『富坂だより』 11号
2003年6月

特集:牧 師 研 修

【目 次】

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青森県の八甲田山麓にある教団八甲田伝道所
(2003年10月の牧師研修の会場)


巻頭言

牧師研修会の目指すもの

池田 伯


昨年の8月、「富坂キリスト教センター牧師研修企画委員会」が発足した。

センターで牧師の研修構想が語られ始めたのは1982年で、その相談の中から翌83年4月に、牧師たち有志による「相互牧会の会」が生まれた。この会の趣旨は、牧師としての神学的実践的研修であり、それにも増して牧師同士の「相互牧会」でより心楽しい交わりの場づくりであった。

この会は数年して、牧師の枠を外して専門家や関心をもつ人々による「心の病い」を中心テーマとする「相互牧会協議会」へと発展的に解消した。その後センターの方針が研究活動に一本化されたこともあって、牧師研修の流れは立ち消えとなっていた。

本紙前号に武田理事長が、センター活動が第4期に入ったことを記している。この会期のプロジェクトの一つとして、改めて牧師研修の構想が位置付けられた。この構想では、ここ20年余りの教界と世の多様な変化の中で、「相互牧会の会」の趣旨をも引き継ぎつつ、より基本的な(より単純な、あるいはより素朴な、といってもよい)課題をより広い視野に立って、生活を共にしての文字通り体得的な共同研修を行なう、といったことが考えられている。企画委員会としてさらにいえば、日本基督教団にあらわれているような二種教職制などの教師制度の課題と教師養成制度の「間(はざま)」の問題も、この研修構想の視野におく必要があると思っている。

企画委員会で話し合われてきた研修の基本は、「神を畏れる」ということである。主なる神が憐れみをもってこの世界と私たちに十字架の愛を与えてくださった。この事実に生かされるとき、主を畏れ主に仕え、この主以外に神はいないと告白せざるをえない。恵みの高価さへの覚醒である。ここから必要な知恵が生まれ練達が生まれ、勇気と希望が与えられるであろう。そのような芯をもつ研修を願っている。

この秋、青森県・八甲田伝道所併設の農村センターを会場に最初の研修会を予定し準備が進んでいる。

(いけだあきら・牧師研修企画委員会委員長)




座談会
「牧師研修プロジェクトが企画していること」
    5月19日にセンターで今年度第一回目の牧師研修企画委員会が開かれました。その際、今年秋に計画されている八甲田での牧師研修(下記枠内参照)をどんな考え方で実現しようとしているのかも話し合いました。話し合いは多岐に渡りましたが、まとめると次のようになるでしょうか。

    出席者(企画委員会):
    委員長 池田伯牧師(前奥羽教区議長)、主事 荒井 仁牧師(鎌倉恩寵教会) 、委員松村重雄牧師(弘前南教会)、小島誠志牧師(松山番町教会)、増田琴牧師(巣鴨ときわ教会)、大庭昭博牧師(青山学院大学教授)、布田秀治牧師(鹿児島教会)、鈴木正三牧師(富坂キリスト教センター総主事)


20年前に始まった牧師研修を新しく企画して  

池田 この牧師研修の構想が、富坂キリスト教センターのプロジェクトとして始まったのは1982年で、相互牧会の会やアジア諸教会共同研修会、相互牧会協議会などが行われました。その後、センターの方針も研究会中心となって10年後に中断され、現在にきたと思います。これが、この研修の前史にあります。

しかし、センターの中には、形は取らなくても牧師研修の構想はずっとあって、それが2-3年前から鈴木総主事が日本各地の教会の牧師を訪ねて、新しい形での模索が始まりました。そのような中で、研修が是非必要であるという牧師達の声を背景にして、昨年の8月6日に、鈴木さんと牧師達が何人か集まって相談の結果、これを牧師研修企画委員会として発足させようということになって、それを昨年8月第1回の委員会として発足させた、という背景があります。

これまでの牧師の研修は、知的な学びの会という形態が多かった。また、教派的、同士的な人たちの研修ということも行われているけれども、ここで研修をする場合には、単に知的な研修に留まるものではない。しかもあるグループ的な研修ということでもなくて、牧師としての本当に基礎的なことを体得することが必要であると話し合われた。さらに、牧師としての常識的なこと、小さいことから始めて、牧師の生き方、暮らしのこと、そんなことも含めて、総体的に、生活を共にしながら、霊性をはぐくみ、研修を行うことが願わしいのではないか。その基本は神を畏れ、神を神とする、というごくごく基本のところを軸にしつつ展開していったらどうだろうかと話し合われました。

