったのです。彼が私達の間にこんなにも長く留まってくれたことに、私達は神に感謝します。また、彼が最後の日々に至るまで、富坂とDOAMへ心からの愛とまことを持ちつづけてくれたことにも。

山岡先生は「はい」といえば、決して翻すことはなかった人でした。彼が約束をしたら、人はそれを当てにすることができました。彼が「はい」と言うまでにしばしば時間はかかりましたが。彼は決断を下す前に、いつも考え抜いていました。また、彼が約束をしたのに、それを曲げることがあったとしたら、その時は、上冨坂教会の日曜礼拝にいたのでしょう。教会に彼は誠実でありました。私達は教会が彼のために礼拝を捧げたと聞いて喜んでいます。山岡先生なしの上富坂教会はありえなかったでしょう。

富坂、ドイツ、DOAMに対する彼の愛情は、彼の青年時代、学生、気鋭の学者であった時にはじまっています。彼は火災も経験し、再建のあてもなく、ドイツからの送金もない苦労を共に体験していたのです。当時、深津文雄牧師の回りの小さなグルーブの中に学生だった山岡喜久男がいて、大戦後の初の宣教師エーラー牧師が到着するまで、富坂を守っていました。彼等とともにG・ドレスラー牧師が、立てなおしを始めた際、またその維持の際、彼は常に良きパートナーでした。ドレスラー牧師と共に彼は、セミナーハウスのあわただしい日々をすごしました。当時は何も邪魔されない研究の場でした。振りかえって見れば、今日の富坂キリスト教センターに至るまでの重要な歩みです。

30名いた学生寮が古くなり、ミッションも新しい寮のためのお金を持っていなかったため閉められることになりました。また富坂の大部分の建物は古くその年のうちに倒壊しそうでした。新しい計画を立てねばなりませんでした。ただ建てたり、経営の道を見出すためだけではなく、私たちの新しい任務の、内なる方向性が必要でした。1884年東アジアミッションが日本で(宣教に)踏み出し、彼等の道を始めたように。何といっても山岡教授の承諾と理解があって、富坂の分野の狭い結合の中で、この新出発は考えられ、計画でき、遂行できるようになったのです。彼はドイツとの結びつきをただ保つのみでなく、強化しました。彼は新設の富坂キリスト教センターの中の学生寮(現・国際の家)のためにも配慮をしました。彼はセミナーハウスの構造を変えることにも自由を与えました。また、彼は教会との結び役であり、そこに留まりました。

このように、このかけがえのない友人は、DOAMの最年長の経験のある助言者にとどまらず、責任を回避せずに、道を共に歩んでくれました。私達は記憶の中に彼の思い出を持ちつづけるでしょう。彼は私達が彼を必要とした時、私達と共にあり、序言を求める時には共に考え、彼の数えられた日々において、決して倦むことはありませんでした。彼は、富坂を超えてさらに広く、若い時以来、彼がそうなろうと願っていたもの、すなわちイエス・キリストの敬虐な証人でした。


「あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」(ルカ10:20)

(Paul Schneiss)
(原文ドイツ語 抄訳 石井智恵美)


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