『富坂だより』 10号
2002年12月

特集:トレッフプンクト富坂

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富山妙子作「倒れた者への祈祷―1980年5月光州」
(1980年)


巻頭言

センター「将来構想」実現へ向けて

武田武長


富坂キリスト教センターは今第四期の活動期に入ろうとしている。第一期はセンターが設立されたいわばセンターの活動準備期で1976年から1981年までの時期で、ドイツ東亜伝道会の残した不動産整理以外に独自の活動はまだなかった。第二期は1982年から1991年までで、二つの活動を立ち上げた時期であった。その一つである研究会活動は、キリスト教社会倫理の諸問題を学際的に共同研究し、その成果を出版することによって、日本の教会の宣教の働きに資することを目標にしてきた。他の一つである研修活動は、相互牧会の会、相互牧会協議会、アジア諸教会共同研修会という形で行われてきた。第三期は1992年から2001年までで、研究活動に一本化した時期であった。2001年までに32の研究会が組織され、二百数十名の方が共同研究に参加し、18冊の研究成果が出版された。それらは内外で注目もされたが、しかしその研究活動のあり方や成果についての自己検証も必要であることも自覚されてきた。

2002年はじめに理事会は「将来構想」を採択したが、これはセンターの歩みの第四期を画するものであり、センターは今その将来構想の実現に向けて歩み始めた。その構想の一つは、ドイツ東亜伝道会とスイス東亜伝道会が1951年京都に設立した「財団法人基督教イーストエイジャミッション」の東京における事業団体という形で存在しているセンターが、1961年のWCC(世界教会協議会)の「ニューデリー宣教神学的原則」に従って、ドイツとスイスの教会およびその諸宣教団体との関係の刷新をはかることである。それは財団およびセンターが対等なパートナーとしての主体性を法的にも確立することを意味することになろう。構想のほかの一つは新たな牧師研修の活動の実現をはかることである。

この夏、新理事長として最初に担わしめられた責任は、この将来構想の第一の柱の実現にむけて、鈴木総主事と共にドイツとスイスを訪問し、ドイツ東亜伝道会(DOAM)、ドイツ福音主義教会南西ドイツ宣教事業部(EMS)、ベルリン宣教事業部(BMW)、スイス東亜伝道会(SOAM)、スイス宣教会連盟ミッション21の責任者たちと協議することであった。ドイツのウィリンゲンでの最初の協議の朝、与えられた聖書の言葉は「門をたたきなさい。そうすれば開かれる」(マタイ7・7)であった。閉ざされたかに見えた門は確かに開かれたのである!

(たけだたけひさ・TCC理事長)




トレッフプンクト富坂 
芸術と哲学と宗教が融合しあう場を求めて (2002年11月9日)

去る11月9日(土)、公開プログラム「トレッフプンクト(ドイツ語で“出会いの場”)富坂」が開催された。準備期間が短かったため、参加者数は約20数名と少なかったが、充実した話し合いの場となった。   TCCが富山妙子さんの絵『鳳仙花―夜の深さに』(前号表紙)を譲り受けたことをきっかけに記念会を模索していたところ、富山さんの友人で花崎皋平さん(哲学者)・太田昌国さん(社会評論家)、また韓国より朴ソンジュンさん(民衆神学者)、中国出身の薛恩峰さん(日本基督教団牧師)が参加してくれることになり、自由な話し合いの場をとにかく作ろうということになった。普段、非公開での共同研究を主にしているので、TCCに関心を持ってくださっている方にもこの場を知ってもらおうとの意図もあった。

