『富坂だより』 7号
2001年6月

特集: 富坂募金

【目 次】

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リチャード・フレイビン「埼玉県小川町の田植え」(版画)
『生き生きと農業をするための勇気』(新教出版社)のカバー


巻頭言

金の切れ目と縁の切れ目

上林順一郎


「金の切れ目が、縁の切れ目jなどと言うと、眉をしかめる方が多いでしょうが、「縁の切れ目が、金の切れ目」と言い換えると、少しは納得される方もあるでしょう。教会も似たようなことが言えます。献金が滞りだすと敷居が高くなるせいか、礼拝の出席率が落ちてきます。同様に、出席率が悪くなってくると、献金も滞りがちになります。そして、多くの場合教会との縁が切れ始めるのです。礼拝出席と献金を絡めて論ずるなど、けしからんという声もあるでしょうが、現実問題として、日本の教会もこの「金の切れ目と縁の切れ目」との関係は深刻なのです。

いま日本キリスト教団の「信徒総数」はおよそ20万人です。その内、常時礼拝に出席し、献金をしている「現住陪餐会員」は半分の約10万人です。残りの 10万人は、ほとんど礼拝に出席することなく、また献金もしていないと想像されます。かつてある人は、「冬眠信徒」とか「冷凍信徒」と表現しましたが、言いえて妙です。その原因が主に教会や牧師の側にあることを反省する者ですが、しかし、人口の一パーセントにも満たないクリスチャンの半数が、「冬眠」あるいは「冷凍」状態であるのは、とても残念なことです。この現実に対してどう有効な手を打てばよいのか、日本の教会の大きな課題です。

そこで元に戻って、「金の切れ目が、縁の切れ目」とすれば、「金の切れ目」の回復が「縁の切れ目」の回復ともなるわけです。さて、わが富坂キリスト教センターは、長年研究団体としては成果をあげてきました。しかし残念ながら金と縁はあまり重んじて来なかったようで、ここにきていずれもが「切れ目」に直面しつつあります。本来の使命を果たすためにも、富坂センターに「円と縁」を寄せてくださる方を求めたいものです。円の切れ目が、縁の切れ目にならないために。 

(かんばやしじゅんいちろう・日本基督教団早稲田教会牧師、TCC理事)




研究活動への支援のお願い 
TCC理事長 村上 伸

富坂キリスト教センターは(以下TCC と略)1982年から活動を始めたキリスト教の研究団体です。その研究活動の目的は、キリスト教社会倫理の諸問題を学際的に共同研究し、その成果を出版することによって、東アジアや日本の教会の宣教の働きに資することです。そのために、ドイツや韓国、中国など諸外国のキリスト教会とエキュメニカルな研究情報を交換しつつ、特にドイツの福音主義学術研究所(ハイデルベルク)や韓国神学研究所(ソウル)などと具体的な研究協力関係を結んで、歩んでまいりました。これらが一定の成果を上げたことをわたしたちは心から喜んでいます。

これまで行われた、また継続中の研究会活動は32研究会に達し、内外(日本、韓国、中国、ドイツなど)の牧師、神父、シスター、教授、研究者、専門家など二百数十名の方々にご協力いただき、15冊の専門書を出版してまいりました。

TCCはアジアにおける戦前の日本が犯した罪過と、それに追従したキリスト教会の歩みを悔い改め、アジア共生の未来を築く共同の働きに参加したいものと、努力しているところです。

TCCでは現在、12研究会が活動していますが、1研究会は年間平均150万円の予算で研究活動を行っています。また、研究会のメンバーは平均10名で、非常勤主事なり、富坂キリスト教センターの研究主事が担当主事として研究会の事務・運営を受け持っています。これらの研究会は3年間から4年間の研究活動を経て、その成果を出版物として世に問う形にしています。

これらの研究会活動は、主として財団法人「キリスト教イーストエイジャミッション」の基金収入に依存しています。けれども、日本全体をおおって久しい不況のため、センターの財政基盤がだんだん弱体化しているのが現状です。そのためこの数年間、センター活動をできるだけ簡素にし、節約をこころがけてきました。

