『富坂だより』 6号
2000年12月

特集: DOAMシンポジウム

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Sieger Koerder
「世界中の人々との晩餐 」


巻頭言

DOAMシンポジウムから

東海林 勤


9月12日〜16日に埼玉の国立婦人教育会館で行われたDOAM(ドイツ東亜伝道会)のシンポジウムは、「赦し、補償、暴カの放棄−韓国、日本、ドイツの真実と償いと平和のための教会の責任」というテーマで発題と討論を繰り返した。

同じテーマでも国によって視点や取り組みは大きく異なるので、それを突合せることにこのシンポジウムの意味があった。ドイツの教会にとっては、「罪と赦し」のテーマはシュトゥットガルト罪責告白以来深めてきた経過がある。これに旧東独の圧制下の民主化・平和の取り組みが加わる。それだけ一層、無関心・無為・沈黙についての深い反省がある。だから、悔い改めと赦しによる再出発は、今も、そして常に、新しいテーマなのである。

韓国の教会は、民主化を成し遂げて南北和解へと大きく踏み出した時なので、このテーマを自分が負った被害について相手を赦し、自分が犯した加害行為の赦しを乞うこととしてとらえる。と同時に日本に対しては、日本軍「慰安婦j等に対する罪責の悔い改めを厳しく求める。

日本側は、関田寛雄、鈴木伶子、戒能信生の諸氏が誠実にこれに答える内容の発題をしたが、その内容はまだ日本の教会の現実になっているとは言い難い。教会を含め日本人の多くは、自国の軍隊が他国に押し入って大きな苦痛を与えたのに、そのことを自分の痛みと受け取ることを避けた結果、それらの国の人々が苦難に耐えてついに自力で民主化・平和を達成した時、その人々の喜びに共感することができず、したがって新しい時代の始まりを実感できないしその始まりに参加することもできない。これが明治以来の繁栄の、つまり迷妄の、今日の帰結であるとしたら、この国の人々が、いやまず教会が悔い改めを知るようにと働くことこそ、私たちの、富坂キリスト教センターの最重要の課題だということになろう。

(しょうじつとむ・教団稲城教会牧師、TCC理事)




DOAMシンポジウム 〜赦し、補償、暴力の放棄〜

DOAMシンポジウムを振り返って 
DOAM会長 パウル・シュナイス

 ちょうど115年前、東亜伝道会の最初の宣教師が来日し、同年、別の宣教師が中国の東亜伝道会の枠内で活動を開始しました。さて、その115年後に東亜伝道会は、もはやヨーロッパだけの孤独な決定によらず、東アジアのパートナーや友人たちと共に新しい一歩を踏み出すことにしました。ドイツにおいて東亜伝道会は、ほとんどここ30年来、かつての創設期を担った団体の一つとしてドイツの諸宣教団を支援するというかたちでのみ存続しています。すなわち、多くの働きをこれら宣教団に譲渡し、わずかな課題のみ保持してきたのです。このあり方は正しいと思いますし、今後もそうであるべきです。ドイツ東亜伝道会(以下、 DOAMと略)は、ドイツ国内9つの教会と日本基督教団(日本)、そして韓国基督教長老会(PROK)と大韓イエス教長老会(PCK)(どちらも韓国)とパートナー関係を持っています。こうしたパートナー関係があるとき、いつも本来的に大切なのは、では私たちはどのように共同で宣教を押し進めるのか、という課題です。ドイツの諸教会も、宣教が教会の本質に属することを認識しています。ドイツ東亜伝道会も、この枠内で動いています。しかし当伝道会の歴史の中で、執行部が日本のパートナー教会を訪ね、その問題点と課題をつぶさに知り、そこに息づく希望と当地の人々のもてなしを経験するチャンスは、これまでありませんでした。しかし1999年、執行部は一回的な高額献金を受け取り、これによって日本旅行が可能となりました。これを受けて執行部は、執行部メンバーの研修プログラムを含むシンポジウムヘの「旅行計画を練り直し、日本基督教団および日本のNCCとの間に約束を交わしました。主催者は、DOAMと並んで、韓国神学研究所(ソウル)と富坂キリスト教センター(東京)(以下、TCCと略)となりました。