今まで日本の教会は文化を頼りにして宣教を行って来ました。しかし、今日ではこの世の方が文化的には進んでいるという状況の中で、牧師本来の在り方を考える時に、福音そのものによって立ち、霊的なものをしっかり踏まえて、牧会上の問題を語り合いながらやっていこうということが話し合われました。

そこで、今回女性教職として委員となってくださった増田さんから話していただきましょう。


牧師研修を実りあるものとするために

増田 まず、八甲田の委員会の方々が教団教区との関わりについてまとめてくださったのは、とてもよかったと思っております。教区との関わりは必要だけれども、教団の流れや実状に左右されないという表現は、やはり必要なところだと思っております。

今の教団の教師検定試験の実状から言うと、半数近くがリタイアなさった後の受験者の方で、私が属していた関東教区もおそらく、3年から10年の30代の男性というのは、半数いるかいないかという感じだと思うんです。リタイアなさった後の、50代 60くらいの方々や、非常に幅広い女性の方々というものが、これから牧師になっていき、准允按手を受けられる構成メンバーだということを、まず、第一に据えていただきたいと思うんです。

それから、牧師というのは、人の魂であるとか、心のことに関わるにもかかわらず、そういうことやセクシュアル・ハラスメントなどに関するガイドラインのようなものもなく、研修も受けてこないために、一生懸命なあまり踏み込んでいるかもしれないし、悪意でやっていないかもしれないけれども、そういう危険性はあると思うんです。だから、牧師という立場に立たれるのであるから、余計こういうことについては配慮をしてほしい。


牧師の基本と運動、地域教会とエキュメニカル教会との関係

鈴木 牧師の基本に関わることと、地域地域にある問題や運動との関係ということですが、その運動の中で自分が聖書の福音において自分自身を捉え直さなければいけないということは何度も痛感しました。日本人だけでは日本人という感覚は絶対に生まれないですね。私は1967年の戦責告白(第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白)が出た年に最初に韓国に行って以来ずっと韓国との関わりを持ってきたのですが、そういう問題との関わりというのは、自分の存在を非常にはっきりと、神と人の前にあからさまにしてくれるという感じをずっと持っています。

それから、エキュメニカルな教会の関わりというのは、教会があって、次にエキュメニカルな関係を作るために出て行くということじゃなくて、エキュメニカルな教会が教会であるという、聖書的な理解を我々が本当に持たなければならないということです。神の国があって、個々の教会があるという自覚です。逆ではないのです。その信仰があって、初めて我々の個々の教会の働きとか存在の捉え方が位置を占めるのではないでしょうか。逆に、私は日本人で、その日本人がクリスチャンになって、そのクリスチャンになった日本人が他の国のクリスチャンや問題とどういうふうに関わるか、という問題意識でやっている限りは、問題は表面的なキリスト教文化的な、キリスト教宗教的な関わりだけで終わってしまいます。だから牧師の基本を学ぶというのは、そういう一番基本的なことをどう我々が捉え直すのかということだと思います。


牧会や霊性について

荒井 一番基本的なことで、すごくいろんな問題で、がんばっているなあという人ほど人の話を聞かない。牧会が出来ないんですよ。基本的に今の若い世代の人たちは、人の話を聞かない。牧会の基本というのは、どれだけ人の話を聞けるかということなんですが、それができない。我が身を省みつつ、自分は聞いていたかなあ、と反省しています。

大庭 霊性という言葉は、罪責の捉え方の深さに関係しますよね。それが霊性を生んでいっている。まだぼくは解けていないんですが。一応神学校で習っているのは、プロテスタントの霊性なんですよね。でも、カトリックや東欧教会、また、文脈から生まれたという意味ではカリスマ的なペンテコステ派があって、それから当然解放の霊性もあるし、女性の霊性もあって、霊性の捉え方が、エキュメニカルじゃないと解けないですね。