2000年度に発足した「戦後キリスト者平和運動の研究」会のように、独自に募金を呼びかけて、この1年間にすでに100万円以上の募金を達成し、その中からこの「平和運動」研究会の研究活動のためにと、85万円を募金してくださったところもありますが、この際、広く皆様に募金のご協力をお願いしたいと考えている次第です。

(むらかみ ひろし)




「戦後キリスト者平和運動」研究会活動報告
日本基督教団東駒形教会牧師 戒能 信生

2000年度に発足した「戦後キリスト者平和運動の研究」は、先日中間報告会を行いました。その様子を中心に研究会の様子を簡単に紹介しましょう。

1951年、朝鮮戦争の勃発を契機として始められたキリスト者平和の会の運動は、やがて全国に30数個所の支部をもつ大きな平和運動として展開されていきました。国内の様々な平和運動とも連携し、さらにプラハ平和会議などの国際的なつながりにも拡がっていきます。ある意味で戦後の教会の歩みに大きな影響を与えたこの運動も、1970年前後から停滞し、その後は各支部ごとに地域の地道な課題に取り組む仕方で現在に至っています。

戦後民主主義の諸価値が根底から覆されるような昨今の風潮の中で、このキリスト者平和の会の機関紙や集会記録などの膨大な資料を収集・整理し、その意味を再確認したいと、平和の会のOB・OGたちの有志が集まりました。研究が必要との考えから、この研究プロジェクトが富坂キリスト教センターに提案されたのでした。その際、OB・OGたちは自ら献金を募り、富坂キリスト教センターに指定献金をすることにしたのです(結果として約100万円の献金が寄せられています)。

研究会そのものは、戒能信生、原誠、田中昌樹、矢口ヨブをメンバーとし、さらに武田武長、畠山保男などの諸氏が参加する仕方で既に4回行われています。機関紙や資料などを収集し、そのデータベースを作成して、各地の平和運動の歩みの分析も続けています。

4月30日、信濃町教会を会場に、研究会の中間報告会が行われました。この研究プロジェクトに献金をしてくださった約100名に呼びかけたところ、30 名ほどのOB・OGたちが集まりました。資料でお名前だけは存じ上げていた方々が、歴史の中から甦ったような瞬間でした。もちろん高齢の方々が多いのですが、それぞれの口から発せられる発言は若々しく、またすぐにも街頭デモに飛び出しそうな元気のいい発言が続きました。この方達が担った戦後キリスト者平和運動の意味を問い、その足跡を残す必要を痛感させられたことでした。

なお、この研究会では、3年間の研究期間が終了した段階で、資料と研究論文をまとめた報告書を作成する予定です。そしてその際、頼もしいOB・OGたちが、その刊行費用を応援してくれることになっています。

(かいのう のぶお)



第3回富坂セミナー
〜生き生きと農業をするための勇気〜
(2001年2月24日-6日 於:南山教会、田瀬教会、飛騨高山教会)

「命の基を考えるきっかけ」

日本基督教団南山教会牧師 田中孝博

会場となった南山教会は、戦後、尾関誠一というキリスト者によって無一文から開拓された愛知牧場の中にある。教会はその家族の信仰を守ることから出発した。開拓当時、賀川豊彦先生をお招きして農民福音学校を開催、三愛精神を基盤としている。時は流れて50余年、自社ブランドの牛乳販売を中心に、周辺の都市化に合わせて観光牧場化しているが、厳しい経営状況の中生き残りをかけて奮闘中である。周辺の住宅化と共に教会にも会員は増加しているが、農民は牧場関係者以外にはいない。消費者として農業を身近に考えられるかが課題となる。

セミナーにはチラシを見て初めて教会に来られた若い夫婦や年配の男性、また、知人の知らせで三重県から来られた方、近隣の教会関係者を始め、当教会で竹炭を焼いているグループや婦人たちが参加した。

松村先生からは戦後の日本が歩んできた農業の閉塞的な現状や経済政策等がもたらした問題点が解説された。そして、取り組んで、生き生きしている農民を訪ねることから、発想を転換して「農業を人間の問題」として自分たちの手に取り戻すことが、喜べない状況に向かっても地道に果敢に人間そのものを回復する道であるとのメッセージを頂いた。

