『富坂だより』 9号
2002年6月

特集:読者座談会 ―富坂キリスト教センターに期待するもの―

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富山妙子作「鳳仙花」
(1984年/朝鮮人従軍慰安婦を題材にした作品)


巻頭言

企業戦士

籔田安晴


近年、日本の企業はさまざまな事情から中国で事業を展開している。しかし政治・経済体制の違いや価値観・習俗の相異のため、苦労が多いときく。そんな企業の現地責任者の話である。その会社は、中国と欧州の合弁企業であったが、事業不振で欧州資本が撤退し、日中合弁企業として再出発した。出資比率は50対50、トップは日本人だが役員は同数、経営の意思決定は難しい。仕事は引き継いだ工場の改装から始まった。製造設備はなるべく従来のものを生かし、効率的で働きやすい工場へと改修する。最初に取り組んだのは食堂とトイレ。食堂は工場の中央の本館最上階に広く大きくとり、役員も従業員も全員がそこで同じ食事をとる。トイレは徹底的にきれいにする。工場内の整理整頓・清掃は担当作業と同様の重要な仕事とする。共働きの従業員のために保育所をつくる。早く操業開始をとせまる人々を押しとどめ、これらを徹底して実施した。指導にあたる日本人スタッフは仕事本位で選び語学は二の次。中国側にはトップが率先して企業理念と計画目標を説き粘り強く理解を求める。その上で最新の商品の製造技術を提供し、ようやく操業を再開した。先の欧州資本の流儀とは多くの点で対称的であった。朝はやくから夜おそくまで現場でともに働くトップの姿は社員の志気を高め、業績は好転する。この会社を訪れたとき、日本の企業にもまだこのようなすばらしい人がいるかとひそかに感動した。今は死語となりつつある企業戦士である。ながい海外勤務で得た冷静で現実的な進め方、強い信念と使命感が、現地の人々から尊敬されるまでの成果をもたらした。教会とその周囲にも実践的で個性的な魅力ある人材がもとめられているのではないか。富坂キリスト教センターの活動がこのような人づくりに役立てればと思う。

(やぶたやすはる・TCC理事)




読者座談会  「富坂キリスト教センターに期待するもの」
    話し手
    戒能信生(教団東駒形教会牧師)
    増田 琴(教団氏家教会牧師)
    山岡三治(上智大学教授)

山岡 イエズス会の神父で山岡と申します。7、8年前より上智大学で教えています。大学では「秘蹟論」「霊性神学」「エキュメニズム」等を担当しています。TCC との関わりでは、現在「現代世界における霊性と倫理」研究会の座長をしております。今まで、TCCの本を読んではいたのですが、実際に関わらせていただいて、多くのことに感謝しています。一つは各分野で活躍しておられる方々との出会いを得たことです。カトリックの人達にもTCCは関心を持たれていますが、それは、学際的でエキュメニカルな研究団体という特質のゆえです。カトリックにもテーマ別の社会司牧センターや霊性センター等はありますが、学際的で総合的なものがない。TCCのような活動をカトリックでもできたら、と思います。もう一つはアジアとの関わり、アジアの中での日本の役割を大切にしてこられたことです。日本人が担うべきことは多くあるのに、日本人自身がわかっていない。その点を啓発するようなテーマをTCCは担ってこられたと思うし、これからも担ってほしいと思います。

増田 増田です。栃木県の氏家教会の牧師をしています。農村部であり、宇都宮の通勤圏でもある地域で2万7千人位の町です。60名くらいの園児のいる幼稚園の園長でもあります。地方の教会としては天皇制反対も打ち出せる少しめずらしい教会です。人権意識を持った人たちが集まっていますし、地域の中でそれを養っていこうとしています。教会員40名弱、礼拝出席20名ほどの教会です。私の夫は牧師ではなく信徒で、子供が3人います。TCCとの直接的な関わりは特にありませせんが、その活動には、関心を持ってきました。TCCにはキリスト教女性史の『近代日本とキリスト教女性』等の研究成果がありますが、将来に展望を持てるようなジェンダーに関する発信をしてほしいというのが、私の希望です。現在、教団の宣教研究所の研究員として、女性教職について研究しています。教団では女性教職が早い時期に認められたのですが、あまり議論が積み重ねられないままに来てしまったために、構造的な性差別はそのまま残ってしまっている気がします。