EMSとNCC宗教研究所(京都)の共同プログラム
「諸宗教間の対話と学びについて」

日本基督教団鎌倉恩寵教会牧師 荒井 仁

南西ドイツ宣教局(EMS)とNCC宗教研究所の共同プロジェクトで、多宗教間対話の学びのため、ドイツを中心としたヨーロッパの国から神学生や牧師、研究者を日本で受け入れるプログラムが昨年度から始まりました。昨年度は二名の学生を受け入れ、富坂キリスト教センターも協力をしました。講義だけではなく、神社仏閣の見学などの体験的学習も含めて、日本の宗教事情を学んでいただくことが出来たことは幸いです。

私は昨年、二人の研修生と、宗教研究所のマルティン・レップさんと共に、鎌倉の大仏と、長谷観音の見学をしました。京都とは違った仏教文化を持つ鎌倉の様子に、お二人とも興味を示しておられたことが、大変印象に残りました。また、私は「日本のキリスト教教育と諸宗教の課題」というテーマで講義をさせて頂く機会も与えられました。日本の公立学校が、宗教教育に関して、特定の宗教を教えてはいけないということから、宗教全般について、子どもたちにほとんど教えていないと話しますと、そのことに二人共、驚いていました。この点は日本とドイツの宗教教育事情の差を知るよい機会となったのではないかと思います。

このプログラムの一端を担わせて頂いて感じてきたのは、この交流が相互理解を深め、世界平和への一助となるのであろうという、未来に向けての期待です。 EMSはすでにベイルートにイスラム理解のための学びの場所を持っています。イスラム圏内への武力行使が、「キリスト教国」と言われてきた国からなされた今日、この学びは重要度を増してきています。日本ではイスラム教について十分な理解がなされていないように思われますが、EMSを通して、世界的な諸宗教間理解の動きの中に私たちも置かれることで、相互理解という平和構築のための働きに関われるのではないかと思います。

このプログラムは、ヨーロッパの学びの流れに従って、七月まで研修が続きます。京都での学びが中心となりますが、日本仏教、対話の神学、日本の民俗宗教、日本のキリスト教神学、日本の新宗教についての講義、日本語入門などのクラスが提供されます。

第二年度もプログラムは継続され、ほぼ同じ内容の講義が用意されます。九月からのプログラムには次ぎの五名の学生と牧師の参加が予定されています。 Heinlich Busch(ハイデルベルグ大学神学生)、Michael Froehlich(ドイツ福音主義教会副牧師)、Marlene Hoffmann(マールブルク大学神学生)、Markus Schwartz(ハンブルグ大学人類学・宗教学専攻)、Annewieke Vroom(アムステルダム自由大学宗教学・哲学専攻)。富坂キリスト教センターとしては、今年度新たに立ち上げられた「牧師研修委員会」が窓口となって、東京地方での研修に関して、プログラムの責任を持つことになりました。五月十九日の委員会では特に具体的な計画案は出されませんでしたが、京都での学びの計画を踏まえて、新宗教やカルトのグループについて、学びを深めることも、計画の一部にいれてはどうかとの意見も出されています。また、ヨーロッパでは今日見られなくなったアニミズム的宗教を、日本の中で学び、日本の宗教性の一端に触れる機会を設けるプログラムについても模索中です。

日本の宗教を学ぶ際に、政治や文化との結びつきを抜きに宗教の全体像を学ぶことは出来ません。第二年度の参加者の中には、人類学や哲学専攻の方もおられますので、その視点から日本の宗教を見つめ、日本の研究者や牧会者に対しても、新しい見方を提示してくれることを期待しています。

このプログラムが一方的な知識吸収型の学びではなく、対話に基いた学びがなされる時に、その意義を深めるものと思います。プログラムに参加する一人一人が諸宗教を通して働かれる神ご自身に接することが出来るようにと願っています。 

(あらいじん・牧師研修企画委員会主事)




書評『女性キリスト者と戦争』
 「主の審きは厳しい」 

恵泉女学園大教授 古谷圭一

 「主の審きは厳しい」、本書を一読した後、私が著者のひとりに告げた言葉である。

本書は、本センターの女性史研究会グループの研究成果である第二論集である。「まえがき」によれば、本書は21世紀を迎えるために戦争の世紀であった20 世紀の戦争責任の問題を女性キリスト者の動向と思想について検証したものであり、1930年から1945年までのいわゆる15年戦争期の女性キリスト者の生き方について述べたものである。記述の多くは1880年代より始まり、それぞれの組織の小史ともなっている。テーマは、キリスト教幼稚園(具体的には、青山学院緑岡幼稚園の田村忠子)(担当:大里喜美子)、ミッション・スクール(具体的には西南女学院)(担当:奥田暁子)、当時の日本基督教団婦人事業局長であり日本YWCA会長であった植村環(担当:荒井英子)、日本基督教婦人矯風会(担当:早川紀代)、日本基督教連盟婦人部と北京愛隣館(担当:出岡 学)、小泉郁子と崇貞学園(担当:加納実紀代)が取り上げられている。