シンポジウムでは朴宗和(パク・チョンファ)教授、アンネリーゼ・カミンスキー女史、そして関田寛雄教授らによる三つの主題講演が、会議で論じられることがらの地平を描いてくれました。私たちの教会と民族のアクチュアルな歴史、その一部は私たちの現在を規定するものでもありますが、その根は私たちの記憶を超えて、遥か彼方にまで遡ります。私たちが部分的に見聞きした事柄は、容易に忘却の彼方に消え去ります。私たちの注意を惹きつける新しい経験が、それらを覆い隠してしまうのです。ですから今を理解するには、時に応じて、そうした過去の記憶を掘り起こす必要があります。私たちの国々の、そうした過去の事件の幾つかは、もはや太平洋戦争(あるいはドイツで言う第二次世界大戦)以前に遡ります。しかし、例えば南京大虐殺や、従軍慰安婦に対するかつての恥ずべき取り扱いなど−また現在の彼女らに対する取り扱いも、これに劣らず恥ずべきなのですが−に見られるように、そうした事件は、今日なお、私たちの社会において論争されています。この点で、私たち3国の間には並行性があります。しかし私たちは互いから学び、互いに何かを与えることができました。ですから私たちは今、こうした問題に自覚的に取り組んでゆくことに関して、たくさんの希望と具体例を知るに至りました。このように与えたり貰ったりすることがこれほど豊かになされた国際会議を、私はいまだ経験したことがありません。

主題講演と聖書研究で提示された様々な主題は、合計9つの発題の中に具体化されました。それらの発題のすべてを紹介しようとすれば、紙数をオーバーしてしまうでしょう。しかし一つだけ指摘しておきたいことは、私たちの社会にも、また一人一人にも当てはまることなのですが−3国の何れの国にも、罪責と赦しの経験があります。できるものなら忘れてしまいたいような忌まわしき記憶があります。ややもすると飛びつきたくなるようなステレオタイプな思考パターンがあり、また皆がそれに手を染め、皆がそれによって傷つけられたような暴力についての経験があります。私たちはすべて、加害者であり得ると同時に被害者でもあり得る、という認識を持つことが本質的に重要です。そして私たちは、日本、韓国、ドイツという、まさにこの3国の組み合わせで、この点についてさらに共同で活動する必要があるし、是非ともそうしたいという点で、意見が一致しています。私たちにこれから歩むべき道を指し示すものとして、『諸教会への手紙』が起草されました。この手紙が多くの人々に読まれることを、私たちは望みます。(『福音と世界』12月号掲載)ここで言及された従軍慰安婦問題について、会議の後、シンポジウムの代表者(NCC、矯風会、TCC、DOAM)が日本政府に面会を申し入れました。そして12月に開催される女性国際法廷は、キリスト教エキュメネから全面的に支持されるであろう、と告げました。

この関連で、朝鮮半島における民族分断の実情を私たちに語ってくれた呉在植氏(韓国)の発題に言及しないですませることはできません。始められた朝鮮半島の和解のため、日本もドイツも、日本の諸教会もドイツの諸教会も、日本のキリスト者もドイツのキリスト者も、東アジアに平和が樹立されるよう、真理と和解の顔をもつ平和が樹立されるよう、その手助けをすることができるし、また実際そうすべきなのです。開始された対話が継続されることを望みます。東アジアに住まうキリスト者のすべてに、その輪を広げることができれば、どんなに素晴らしいことでしょう。皆さんすべてに、私たちからの深甚なる謝意を表します。 

2000年11月22日(悔改めと祈祷の日)

(Paul Schneiss)
(一部抜粋、翻訳・広石望)




国際シンポジウムに参加して
西南学院大学教授 寺園 善基

久しぶりに再会する人たちや初めてお目にかかる人たちが、ドイツ、韓国、日本の3カ国から集まって開かれたシンポジウムに、わたしも懐かしい気持ちと緊張感に包まれて参加した。ドイツ東亜伝道会の主催による「赦し、補償、暴力の放棄」という主題の集会には、およそ90人が9月12日より16日まで武蔵嵐山の国立婦人教育会館に集まった。

大きなテーマの流れは先の第二次大戦の戦争責任をめぐるもので、加害国の日本とドイツ、被害国の韓国がどう取り組んで来たか、また来なかったかという問題をめぐっていた。この点に重点を置いて、朝日新聞は9月25日付けの夕刊に菅原伸郎氏の署名入りで、写真と共にかなり詳しくかつ好意的に掲載した。

これ以外に、旧東独政府の罪責、ドイツ統一とその後の独・独問題、韓国の民主化闘争、ノグンリ虐殺事件、また日本の在日韓国・朝鮮人問題や教団問題等々、戦後の各種の問題が報告され、話し合われた。プログラムは良く考えて組み立てられ、また適切な講演者や聖書研究者、それに有能な通訳者が立てられた。最終日には共同書簡が話し合われ、主の晩餐式をともなった印象深い閉会礼拝で集会は終わった。