スライド『きつね物語―桜と菊の幻影に』

秋晴れの日に、手製の垂れ幕が翻る中、会は始まった。午前の第T部は、ロビーに『鳳仙花』の絵、会場には制作中の『海の道・傀儡子物語』の絵5点が展示された2号館で、鈴木正三主事の司会で始まった。主催者あいさつの後、スライド『きつね物語』(富山妙子絵・詞、高橋悠治音楽2000)が30分ほど上映された。満開の桜の下、婚礼を終えた狐の花嫁を戦場に見送る行列。荒野に刻まれた戦争の傷、慰安婦の長い髪の毛。そして戦後、菊の花の下で迎える経済繁栄の東京。東京湾に戦争の死者たちの骸骨や戦争の記憶をつんだ船がやってくる。重層的な意味がこめられた豊かな視覚のイメージと音楽で展開された。参加者一同は芸術の持つ力に大いに揺さぶられたひと時だった。参加者で美術史家の池田忍さん、金恵信さんは、富山さんの絵を次のように解説してくれた。「富山さんの絵の美しさはイメージの豊かさにあって、スライドで最高度に発揮される。富山さんの作品は日本美術史の絵巻物の系譜につながる先駆的な存在だと思う。また日本の植民地時代に、シナ服やキーセンの女性を描いた作品は多々あり、それはアートとして評価されても、主題とされた人々の問題はほとんど無視されてきた。富山さんはそういう忘れられた声を聞き、創作を続けてこられた稀有な画家だといえます。」

薛恩峰さんからは、「音楽がすばらしい。日本の笙の音、中国の笛やドラ、韓国の太鼓等アジアの様々な楽器を使ってそれがぴったりと溶け合っている。アジアはひとつなのだということを感じさせられる音楽だった」との感想があった。

花崎皋平さんより富山さんの「芸術と宗教と哲学が融合しなければ」という発言が紹介され、「富山さんの作品は共感、というよりも、ピエタス、対象に対する宗教的な感情に結びつくような美しさ、悲に裏打ちされた愛だと思う」との感想が述べられた。チェコの哲学者カレル・コシクが語った「美しいもの、崇高なもの、親密なものが結びついたものが詩(ポエジー)である」との言葉に結び付けての発言となり、話し合いの一つのキー・ワードとなった。

きつねと桜と菊の花と戦争と骸骨の強烈なイメージを多用したスライドへの感想として、「魔術的な力を持っている絵だが、かえって洗脳されてしまうようで、逆方向へ使われたら恐ろしい、と思った。手放しで賛辞できない作品だ」との発言もあった。

光は絶望の深さから出てくる

第 U部は会場を1号館に移し、手作りの昼食(餃子、チャプチェ、キムチ等)をはさんで、石井智恵美主事の司会で行われた。参加者からの質問を受けて富山さんより、『きつね物語』のきつねについて次のように説明があった。「きつねは稲荷信仰にもあるように霊妙なイメージを持つ動物です。中世神仏の研究者山本ひろ子さんのテキストで、高橋悠治さん(「狐」とうい音楽劇を作曲した)のイメージをさらに私が展開させました。大嘗祭では天皇ときつねが契る儀式があり、神道と権力との関係性を取り入れ、そこから生まれたのがこの作品です。」また製作中の『海の道・傀儡子物語』について「海は国家に制約されない民の交流という自由なイメージがあるが、実際には大航海時代に象徴されるように、国家・所有に結びついてきた」と語る。

参加者の一人賈晶淳牧師より水面は侵略かもしれないが、海の底で死者たちに出会うというイメージが富山さんの絵にあることが語られ、「国家は境界を引くが、民衆が常にそれを破ってきた」との発言があった。参加者の一人東海林勤牧師が次のように語った。「70年代に富山さんと出会って、韓国の民主化闘争を共に支援してきたが、自分の中では芸術と哲学と宗教は結びつかなかった。最初に見た絵の印象は“救いがないなあ、暗くてかなわないなあ”というものだった。だが、最近の作品には明るさを感じる。自分の見方が変わった。明るいものをそえるということをしないで、絶望や暗さをそのまま表現することが光を表していると感じる。」富山さんは「単なる明るい暗いではなく、<光と闇>は宗教でも芸術でも同じテーマではないか。光は絶望の深さから出てくるのではないでしょうか」と応じた。