全般に、本書の内容は、戦時中の出来事としてこれまで明らかとはされてこなかった日本キリスト教史の一側面を明らかにしたものであり、ことに、戦時下における指導的女性の生き方に焦点をあてた点が評価できよう。

ひとりひとりは、それぞれ、時代の暴風雨の中の船おさで波に逆らえば、船は沈没する。風に従えば流される。赦しはいかに来るか、または、来ているか。その中で主は沈黙される。あの重圧の中、その苦しみの中に組織を託され、支えぬいたひとの努力は無視されて、罪人として告発される。

そして一見平和そうな現在、私たちもまた、これらの人々と同じく、暴風雨の中の船おさであることをあらためて知らされる。過去15年の日本キリスト教会の歩みもまた、これと同じ罪を犯しつつあることを思う。

これは、神学的に「罪と赦し」の理解が深く関わっている課題である。評者が、1934年生まれで、終戦時国民学校6年生であった自分の意識を尺度として見ると、戦時下の弾圧と、一般国民の雰囲気のなかでのサバイバル、それと同時にその時代における閉ざされた社会的雰囲気の具体性を体験している者とこれを所有していない者との差がこの筆致の違いではなかろうか。この責任の追及と罪責の告発は当時と全く異なると考えられる現在の我々のあり方に対しても、主は呼びかけられておられるのである。不況の不安も世を覆い、有事法制法の国会通過、北朝鮮の脅威が叫ばれ、国民意識の涵養が教育基本法に盛り込まれようとしているときに、1930年代前半のキリスト者がその10年後に歩んだ道は現実に我々の道と重なっているのである。

本書を手に取ったとき、これらの人々の教え子、または、家族の方々にとっての驚きと、場合によっては、すでに死んだ人間を鞭打つ厳しさに抗議される方もあるかもしれない。しかし、それは人の情けであって、主の十字架の情けではない。主の審きの厳しさがあってこそ、十字架の主によって与えられる神の恵みこそがある。我々はそれにこそ目を向けるべきではないであろうか。イエス・キリストの救いのみを強調する福音は、単なる甘やかしの神であり、その裏にある主なる神の厳しい義の前に存在する己の罪の深さの認識があって、はじめてその恵みが顕わにされるのではなかったのではないだろうか。

記述の中には、それぞれの歴史的状況の中の発言がその状況と切り離されて論じられている個所(例えば、1933年の西南女学院排撃運動を抜きにしてはその後の関係者の発言、行動を理解できないにも関わらず、その前に関係者の意識が論じられているなど)が見受けられる点は注意すべきであろう。それと同時に、なんらかのこの状況下での生き方の道を共同討議で指し示していただけたら、更に有益であったと惜しまれる。

(ふるやけいいち)