戒能 先ほど、山岡神父にお年を聞いたら、ほぼ同世代の戦後生まれでした。現在東駒形教会の牧師で、教団の宣教研究所の室長をしています。学生運動の経験がやはり大きく、多数の者がその中で、教会から去っていった。私はたまたま周りから支えられたから、残ることができた、そういう世代です。20年以上、無資格の牧師、信徒伝道者でした。TCC での関わりは、「戦後平和運動」研究会の非常勤主事です。現在の教団の宣教研究所では、「教団の宣教に資する活動」ということが求められるので、必然的に他教派との学際的な交流というものは抑制されます。TCCはそれをできるからうらやましい。しかし、逆に言えば、グラス・ルーツの教会からは離れるという弱点があると思います。また、財政的に見ても、TCCは独立して運営している。支援してくれる教会というのが、もともとなくても自立できているから、直接教会のニーズに応えなくともいい。そこに、独自の活動ができる自由さがあると思います。この15年のTCCの出版物については、玉石混合だと思います。たとえば、『日韓キリスト教関係史資料』などは、これなくして次の研究はありえない、というほど学問的な必須文献を出版した。また、学問的に高度でなくとも信徒によく読まれているものもあります。最近の『鼓動する東アジアのキリスト教』は、討論も採録して、読みやすく、学問的にも高度なものをわかりやすくまとめてい ると思います。また自分が担当している、 1950−60年代のキリスト者平和運動の分析などという地味で誰もやってくれないような研究を、TCCは引き受けてくれた。そういう意味で多様かつユニークなものをTCCは展開してきたと思います。こういう研究活動がしかし、他のところでも為されていないか?というとそうでもない。エキュメニカルで学際的な研究活動は、TCCが先鞭をつけてくれたおかげで、他のところでも可能になってきました。その意味では、誰も手をつけていない研究テーマをこれからもやるべきだと思う。

山岡 今の時代誰も手をつけていないもの、という時、それを見る視点が必要だと思いますが、マージナライズされた人々の視点やどうしても残さねばならないもの(キリスト者平和運動資料等)になってくるのでしょうか。 戒能 たとえばカトリックにあって、教団やプロテスタントにないものとして、霊的な共同生活があると思います。優れたリーダーの下に霊的な修練と祈りの共同生活をしてもおもしろい、と思います。15年の研究成果が同じようなペース、 同じような展開でいいのか、ということです。

増田 さきほど現場の教会から遠いのではないかという発言がありましたが、確かにTCCの研究活動は、教会で日常出会うことがテーマになっているわけではない。ですからそのテーマをつかむかどうかは、受け手が宣教ということをどう捉えているかにかかっていると思います。TCCの出版物もそういう意味では受け手を育てるフィード・バックが必要かと思います。さらにい えば、神学教育の中で、現代的課題をフィード・バックしてゆくだけの学びと訓練が積まれているのか、ということです。

山岡 フィード・バックすることは大事で す。今まで研究者は自分の研究を出してし まえば終わりでしたが、どこかに出かけて いって分かち合うことが必要。その意味で 橋渡しの企画が必要かと思います。たとえば、神学生達を生かす方法はないだろうか、 と考えます。自分の教派の中だけで育てられていては狭くなってしまうと思います。

戒能 学際的なエキュメニカルな研究活動ということでTCCは先鞭をつけたが、やれてこなかったことは直接的に人を育てること。教会の直接のニーズからはやや遠いが、やるべきことではないのでしょうか。