このシンポジウムが終わった今わたしが思うことは、日本人の宗教意識、あるいは日本の教会の信仰理解についての問題である。あまりにも個人主義化された見えない宗教、道徳化されてしまった私事的信仰は、責任、代理、体の出来事としての従順を信仰から追放してしまってはいないだろうか。ボンヘッファーの「信ずる者だけが従順であり、従順な者だけが信ずるのである」という言葉が思い起こされる。このシンポジウムが根源的な所から波紋を起こそうしているものでもあったということを、明記したいと思う。




追悼 深津文雄牧師

    今年DOAMシンポジウムに先立ち、召天された深津文雄牧師が以下のような一文を残されました。

「ありがとう 東亜宣教会」

・・・1937年9月9 日の午後だったと思う。東京市小石川区上富坂にリーマル・ヘンニッヒを訪ねた。「ドイツからきた宣教師が助手を探していますよ」とチャールズ・ローガン博士がいったからである。…この日からついズルズルと、18年半も長居してしまったが、思うと莫大な影響を受けている。まず彼は僕を牧師にした−。…1934年6月10日、みんなが疎開したあとのガラアキになった富坂へ春子と成子を連れて引越し、そこで二度も焼け出されて、祐子も大慈も紅子もそこで生まれたのである。

戦争が終わると、富坂は敵産になり、それを解除するために、ヘッセルが進駐軍の通訳になって帰ってきてイエッケルを辞めさせた。そこでドイツとスイスが分かれ、ドイツとの通信は途絶えた。1950年からユンゲ会長の手紙が届くようになり、1952年ハロルド・エーラー夫妻が来任するまで、何をする権利も与えられず、来てからはまったく妨害した。1954年3月28日、僕が辞表を出すまで、営々と育てた「日本聖書学研究所」も「バッハ教会音楽鑑賞会」もみなもって出ろといわれた。−そのときにはこれは重大な決裂を意味した。 ところが2000年に和解が成立。

ドイツ宣教会会長のシュナイス牧師はしばしば館山を訪れ、スイスと合同で『OAM113年史』を出版するという。そのために僕の手元の書類をことごとくコピーした。しかしこれを寄付してくれないかと言い出した。大切に古文書として保存したいという。

2000年が本当に「ヨベルの年」であるために、言い尽くせぬ感謝をここに表明する。いろいろ誤解もあったようだが、どうかシュナイス会長との和解を信じてもらいたい。  

・・・ベテスダ奉仕女の家なども、東亜宣教会なしに生まれたわけではない。いずみ寮も、かにた婦人の村も、後援会も考えてみるとことごとくが東亜宣教会あって生まれたものである。

どうもありがとう、東亜宣教会。

(雑誌『デイアコニア』227号、2000年8月10日、 ベデスタ奉仕女母の家姉妹会発行、より一部抜粋して掲載)




『地球のみんなと生きる』〜海外からの反響〜

ロシアからの手紙(2000・7・16)  

ヴラデイミール・ホロス/オイゲネ・ラフスコフスキー

(略)このテキストは多くの点において、人間個人が自分自身を読み取る必要性を強く訴えています。

 後半には我々が知っているように、世界の歴史のこれまでの時期(工業化と同様、伝統的、革命的であった)の重く罪深い無力感があったと言えます。ポスト・モダンの文化とはキリストにおける人間の尊厳と自由と同様に、現代人は自ら決断を下すと言うコンテクストであります。しかも、その自由は、宗教的経験は言うまでもなく、エコロジカルな、社会的な、知的な各分野において、それ自体発揮されている自由であります。

 このようなスピリチャルなオリエンテーションは"簡単"なものではありません。(P46)しかし、地球上の命あるものへの貢献、その理解はたやすくないが、かけがえがなく、尊いものであります。この冊子への批判をするとすれば、以下のようなものです。

 人間社会と自然環境の豊かな関係を強調しているのは良いことです。修行と思索は隠れているものの、それは人間個人の内なる空間の重要な働きといえます。祈り、自己批判、悔悟、正確な聖書研究、短い沈黙等。これはキリスト教的な経験にとどまるものではなく、キリスト教の枠を超えても深く理解されています。ガンジーが説くサティヤーグラハ(無抵抗不服従運動)はこの考えを表わす最も良い例と言えます。(略)

(モスクワ/国際政治経済関係研究所教授)