香港の漢語基督教文化研究所訪問記

鈴木正三

香港には富坂キリスト教センターに似たキリスト教研究団体があります。漢語基督教文化研究所といって、郊外の山の中に静かに横たわっています。けれども、このところ、この団体は静かどころか、大陸中国を相手に大きな運動を起こす団体になりました。  香港は英国領となってから100年、数年前に中国に返還されました。けれども、その英国式キリスト教文化はいまだに香港に色濃く残っています。50年間は香港式統治形態は残すといったケ小平の英断によって、私も今年3月にこの研究所を訪問するために香港に滞在した際、現代中国では考えられないことですが、日本人の司式する日本語日曜礼拝に出席することができました。それだけではなく、香港経由のキリスト教神学がストレートに西欧文化思想として中国大陸に大量に流入する時代になったのです。 中国キリスト教教会を訪問すると、「教養クリスチャン」という言葉を聞くことがあります。大学などでキリスト教の書籍を通して西欧キリスト教文化を研究し、自由の息吹を吸い取ろうという動きだといいます。この動きは三自愛国基督協会から見ますと、信仰を必要としないキリスト教、教養だけのキリスト教として、多少批判的に見られているようです。けれども、「教養クリスチャン」から見ますと、三自愛国基督協会こそ体制化した教会と見えるのだそうです。  いずれにせよ、1949年の戦後から文化大革命を経て1981年まで、中国キリスト教会は大変な苦難の歴史を歩んできました。ですから、1981年に毛沢東の文化大革命や4人組批判を公けにしたケ小平の「歴史批判」が出されてからは、中国人がするのであれば、教会で伝道活動をすることが許される時代に入りました。そして今や2日に1つの割合で教会が生まれるという驚くような時代に入ったのです。  そこで、百家争鳴ではありませんが、「地下教会」から三自愛国協会(教会ではない)、はてはこの協会から自立した教会、教養クリスチャン、とさまざまな形態のキリスト教運動が雨後の竹の子のように発生することになったのです。大学でもキリスト教文書ではなく、西欧文化思想として、古代から現代に至るまで、さまざまな書籍を研究する時代に入ったのです。  そこで、漢語基督教文化研究所のヤング所長(香港人の牧師)は地の利を生かして、キリスト教古典書籍から中世、近代、現代に至るまでのさまざまな書籍を翻訳して、大陸中国に向けて出版する事業を始めました。翻訳はもっぱら大陸中国の大学教師にやってもらったとのことです。これが大きな成果を呼び起こして、 90年代に70冊余の翻訳書を世に送り出しました。そこから生まれた言葉が「教養クリスチャン」という言葉だったわけです。  最近ではアジアのキリスト教にも目を向け、日本のキリスト教の様子を知りたいと、今年冬にはキリスト教主義大学やキリスト教出版事業を見学して回りました。そんなわけで、ここ数年交流をしてきた「漢語」研究所と「富坂」センターの両団体は、共同事業を計画することにしました。  富坂センターは、これまでの20数冊の研究成果の中から、中国に意味のある天皇制研究書を推薦しました。漢語研究所は、その中から『天皇制の神学的批判』を選び、『天皇制に関する日本キリスト者の思想』といった表題にして出版してみたいとのことでした。今回の香港・中国訪問は時期が時期だけに、マスク同士の会談となりましたが、この翻訳書が来年にはオープンな形で中国大陸で出版されることを願っています。

(すずきしょうぞう・富坂キリスト教センター総主事)



退任にあたって 

石井智恵美

1993年からU期の長いようで短かった在任の時を振り返れば様々な思い出がよみがえってきます。TCCとの最初の出会いは、韓国留学中の1988年夏でした。聴講していた韓国神学研究所と、TCCの民衆神学をめぐる国際共同シンポジウムの通訳兼日本側ゲストの世話役を当時学術部長だった朴聖ジュン先生(後のTCC協力主事)から頼まれたのです。日本のキリスト教界にエキュメニカルなこのような研究所があるということが新鮮な驚きでした。その後 1991年帰国後、「日韓教会関係史資料集U」の資料編集プログラムにメンバーとして携わったり、5カ国の国際共同プロジェクト(日本、韓国、朝鮮、中国、ロシア)の手伝いをしたりご縁ができてきました。その後当時理事長だった佐竹明先生に招かれ、1993年春から、研究主事として働くことになりました。  大学時代、学生YMCAの活動に加わって以来、私の三大テーマは、「キリスト教、アジア、女性」でした。在日コリアンやアジアのキリスト者との出会いはわけても大きく、韓国留学を決意させ、そして、その留学を通じて、日本人としてアジアの一員として生きてゆくことを身に刻まれたと思います。また、在籍した梨花女子大学大学院では、女性学も聴講することができ、フェミニスト神学、女性史等から大いに刺激を受けました。修士論文で取り上げた淵沢能恵という女性キリスト者(植民地朝鮮に淑明女学校を設立した組合教会のキリスト者)を通じて、植民地朝鮮で果たした日本人女性キリスト者の役割について、重たい問いかけを受けました。  TCCから派遣された2年半のドイツ研修期間、私にとって、霊性(Spirituality)の問題が大きくなっていったのは、その問いかけからです。何故、熱心な女性キリスト者が、植民地支配という国家的な暴力 に組み込まれていき、それを見破れなかったのかという問題は、その人間が結局は根源的なところでどう生きているのか、という問いへ向かわせました。又、多くの出会いを与えられました。  そんなわけで研究主事として、初めて立案したのが「現代世界における霊性と倫理研究会」でした。霊性という言葉がまだまだプロテスタント教会では、なじみのないこともあって、設立までに反対も批判もありました。しかし、準備を通じて出会えた方々は、現代世界の直面する問題を敏感に感じ取り、地道に取り組んでこられた方たちで、学問的成果のみならず、よい「まどい」が生まれたことは本当に有難いことでした。その成果も今年度中にはまとまりそうで、ほっとしています。  その他、帰国したデーン主事の後を受けて担当したJPIC研究会(正義・平和・環境)で、『地球のみんなと生きる』という中高生向きの本にまとめたこと、それを用いた北海道での「富坂セミナー」もよい思い出です。また2000年夏DOAM(ドイツ東亜伝道会)主催の日本・韓国・ドイツの国際シンポジウム「和解・補償・暴力の克服」で、頭が真っ白になるほど忙しかった1ヶ月のことも忘れられません。工夫をこらした(つもり?)「富坂だより」もです。  惜しむらくは、3年かかって立案したジェンダー問題のプロジェクトを立ち上げることができなかったことです。どなたか是非、立案に名乗りを上げていただけませんか。  研究主事としての仕事は、恵まれた立場でもあり、孤独な立場でもありました。研究会の実務一般のルーチン・ワークと、自分の内側を深めて研究テーマに集中する両方をこなすのは、やはりかなりの力業でした。在任中の外部の仕事(立教大学非常勤講師、川崎戸手教会説教協力)での人とのダイナミズムを通じてようやく自分の中のバランスを保っていたような気がします。混迷を深める日本社会の中にあって、開かれた対話と研究で、一隅でも灯火を照らす役割をTCCには今後も果たしてほしいと思います。多くの出会いに感謝して。(6・6渡独の機上にて)