正義と和解―「敬聴」と日常性の中の光

また、朴聖悛さんより韓国民主化闘争の中で捕えられた自身の13年半の獄中生活を通じての体験が語られた。午前中に国際女性戦犯法廷に関わった人たちより、沈黙のうちに埋められていた従軍慰安婦にされた女性たちが「天皇ヒロヒト有罪」の判決にとめどもなく涙を流した場面に立会い、「正義なくして和解なし」との思いを強くしたとの発言があったが、朴さんはこのことを受け「裁きや正義を過小評価してはいけないが、彼女達にとっては恨(ハン)だけがあったのだろうか?そうではないことははっきりしている。自分も屈辱と忍従の獄中生活ではあったが、ただそれだけではなかった。だからこそ、正義の問題が恨(ハン)だけで解決できるのか、と疑問をもっている。正義という一つのモノサシ、一つのスタンダードだけでは現代は解決不能なところに来ている。だからこそ、注目されず片隅に押しやられてきた人々の声を聞くこと、「敬聴する」こと、そして事件だけでなく日常性の中にある光を見つめることを大切にしている」と語った。太田昌国さんより、「新左翼の時代の社会的政治的運動は、自分達が絶対正義になってゆくというあり方への自己懐疑が結局は浅かった。だからこそ理想を掲げた運動が失敗に終わってしまった。その自覚なくしては未来への道はない」との発言があった。

タイタニック号を降りて一人で船出する

「富山さんより「こういう話し合いを持ちたかったのは、芸術とは何かということを模索する中で、自分の拠って立つところが決定見えてきた体験から。近代社会をタイタニック号にたとえて言えば、私は3等客で、1等・2等客に対して平等を求めていたにすぎない。しかし近代というタイタニック号に乗っていたこと自体がどうも違う、一人で船を出そうと思いました。」すると花崎さんから「無縁・無主・無所有でいこうと思っている」との発言があった。そこから歴史の中を流れる「無縁」の力についても話が展開し、一人一人が船出するところに希望があるとの発言があった。  正義と和解の問題の関連で、関係性の問題、関係性を形づくる「個」や「自我」の問題も出されたが、自分自身の存在すら感じられなくなってリスト・カットをする若者の急増の問題や、言葉化することを重要視するあまり言葉にできないものを軽んじてきたプロテスタントの心性の問題性も提起された。テーマも講演もない自由な話し合いの場として設定したので、どのようなプログラムになるか危惧もあったが、予想以上に白熱した議論となり、時間をオーバーするほどだった。最後に朴さんが持ってきた韓国の鐘の音に耳を傾け、各々の思いを鐘の音に包んで終わった。

(まとめ 編集人)




『大正デモクラシー・天皇制・キリスト教』の 書評をめぐって

鈴木正三

  前回、『大正デモクラシー・天皇制・キリスト教』の書評を浜田直也氏に書いていただきました。ありがとうございました。富坂から出している諸出版物は、さまざまの立場の人々が読んでくださっているようで、感謝します。別の本ですが、長文の批判を書いてくださる方もいました。今回浜田氏の書評もそのひとつと考えています。これに対して、何人かの方々から富坂キリスト教センターの姿勢を問う、とこの書評を出したことについて、再批判をいただきました。そこで、この機会に、本書の研究会や執筆者の見解ではなく、私の考えているところを書いてみたいと思います。

土肥氏が本書の「はじめに」で書いてくださっているように、富坂キリスト教センターは研究活動の最初のテーマとして、1982年に『大嘗祭とキリスト教』を選び、学際的共同研究の成果を1987年に出版しました。それ以来今回で同種の研究テーマを4回出版したことになります。それほど継続的に天皇制とキリスト教の関係を究明しようとしている理由は、日本のキリスト教史で最も重要なテーマでありながら、十分に研究されてこなかったと思われるテーマだからです。また、第二次大戦下の天皇制に苦しめられた教会が、朝鮮半島、中国、東南アジアなどで同様に天皇制によって多大な苦難を強いられつつ戦った人々やその教会と、行動を共にできなかったという罪責を持つからです。そこで、当時の苦難の事実をしっかりと見つめ直し、その上で現在のわれわれの立場から、なぜ当時はあのような歴史の流れになったかを究明しよう、ということになったのです。