増田 それに関連していえば、たとえばスーパーバイザー的な役割がプロテスタント教会ではシステムとしてない。若手牧師はいくらでも聞きたいことはあるのに。

山岡 確かにカトリック教会では、スーパーバイザー的な制度があります。年に一回は上長に会って報告をしなければならない。上長は働きすぎている人に、疲れているから休みなさいと言って、移動させることができる。忙しい人ほど仕事を抱えてそれが手放せない、そして本人にも周りにもよくないことが多々あるけれど、そういうものをパッと外から切ってくれる。人間には痛いことを言ってくれる助言者が絶対に必要なんですね。うまくその制度が機能すればそういうことができます。

戒能 それは大変うらやましいですね。

山岡 TCC では今まで関わった研究者の人材リストを上手につかえないかと思います。これは宝物の一つですよ。

戒能 今まで関わった研究者や、もっと広く、TCCの出版物を関心をもって読んでくれている人たちによびかけて、リ・ユニオンや「富坂DAY」のような公開日を持ったり、工夫はできるのではないですか。これからは、さらに裾野をひろげ、人材を育てるような活動を期待します。

(2002年5月30日/聞き手 編集人)




研究会の窓から 「もっと子どもたちの声を」

木原葉子

1999 年に発足した「子ども文化とキリスト教」研究会は今年で4年目を迎えました。過去3年は、昨今の子どもたちの現状、子どもたちに起こっている大きな変化、また学校現場の状況等について認識を深めるべく、楠原彰(教育学)、新澤誠治(児童保育)、村瀬学(児童文化論)といった方々の講演を聴き、家族、子どもの身体、子どもと宗教性等のテーマに関する著作を取り上げて話し合いを重ね、教育改革で全国的にも話題になった福島県三春町の中学校を視察に行く、というような活動を行ってきました。ただ、研究会のメンバーはそれぞれに子どもたちと関わりを持つ現場を持っており、研究会で得た知識なり成果をそれぞれの現場でどう具体化できるのだろうか−という問いにいつも突き当たってきたように思います。

まとめに向けてどうするか−という段になって、「子ども文化」と言いながら、子どもが登場しないのはおかしいじゃないか、子どもの声を聴く場を設定したらどうだろうか。今の子どもたちを取りまく状況はこれこれです、と評論家みたいなことを言っていても仕方がない、子どもたちの生の声をもとに我々も議論をし、改めてキリスト教とは何かを考えていこうじゃないか・・・という方向付けがなされました。これからの手続きとしては、それぞれの持ち場で子どもたちの座談会を開き、合宿でそのテープを聴いて議論することを積み重ね、子どもの声とそれを受けた大人の声からなる書物が2,3年後に出版されることになります。座談会は今のところ、いわゆるエリート校の男子学生のグループ、キリスト教主義学校の女子学生のグループ、在日大韓教会の教会学校に集まる子どもたちのグループ、それにわたしの属する深川教会に集まる塩浜子供会のグループ、山梨白州で年7回行われている季節の学校キララのグループ、とそれぞれ状況の異なる5つのグループが取り上げられることになっています。座談会をどう展開するかは、それぞれに任されていますが、「いのち」「自分にとって一番大切なもの・こと」「宗教」の3つをキーワードにしよう、ということだけは決めました。

塩浜子供会の活動は深川教会と江東YMCAが30年以上前から主に在日韓国朝鮮人の師弟を対象に行ってきた地域活動ですが、私たちが引き継いで間もなく江東Yが諸事情から撤退し、場所を塩浜地域集会所から教会に移して細々と補習塾を続けていましたが、なぜか場所を移してからの方がこの地域の子どもたちがたくさん集まるようになりました。こちらから根ほり葉ほり聞くことはなく、気が向くとぽつりぽつり話す程度ですが、生活保護家庭、母子家庭、父子家庭、両親の離婚による崩壊家庭など、家庭にも学校にも居場所のない子どもたちであることは明らかです。その中の中学生たちが定時制高校に入学してからは、集まる時間もだんだん遅くなり、単なるたまり場として週1回、集まるようになりました。とりあえず10人分ほどの夕食は用意し、話し相手になったり、楽器をやったり、パソコンで遊んだり、とりとめなくつきあってきましたが、昨年の夏休みを境に、子どもたちの足が途絶えています。町中であった子に聞くと、グループの人間関係の問題や、バイトでそれぞれ忙しいなどという返事が返ってきました。学期末になると律儀に通知票を見せに来る子、ぶらっと顔を見せに来る子もいますので、「座談会」とは言わず、久しぶりに同窓会でも開こうか、という形で親身になって関わってくれていた大学生のリーダーも含め、声をかけようかと考えています。話をしても、核心をつくようなことははぐらかされ、本音は聞かせてくれないかな、とは思いつつ、言葉にならない彼らの表情、心の奥底の思いを読みとれたらと願っています。