講演の後、おにぎりとトン汁で軽食をしながら意見交換をした。一反の畑を趣味で無農薬・有機による野菜作りをしている人は、こと自分が作る話は弾む。玄米を食べ、自家菜園で自分の食べる野菜を作っている高齢の男性は、無農薬・有機の大切さと自分の健康についての関心は高い。農業試験場の元所長は、意見を求めると「そうですな、ふおふおほ…」と笑う。問題性はよく把握していて、時間が与えられれば言いたいことも多くあったに違いない。婦人たちは日常あまり話題にならない事柄か、言葉少なであったが、考えさせられたことも多かったようで、「良い話だったねえ」との感想をあとから耳にした。愛知牧場の社長は土曜日とあって観光客への対応で出られない。本を読むからと買っていったがそのあとを聞いていない。

農業が自分の問題となるのか、身近な生活の中に関連付けて考えないと身に付かないが、本を買われた方も多いので、関心は高まったのではないだろうか。このようなセミナーをきっかけに、当教会の設立趣旨を鑑みても、消費者の側から命の基として今一度「人間の問題として農業を考える」ことは大切なことに違いない。

(たなかたかひろ)


関係書籍
『生き生きと農業をするための勇気』(新教出版社 2000年)





3つの喜びの転換

日本基督教団弘前南教会牧師 松村重雄

昨年、10月『生き生きと農業するための勇気』(富坂キリスト教センター編)が出版され、この本を用いて、第三回富坂セミナーが開催された。このセミナーの講師を勤めさせていただいたが、ここでは改めて「人間の問題としての農業」研究会の歩みの中で大きな発想の転換があった事について振り返ってみたい。

1)喜びを見出すことへの転換日本農業を研究するにあたって、その出発点をどこにおくか、ずーっと考えつづけてきた。将来を展望できない、衰退しつつある、その原因は何か、どうすべきかといった発想ではなかなか解決の糸口は見つからなかった。こういう仕方の研究は多く学者、評論家の先生方がすでになさっている。現状の暗さから始まる研究は面白くない。そこで、我々はこの困難な日本農業の現状の中で、ニコニコと喜びを以って農業をしている方々を訪ねよう、その人々が人間的弱さや行き詰まり、不安を抱えながらもなぜ農業をする事を喜べるのか、そこから始めようと発想の転換があった。これが本書の基調である。その喜びとは活きることの喜び、生かされる事の喜びであり、実に福音的喜びである。イエス・キリストの福音、それは喜びであるが、研究会の共鳴版になっていたと思える。一見、キリスト教とは直接関係ないように見える本書は実にキリスト教的な発想であり、我々の喜びの質が問われるものであった。

2)食材から、メニューへの転換 ニコニコ農業に共通した農業論は、日本農業の特質に根ざした小規模、複合、有機農業、産直であった。これは本書に報告されている。そこで本書には直接かかれていない事ではあるが、我々が問われている食生活の問題があった。季節毎に栽培される農産物(食材)から食事のメニューが考えられた生活からまず、食事のメニューを考えて食材を求める生活に日本人の食生活が大きく変化してしまっている。(食卓に季節がなくなってきている)農業に過重な営みを強いているということである。有機農業、産直(生産者と消費者が提携して)食材からメニユーを考えるのでなければ、喜びも感謝も奪われてしまうのである。自然の営みに従って営まれる筈の農業が不自然な大規模単作型、あるいは冬場でも西瓜や胡瓜を栽培するハウス栽培、農産物輸入自由化によって食べたい時には何時でも食べられる流通を可能にしていることが、ここにも我々の喜びの視点から発想の転換をせまられるのである。

3)もう一つの転換ニコニコ農民から全生活を包括した「いのち」を見つめることを学んだ。心とからだが切り離されることなく、生への信頼をもって生き生きと、それゆえに苦しみに耐える生へと解放する質をもった農業のあり方を展望することができたことを感謝している。  

 (まつむらしげお)


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