この立場から浜田氏の批評を見ますと、まず浜田氏は本書のほとんどの執筆者の分析を反歴史的評価と見ているようです。たとえば、大正期、賀川豊彦などの知識人が天皇陛下万歳を三唱したからといって、日本を封建時代に逆戻りさせようとしたのではない。むしろ天皇は彼らにとってそれを終わらせた聖人君主であったと評価します。ここから、現代の価値観から当時の歴史を分析するのは反歴史的だと断じるのでしょう。けれども切り口を持たない、価値観のない分析は歴史分析ではありません。浜田氏も明らかにある現代の史観を持って分析するからこそ、天皇を賛美した者だけを選んで論じるのではないでしょうか。

このことが非常にはっきりと分かるのは片野氏の論文に対する評価です。浜田氏は、片野氏は皇后節子は「救らい活動」に尽力し、天皇家もデモクラシーの流れに沿って人民との接触をはかっていたとまとめている、と言って片野氏の論文を評価します。けれども、私が読む限り、全く逆に、片野氏は皇后節子が政争の外に置かれた天皇家の象徴として「救らい活動」の中に活路を見出そうとした働きを批判的に掘り起こしたように見えました。本来はもっと早くハンセン病者の隔離政策が廃棄されたはずなのに、戦後も現代に至るまで90年間も「患者」に苦難を強いてきたのはなぜかという問いは重い重い現代の問いです。片野氏は「あとがき」でも2001年5月のハンセン病者に対する国の謝罪と賠償問題にふれています。大正期、このハンセン病問題に対して演じた天皇家とキリスト教の隠蔽構造の歴史の一端を、片野氏はここで本論と平行して明らかにしようとしたのではないでしょうか。苦難の実態を考える時、当時は「らい予防」が福祉事業だったので、当然の対応だったといってすむ問題ではなく、これから究明しなければならない今後の歴史的課題でもあるからです。

本書で浜田氏が取り上げた諸問題のうち、二点を選んで書いてみました。関心のある研究者からさらに反論が出て来るかもしれません。いずれにせよ書評などを通して一層、本書が議論されていってくれればと思います。

(すずきしょうぞう・TCC総主事)




日本の「諸宗教研修と対話」プログラム

NCC宗教研究所 マルチン・レップ

 過去30年で、西洋キリスト教社会は多宗教社会へと変化しました。その変化に神学的に応えるために、南西ドイツ宣教団(EMS)は、イスラム教との宗教間研修プログラムをベイルートに開設しました。そしてNCC宗教研究所に対しても、京都での日本の「諸宗教研修と対話」プログラムの開設を要望してきました。それをうけて、今年の 10月より、このプログラムが開始されました。神学部学生や宗教教育を専攻する学生を主な対象とした、アジアの諸宗教に関する研修と対話のプログラムです。初年度である当学期には、二人の学生が参加し、「神道と民俗宗教」、「仏教」、「新宗教」、「日本のキリスト教」、「諸宗教の神学」と「日本語」の講義を受講しています。

(1)日本の民俗宗教の講義では、祖先崇拝やシャーマニズム、修験道、「けがれ」と「おはらい」の概念などのテーマを扱います。神道の講義では、神道の諸形態や神社建築、祭り、神話、「神」概念などを扱います。(2)日本の仏教の講義では、仏教伝来より今日に至る歴史的展開と、各宗派の教えの概要を紹介します。(3)日本の新宗教の講義では、近代初期の天理教や大本教、金光教、戦後の立正佼成会や創価学会、そして90年代の所謂「新々宗教」などを紹介します。(4)日本のキリスト教の講義では、16,17世紀および明治期以後の宣教と、教派の展開、土着化教会の発展などを扱います。(5)日本の神学の講義では、植村正久、海老名弾正や賀川豊彦、内村鑑三など、代表的な日本のキリスト教思想家を紹介します。(6)宗教の神学と諸宗教間対話の講義では、包括主義および多元主義の神学モデルや、仏教とキリスト教の対話を紹介し、留学生の他宗教との出会いを理論的にサポートします。また、他宗教の代表的なテキストの英訳されたものを講読する講義が予定され、留学生の諸宗教理解を深める一助となることでしょう。