(きはらようこ)




【書評】『大正デモクラシー・天皇制・キリスト教』(富坂キリスト教センター編  2001年 新教出版社)

神戸賀川豊彦記念館資料室研究員 浜田直也

 『大正デモクラシー・天皇制・キリスト教』は、大正期のキリスト教知識人の民主主義観と天皇制下の政策の絡みを検証したものである。本論文集は、大正期のキリスト教民主主義者を、時代性を踏まえて個人的天皇観に左右されずに、その政治姿勢を客観的に評価することに成功している。戦後の歴史家が、大正期の知識人の政治姿勢を天皇制を肯定したか否かによって結論づけるのは、時代的制約を無視した反歴史的評価である。大正期に生きた明治生まれの人々にとって、天皇は、封建時代を終わらせ近代国家を創出した聖人君主なのであり、天皇制は、彼らにとって民主主義実現のために克服すべき対象ではなかったのである。例えば、キリスト教徒の内村鑑三と社会主義者の幸徳秋水は、ともに天皇制を肯定している。むしろ、明治・大正期の知識人にとっては、民主主義の理想の実現は、天皇の裁断によるとの認識があったのである。そして、賀川豊彦が指導した、1921年の神戸川崎・三菱造船所職工の争議団は、生田神社で賀川の音頭で「天皇陛下万歳」の三唱しデモ行進を始めている。『天皇陛下万歳』の三唱によって、当時の人々は、勇気づけられたとする指摘もある(武藤富男『評伝賀川豊彦』)。また、明治天皇を封建制度解放の理想像とする思想は、中国においても存在していた。戊戎維新(1898年)で清朝の皇帝制を立憲君主制に改造しようとした康有為・梁啓超と、辛亥革命(1911年)でアジア最初の共和制国家の中華民国を建国した孫文においても、明治天皇は民衆解放の偉人であったのである。この論文集では、片野眞佐子氏の『近代皇后像の形成』には、貞明皇后は、天皇が病床に伏した後、軍部の圧力を避けるために天皇家を政治圏外にあって国民統合の象徴となるように救癩病活動に尽力したことが紹介されている。天皇家もデモクラシーの流れに沿って人民との接触をはかっていたことがうかがえるのである。また、松尾尊~氏の「満州事変下の吉野作造」は、大正デモクラシーの理論的指導者でキリスト教徒の吉野作造は、満州事変を帝国主義的侵略であると見抜いていたとし、吉野の中国民衆の立場に立つ政治見識を検証している。吉野は、彼の『民本主義』が天皇制を否定したものでないため現代の歴史家からその 民主主義の限界を指摘されているが、彼が民衆の立場に立つ民主主義者であったことは本稿によって明確にされたのである。

 (はまだなおや)



【インタビュー】「ドイツ宗教事情」元・TCC協力主事 U・デーンさん

この度、8年間TCCの協力主事として働き、95年に帰国したウーリッヒ・デーンさんが調査研究のため来日した。現在のドイツでの活動のことなど、お話を伺った。(編集人)

―― 今ドイツでどのような活動をしているのですか?