(いしいちえみ・前富坂キリスト教センター研究主事)



シリーズ ひと・ひと・ひとC
 ハラルド・グレーベさん

富坂キリスト教センターにはさまざまな訪問者があります。今年の4月はその中でも50年ぶり、と言って訪問してくださっためずらしいお客がありました。グレーベ夫妻です。この4月にセンターで、ここの財団の母体となるDOAM(ドイツ東亜伝道会)会長シュナイス牧師とSOAM(スイス東亜伝道会)会長グレーベ牧師を交えて、財団の懇談会(写真・センター理事と)を持ちました。50年ぶりとはその時の言葉でした。シュナイス牧師を20年30年以上前から知っている日本人関係者は多く、財団の東京における活動団体である富坂キリスト教センターは、27年前シュナイス牧師などが中心になって設立されました。けれども、京都に本拠があるスイス東亜伝道会のグレーベ牧師はセンターに来られたのは初めてではないかと思ったのです。 


グレーベ夫妻(前列中央と左)とシュナイス氏(その右)

実は50年前というのは、スイス東亜伝道会のヘッセル牧師がこの財団(財団法人基督教イースト・エイジャ・ミッション)を1951年に設立してから50年目、という意味でした。そして以下のような興味深い話をしてくださいました。  「1880年設立された東亜伝道会(OAM)は第二次世界大戦終結までは、ドイツとかスイスとかいう区別なく東アジアの宣教に協力しあって活動していた。ところが戦後、東京のドイツの財産が危険な状態にあることを発見した。そしてそれまでの東亜伝道会は中立国スイスと敗戦国ドイツに分離されてしまった。当時、東亜伝道会のドイツ側は敗戦国でもあり、戦後間もなくのため、機能していなかったのだ。

そこで1948年にスイス東亜伝道会(SOAM)が設立された。この設立無くして、政治的・経済的にその後の東亜伝道会(OAM)は機能できなかっただろう。この戦争でドイツと日本は敗戦国だったが、スイスは傷を受けずにすんだからだ。したがって、中立国スイスの利点を生かして仕事をしようと考えた。

戦前は京都で活動していたスイス東亜伝道会のヘッセル牧師が戦後アメリカ人と結婚して、アメリカ国籍を取得していた。このヘッセル氏が宣教師として来日し、日本にあった財産を失われることのないように骨折ってくれたのだ。それによって、財団が形成されたことを非常に感謝している。1949年、ドイツとスイスの二つの団体が、ドイツは新しい関係ができるまで、その財産をスイスに信託するとした合意書に同意した。こうして1951年に京都に財団法人基督教イースト・エイジャ・ミッションが設立され、スイスとドイツに分割されたままの状態から、再びひとつの財団となり、現在に至っているのだ。」

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