このプログラムはプロテスタント、カトリックを含めて超教派的なものとして運営されます。学生の一人であるマルクス・ゲーベルさんは、ドイツのミュンヘン大学でカトリック神学の学位を得た後、昨年は同志社大学チュービンゲンセンターで日本語を学びました。彼は、東西の宗教思想の邂逅に関心を持ち、博士論文は京都学派に関して書く予定です。もう一人の学生である魯恩碩さん(ノ・ウンソク)は韓国出身です。ドイツでプロテスタント神学を学び、旧約聖書における貧者の敬虔に関してミュンスター大学で博士論文を書きました。長年にわたる海外での経験から、彼は異文化・異宗教間の出会いに関心があります。隣国である日本に関して学べることに大きな意欲を示しています。学生、講義の担当者ともにプログラムを心から歓迎しているようです。学生からは講義の時間内にも盛んに質問が繰り出され、また時には楽しい笑い声が教室から漏れ聞こえます。

プログラムは、また、エキュメニカルな意味において大きなインパクトを持っています。なぜなら、これまでに日本の神学者が西洋で学んできたように、西洋の神学者が日本で学ぶ機会になるからです。世界的なキリストの体の一部分である東洋と西洋の教会は、お互いに助け合う必要があるのです。ですから、この大きな組織的、財政的責任をともなうプログラムを、日本のキリスト者の方々と共に支えていくことができればと願ってやみません。

 (まるちんれっぷ)



「ACISCA第9回総会に参加して」
〜アジアにおける正義と平和の道具としての信徒運動〜  (2002年10月2日-6日)

石井智恵美

ACISCA(Assosiation of Chirstian Institutes for Social Concern in Asia:アジア社会問題キリスト教センター連合)第9回総会が2002年10月2日−6日タイのバンコックで開催された。アシスカは、開発や貧困また多様な文化の混在するアジア地域で、さまざまな課題を担っているキリスト教センターの連合体であり、世界の各地域の連合体OIKOS-NET(北米・南米・欧州・中近東・アジア・アフリカ)を通じてWCCに加盟しているエキュメニカル活動の一貫である。日本では関西クリスチャン・アカデミーが窓口となっている。筆者は2年前に京都・地球温暖化問題の宗教者会議に連動して開かれたアシスカの会議に出席して以来2度目の参加である。研究会活動が主体のTCCとは関心の方向が若干違うが、アジアの他の地域のキリスト者との貴重な出会いの場であることは実感していたので、とにかく4年に一度の総会に参加してみることにし、あわただしい日程の中タイのバンコックへ飛んだ。

日本・韓国・台湾・香港・フィリピン・バングラデッシュ・インド・インドネシア等アジア各国から約50名の参加があった。テーマは2000年から始まったWCCの「暴力克服のための10年」に連動して、「アジアにおける正義と平和の道具としての信徒運動」であった。「家庭内暴力の克服」「自然への暴力の克服」「国家の暴力の克服」と三つのテーマについて、各国からの発題を受け、また毎朝礼拝、聖書研究もこのテーマに連動して行われた。全体報告では、教会の中のジェンダーにおける正義の視点、それが、信徒運動として家庭内暴力を克服していく鍵になることがまず報告された。自然への暴力に関しては、人間の側の自然への虐待をなくしてゆくために、シンプルな生活へのライフ・スタイルの変更が求められること、また教会におけるエコロジカルな宣教の課題等が話された。また、アジアの国々が直面している生活のリアリテイは圧倒的に貧困であること。しかし、その貧困のリアリテイを生き抜く上での宗教共同体や霊性の問題が重要であること。すべてのものがそこに立っている霊性を深める中で、宗教対話が必要であること。人間と自然の関係の調和がその原理の一つにならねばならないこと等が報告された。国家による暴力の課題では、多国籍企業によるグローバリズムの被害の拡大、9・11以降のテロ撲滅のアメリカの政策、観光産業の裏での売買春、特に児童売春の問題等が話された。