デーン 福音主義宗教・世界観研究所(EZW)というところで、5人の幹事の一人として働いています。キリスト教以外の宗教、新宗教、心理学的な団体、カルト等の研究をしつつ、相談や講演・研修といった活動もしています。相談では、たとえば、インドから来た瞑想のグループに家族が入ってしまったが、変な影響はないのか、とか、息子がカルト集団に入ってしまったが、私の死後、遺産はその教団にいってしまうのだろうか、といった具体的な相談にものっています。

―― ドイツの教会ではキリスト教以外の宗教・新宗教に対する関心は高まっているのですか?

デーン そうですね。実際にたくさんの新宗教やカルトがドイツに入り込んできていますからね。私が話にゆくと、一般の信徒というよりも、教師や教会のリーダー達が話を聞きに集まってきます。神学生の関心は一般の学生よりは低いですね。9・11の事件以来、イスラム教への関心は非常に高まっていて、私が依頼される講演は、現在ほとんどがそうです。又仏教への関心は高いです。

―― エキュメニズムや他宗教との対話の動きはどうですか?

デーン エキュメニズムへの関心は低くなっていますが、他宗教との対話の関心は高まっています。たとえば各州教会には「黙想の家」 (Haus der Stille)があり、キリスト教の伝統的な黙想・瞑想のほかに、東洋的な瞑想(坐禅)や太極拳、気功、ヴイパサナ瞑想(呼吸に集中する瞑想)などが取り入れ られています。何故教会が東洋の宗教を扱うのか、という批判もありますが、運営には牧師があたっていますし、確実に定着しています。アンケート調査によると、中年のインテリの女性が参加者に多い、と言われています。

―― 何故、特に女性たちが?

デーン よく聞かれる質問です。中年のインテリの女性たちは、さまざまな価値観を比較検討する柔軟性とそれを試して見る自由さを持っているからではないでしょうか。男性の方が、頭にインプットされているものに弱く、伝統的価値観から自由になれないからかもしれません。

―― 現在の仕事はおもしろいですか?

デーン はい。でも一種の職業病ですが、「変な世界観や宗教に引っかかっているのではないか」という目で、すべての人を見てしまうことが欠点です。調査では7割の人は、伝統的価値観のうちに生活しているのですが。

―― 富坂で働いていた時、印象に残っていることは?

デーン 93年に出版した『現場の神学』のこと、又、セミナーハウスを閉じて、新しい活動に踏み出していたTCCにとっても激動の時期を過ごしたこと、「国際の家」の所長を務めましたが、留学生との出会い等が印象に残っています。

―― 今回の日本滞在の印象は?

デーン 今回は、日本の新宗教、立正佼成会、創価学会、崇教真光、真如苑等の調査が目的だったのですが、人々が組織宗教から離れて、個人の信じる信仰を守る傾向が強くなっている、という話を何人からも聞かされました。それはドイツでも同じで、興味深いと思いました。                       

(まとめ:編集人2002年4月2日TCCにて)



第4回富坂セミナー「農業と食べ物を考える会」のこと

日本キリスト教団野幌教会牧師 渡辺兵衛

経済のグローバリズムによる農産物自由化は、日本の農業に壊滅的な打撃をもたらしている。食糧自給率も生産の担い手も減少の一途をたどり、これ程食べ物を外国に依存して平気でいられる国民は、恐らく世界中にないであろう。米、野菜、酪農、果樹・・・どの分野でも農業生産者は、苦悩を強いられている。私は若い時農業を志し、大学では酪農を学んだが、自分では飛び込んで行く勇気がなかった。しかし、農業に従事する多くの素晴らしい人たちに出会い、彼らと共に生きる道があることを知った。牧師になって20年間、農民と共にありたいと願い続けている。あと10年程牧師をした後には、土を耕す生活ができるかもしれないと思っている。世界ではすでに飢餓が起こっており、食糧危機は私たちにも迫ろうとしている21世紀のこの時、「日毎の糧を与えたまえ」と日々祈る者として、神の賜物である食べ物を世界のすべての人と分かち合わねばならない、と強く思わされる。そのために、私たち日本人はできる限り食べ物を自給しなければならない。そして、その担い手である農業に従事している一人ひとりの存在が本当に大切だと思う。自分にできることは何かを考えた。北海道には200人以上のキリスト者農民がいる。この人たちが互いに知り合い、つながりをつくる場がもてないか、まずこのことでは ないかと示されたが、先立つものは何もない。