書評 NCC「JAPAN CHRISTIAN ACTIVITY NEWS」Summer 2000  

JCAN担当・アメリカ人宣教師チャールズ・マクジルトン

  (略)この冊子の意図はJPICに関連する話題を論ずるためのものであるが、問いそのものが焦点になり、意図した幅広い議論にならず、通り一遍の概念化された言葉を繰り返し使うことによって、その主張そのもの正確性に疑問が生じる結果となっている。第2章の表題"なぜ貧困か?"は正にこの例に当てはまる。これらの通り一遍の概念化では、かえって、その問いそのものに焦点が絞られ、議論が向かうべき方向、即ち、貧困は何処から来るのか、また、我々は道徳的、倫理的にどう応えていくべきかに向かわないのである。

 第3章に現われる"パートナー"、このやや使い古された言葉は、職場において女性が不当な扱いを受けていることをすぐ想起させる。特に日本の会社で仕事した経験がある人なら誰でも知っていることである。(略)しかし、ここで男と女が互いに同等のパートナーであったり、女が男より力を持っている分野を見ていないのは残念なことである。

 第6章では"慰安婦"について微妙ではあるが、効果的に取り上げている。著者が触れた、ユダヤ人への侮蔑の象徴としてドイツ教会内に豚の像が置かれていた話は極めてショッキングである。しかし、後に分かるのだが、ドイツ国民が過去を忘れないため敢えてそのまま像を残している。このドイツの例は日本が慰安婦問題をどう扱ってきたか、今後、健全な議論をまき起こす呼び水になる。著者の後記にこの犯罪の恐ろしさを十分認めたうえで、尚且つ,思慮深い議論を導くためにはただ感情に流されて議論してはならないと記している。

 公平さを欠かないために、この小冊子が日本語で日本人のために書かれた記録であることは記憶に留めておくべきだろう。

(翻訳:大和田栄子)





【書評】
『生き生きと農業をするための勇気』 (新教出版社 定価2500円)

前・名古屋大学農学部教授、武岡 洋治

  この本の特色はいくつかあるが、第一は書名にある。『生き生きと農業をする喜び』ではなく、『…するための勇気』としたところにそれが伺われる。もちろん、農業を生き生きとすることによって得られる喜びは、本書で紹介されている五つの現場事例の中に溢れてはいる。が、その喜びは決して安易な経営によって得られるものではないことも事実で、そこに紹介されている方たちの経験談にはっきりと、それが示されている。衰退の一途をたどる日本農業の現状にあって農業をやって行くには、創意工夫と、困難を打開する「勇気」とが必要であることをそれらは教えてくれる。

  第二の特色は、「有機農業」のとらえ方にある。本書の冒頭で、編著者の一人である飯沼二郎氏が述べておられる次の文章に、それが端的に示されている。「ニコニコ農業を営む人々に共通している三つのことを見ることが出来きます。一つは家族経営、二つ目はその土地の風土に根ざした複合経営、三つ目は、消費者と、顔と顔の見える信頼関係による産消提携(産直)。私たちはそのような農業を有機農業と呼んでいます」。上に述べた創意工夫と勇気とを持続していける秘密はそこにあったのである。

  第三の特色は話が具体的で、読んで面白く、わかりやすいということである。それは特に、第一部の「ニコニコ農業のひとびと」の中の討論会と有機農業の現場報告に脈打っている。なぜ、面白く、わかりやすいのか。それは話が具体的であり、農業を営む中で体験してきたさまざまな事柄が、平易に、しかも生き生きと語られているからである。具体的で、面白く、わかりやすいということは、他者にこちらの考えや意図する事柄を伝える際に心がけるべき、大切なことだと教えられる。

  本書の内容がわかりやすく面白いということのもう一つの理由は、第四の特色であり飯沼氏が述べていることであるが、本書がいわゆる農業の専門書ではなく、また農業それ自体としてではなく人間の問題として考えられ、農業専従者、消費者運動を行っている方々と共に本書が生み出されたところにある。「日本各地の農村・農家・農民の方々を訪ねて、生き生きと農業を営む人々に出会い、何故この人々がニコニコと農業を営むことが出来るのか、この人々の共通しているものは何かを見出」そうとして、それに成功している。