全体を通じて、アジアの国々が直面している現実は、圧倒的に貧困であり、そこから派生する様々な問題、グローバリズムによる貧富の格差の拡大への危機感等、課題が明確になって共有されている、と感じた。幹事のフェリックス氏の活動報告にもあったが、「日本、韓国はアシスカの活動に対して関心が薄い」。それは、アシスカで話題となっているテーマがリアリテイをもって感じられない日常を生きている日本における教会の問題であろう。また、「信徒運動」が今回のテーマとなったが、これも日本の教会の弱い部分だろう。牧師養成や教会運営で精一杯で、所謂教会の外での問題に信徒運動を起こして関わるという力量が弱いし、また、そのような発想自体がない。エキュメニカル運動が日本の教会の中でなかなか根付かないのも、同じ理由ではないか。あらためて、アジアの民衆の苦しみ、社会正義の課題をつきつけられた会議だったが、日本の教会の現状との温度差・距離感を感じた。この距離感を受け止めつつ、日本の教会のなかで、アジアとの連帯を模索することは依然として大きな課題として残っている。それはテロとテロを生み出すものの構造をどう変えるかということに直結した問題でもある。WCCやOIKOS-NETの代表者たちにも出会え、アジアの世界のキリスト者の多様性をかいまみることの出来た会議だった。

(いしいちえみ・富坂キリスト教センター研究主事)



上海悠々・余滴(その3)
〜カインの末裔〜

葛谷 登

この八月の中旬、上海・南京を訪れました。1年ぶりの上海は大きく様変わりしていました。食料品よりも、工業製品が増え、昔風のレストランがファミレスに衣替えし、コンビニが増えたのには驚きました。日本が10年かけた高度成長を1年でやり遂げたような印象です。グローバリゼーションとIT化と共に今や世界中がマモンというハメルーンの笛吹きジジイの笛に踊らされてその跡をついているかのような雰囲気です。

さて、今回の旅の目的は南京で、南京は今は香港に住む畏友李少勤君の故郷です。彼には同じ大学に入学して以来四半世紀、お世話になりっ放しです。南京も虐殺記念館も一度は是非行ってみたいところでした。

虐殺記念館を一周していろいろと考えさせられました。虐殺された老若男女の骨が展示してあるガラス室の前で、わたくしの隣で見学していた中国の小学生が頭を抱えてうずくまったり、またわたくしが同じガラス室の前で眼をつぶって祈っていると、その場にいた中国の見学の人たちが黙って向こうへ行ってくれたり、切ない、また文字通り「有難い」経験を致しました。

三十万もの、無辜の南京市民を虐殺した日本軍、日本人の罪は重く、許すべくもありません。しかし、虐殺記念館で展示してあるものを一つ一つ丹念に見ていると、中国の人を人間以下にしか見ることの出来なかった日本人が逆に哀れに思えて来たのです。自分たちは天皇の赤子だと刷り込まれ信じきった人たちが可哀想に思えて来たのです。

天皇が明治維新で政治の表舞台に立って百年もたってはいません。江戸時代まで天皇は庶民に縁のなかった存在です。もともと天皇は古代日本の最強にして最後の侵略者で、当時の民衆にとって憎き全くの外来者です。外来の侵略者だった天皇が侵略と支配を正当化するために作り上げたのが、古事記、日本書紀で、これらは侵略され虐殺された人々の声を封殺しました。今でも記紀を読めば、「皇軍」(日本書紀に初出の語)に虐殺された人々の無念の叫びが耳をつんざくように聞こえて来るではありませんか。