神が必要とされるなら導いてください、と祈りながら構想を練っていた。ある会で松村重雄牧師から、富坂キリスト教センターの「人間の問題としての農業研究会」を北海道で開きたい、と聞いたことによって道が開かれた。京都から飯沼二郎氏を講師に迎えることができ、道内の4人の農業生産者を提言者に立て、富坂キリスト教センターと共催で「第1回北海道農民キリスト者の集い」を野幌教会を会場に開催することができた。1996年3月のことだった。さまざまな教派に属する農民信徒や牧師が全道各地から約60名集まり、ここで語られた三友盛行さん、高松恵子さんの提言の内容が『生き生きと農業をするための勇気』に掲載されている。これがスタートであった。それから年1回の集会を重ね、今年3月第7回目が開かれた。その間に名称を『農民と食べ物を考える会』と改め、会則をつくり、主旨に賛同する会員(年会費1000円、現在103名)によって運営が支えられている。まことに遅々とした歩みであり、この世の巨大な力に抗するにはあまりにも小さな業だが、着実に出会いの輪は広がっている。人と人とのつながりをつくりながら、ねばり強く続けていくことが希望に向かって行く道だと思う。                       

(わたなべひょうえ)



シリーズ ひと・ひと・ひとA
 金 麗湖さん Kim Reaho

5・ 6年前からゲスト・ルームの宿泊客でめずらしい方がいる。日本の植民地統治下の朝鮮に生まれ、南北分断後、朝鮮で教育を受け、ソビエトに留学し、現在はロシアで約100万といわれる「高麗人」(カレースキー)の文学研究者として活躍中の金麗湖(キム・レーホ 本名 金麗●キム・レーチュン)さんである。TCCとの関係はTCC にある「国際の家」で早稲田大学の客員教授として暮らした後、五カ国シンポジウム準備のためモスクワを訪問した鈴木主事に出会ってから。植民地解放後の 15年間一度も日本語を使わなかったが、ロシア留学の際、日本の文学研究の必要に迫られて使い始めたら、難なく使いこなせたそうだ。いわく「ある水準に達すると、語学は忘れません。だから中級程度でやめてしまうのはもったいない。」流暢で、奥ゆかしい日本語で話される。

1910年の日韓併合以後、土地を奪われた人々は中国の寧辺(ヨンビョン)(旧満州)、ロシアヘ移民した。戦後半分が帰国したという日本の在日コリアンに比べて、ソ連から帰国した人は極わずかで、大部分が定着した。1948年、麗湖さんはソ連へ留学。三つの大学で学び、ロストフ大学卒業後、平壌で3年間教えた後、モスクワ大学大学院で研究を再開し、そのまま大学に残ったそうである。現在はモスクワ大学の教授である。

専門は19世紀-20世紀のロシア文学、日本文学、特にトルストイ。『トルストイと東洋文学』という研究書も出版している。「日本ではトルストイの翻訳・研究ともに非常に水準が高い」と賞賛。また10年に一度は、日本の良質な中篇・短編小説等をロシア語で翻訳出版。50万部がすぐに売れ、4巻まで出版したそうだ。芭蕉もロシアではよく読まれていて、「"麦の穂をつかむ別れかな"という句は絶品で、よく知られています」とロシア語訳を披露してくれた。「しかし、今はこの仕事ができません」と少し顔を曇らせた。「今は文学の時代ではありません。人生の意味、人生のあり方を問う力によって、文学は形成されますが、そういう精神性が日本の現代文学から消えてしまいました。スパイもの、ホラー、ミステリー、恋愛小説と娯楽文学ばかりが流行っている」と厳しい。「だがいつかきっと又文学が本流に立ち返る時が来る、と信じています。」と最後に語られた。(●は王偏に春。2001年10月1日)

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