  第五の特色としてあげられるのは、本書が前半の事例紹介だけに終わっていない点にある。それは、第1部の「まとめ」の所で、「なぜ有機農業なのか」を論じた飯沼氏の文章にはっきりと現れている。そこでは、なぜ戦後日本の農業がこれほど急速に衰退し、農民がいかに窮地に追い込まれたか、その原因と背景が鋭く分析されている。戦後農業の路線を決定した「農業基本法(農基法)」が農家に対して実際に与えた影響、その間にあって果たした国・地方の試験研究機関の役割、「近代国家」日本の農政と農学による農民に対する認識と農業技術のあり方についての考えが、いかに日本の地域的特質を軽視(ないし無視)した、欧米追随型のものであったかを、われわれは知ることが出来る。それは同時に、日本の近代化と戦後のあり方に対する冷徹な批判となっていて、読む者の心を打つ。ぜひ味読していただきたい個所がある。第U部の総括と展望においても、三名の執筆者がそれぞれの視点から提言を行っていて、教えられるところが多い。

  最後に、この本を生み出す母体となった「人間の問題としての農業研究会」の足どりが、1993年の第1回研究会から96年の第8回研究会まで編年的に記されていて、読者の理解を助けてくれる。私事で恐縮であるが、初め私もお誘いを受けていたが思わぬ事故のために御一緒することが出来なくなった。御迷惑をかけたことをこの機会にお詫びしたい。

  この書が、日本の農業と食糧状況を少しでも良くしたいと願っているすべてのひとびとだけでなく、教会の中でもじっくり読まれるべき、必涜の書として受け入れられることを心から願っているわが国における福音の読まれ方にせよ、神学の関心の向き方にせよ、いかに欧米志向の度合いが強かったかが、世界の枠組みと価値の尺度自体が大きく変容しつつある今、問われていると思われてならないからである。

(一部抜粋/たけおかようじ・同志大学神学部在学中)





上海悠々・余滴 「従軍○○○問題」

葛谷 登

イエス様の御先祖にあたるダビデ王様は昔、部下の妻に道ならぬ恋をしました。今で言うスキャンダルですが、これぞまさしく「つまずき」でありました。

ダビデは、バテシバがヘテ人ウリヤの妻であることを確かめました。ヘテ人と言えば昔鉄の軍隊で世界最強を誇ったヒッタイトの民です。ヒッタイトはもはやこの世にはなく、彼は亡国の民としてイスラエルの傭兵となっていたのです。

ダビデはウリヤがヘテ人であることを知ってしめたと思ったのかも知れません。何故なら、ウリヤは異邦の民であり、彼の母国は既にこの世にはないからです。しかも、エリアムの娘バテシバはユダヤ人でなかったでしょうか。ダビデがバテシバをウリヤから引き離して特別な関係を持つことにためらうことはありませんでした。

従軍○○○問題もダビデが犯した罪と同じものを感じます。戦前、韓国、朝鮮の民はまさに亡国の民でありました。彼らはヘテ人ウリヤがユダヤ人ダビデに仕えたように日本人に仕えさせられました。何という屈辱でしょうか。

従軍○○○とさせられた韓国、朝鮮の女性は言うなればウリヤの妻であり、日本人はダビデにあたりましょう。亡国の韓国、朝鮮の女性だから、一等国の日本の大和撫子ではないから、ためらうことはなかったのではないでしょうか。勿論、日本人はバテシバを王妃として遇したダビデに及ぶべくもありません。

民族の魂を汚され暴行に身を委ねなければならなかった韓国、朝鮮の女性たちの行為を「慰安」という言葉で括ることに恐怖と戦標を覚えるものです。

ところで「従軍○○」という言葉を耳にするとき、従軍牧師、従軍司祭を思い出さずにはおられません。彼らもまた戦争で死の恐怖におびえる兵士たちに「慰安」を供したのではなかったでしょうか。果たしてこれが「慰安」なのでしょうか。従軍○○○の人たちのそれと彼らのそれは、人はどういうかも知れませんが、つながって等しいように思います。

従軍○○○の存在が悪であれば、同じく従軍牧師、司祭の存在も悪ではないでしょうか。御国の福音を伝える牧師、司祭は決して軍に従ってはならないように思います。軍に従うのではなく、軍と闘うのです。そこに福音を聞くわたしたちはまことの「慰安」をいただくのではないでしょうか。

戦争責任の問題がいまだに解決を見ないだけでなく時代が逆行し、きなくささを感ずる今日、すべてのキリスト者が平和を作るためにキリストの力をいただきながら闘って行くことを願っています。 (くずやのぼる 愛知大学専任講師)

    彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、 彼らはもはや戦いのことを学ばない。(イザヤ書二・四)
(くずやのぼる・愛知大学専任講師)


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