南京虐殺に加わった日本の兵士の中にはその昔、中国からはるばる先祖が日本にやって来た人々も相当いるのではないでしょうか。とすれば南京の人たちは彼らにとって兄弟ですらあります。にもかかわらず、何の縁もない天皇の赤子と思い込まされ、兄弟殺しの悲劇を演じたのです。むごいことこの上もありません。

戦後、南京虐殺事件の責任を問われて、司令官の松井石根が、極東軍事裁判で死刑に処せられました。しかし、わたくしは寡聞にして、大元帥の天皇はもとより南京攻略命令を発した時の参謀総長の閑院宮と松井の下で実戦に参加した朝香宮が処罰されたという話を聞きません。天皇制は昭和史においてまさに生き血を吸い続ける偶像教であることを実証しているのではありませんか。「後の日に必ず地の上に立たれる」まことの神にこそ希望を置き、主の平和を地上に作り上げたく願うものです。

(くずやのぼる・愛知大学専任講師・「中国」研メンバー)



シリーズ ひと・ひと・ひとB
 カール・ハインツ・シェルさん

「私には二つの関心があります。それは祈りと社会的行動です。神との人格的交わりは源泉であり、そこから社会的行動も生まれます」12年ぶりに日本を訪れたシェル牧師はそう語った。前者の関心は修士論文でトーマス・マートン(米・トラピスト会修道士)の研究につながり、後者は日本の賀川豊彦研究を博士論文にまとめたことにつながっている。1982年、小川圭治教授(前関東学院大学院長)が、ハイデルベルク大学に客員教授として招かれた際、シェルさんは日本の神学と宣教史のゼミに参加した。その時にまとめた小さな論文のテーマが賀川豊彦だったという。88年〜90年、来日して筑波大学の小川圭治先生の下に留学。この時TCCに一年間滞在したのが、TCCと出会うきっかけだった。92年博士論文をまとめ、93年ハイデルベルク大学のズンダーマイヤー教授のもとで博士号を得た。現在は故郷ヴェステルバルト教区の教区長、としてまた、教会担当の牧師としても働いている。約十年の牧会の後、3ヶ月の充電期間として休暇をもらい、2ヶ月の予定で来日した。前半は東京、後半は京都のNCC宗教研究所に滞在した。「牧師が3ヶ月も長期休暇が取れるとはうらやましいですね」と話すと「将来は日本の牧師もそうできるといいですね。まずは具体的に少数でも日本の牧師が学びつつ牧会しながらドイツで研修出来るような制度をアイデアとして考えています」との答えが返ってきた。

「今回のテーマは公式には日本の教会と国家の関係、そして禅仏教との対話です。一週間ほどお寺での接心もしたいです。神道と仏教の本を読んでいますが、 12年間でたくさんのことを忘れました。特に漢字」。話の途中で、度々「それ書いて下さい」と漢字を書かせられた。学習熱心なのである。日本の教会の印象をたずねると、以下の答えが返ってきた。「何故、日本のクリスチャン人口はいつまでたっても1%なんですか?キリシタンの時代はもっと多かったはずなのに。そして若者はどこにいるんでしょう?」答えにつまっていると、続けて語った。「ドイツの教会も同じ現象です。教会員も減っているし、若者が教会に来ない。私達の話は、多分、神学的すぎるし、教義的すぎるんです。イエスはイメージやメタファーをたくさん使ったのに。神学で学んだものは、頭だけではダメです。その人自身が神を実感し、信仰を持った人同士の交わりを実感しなければ」。牧会における工夫が必要であり、又可能であることを強調した。 最後に「現代の世俗化した社会の中で、一体プロテスタントのキリスト者であるとは何なのか。現代的問題と対話しながら応えていかねばならないと思います。今まで以上にプロテスタント・キリスト者のアイデンティティが求められていると思います」と語った。(インタヴュー:2002年6月22日、まとめ:編集人)

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