シリーズ ひと・ひと・ひとC
ハラルド・グレーベさん
富坂キリスト教センターにはさまざまな訪問者があります。今年の4月はその中でも50年ぶり、と言って訪問してくださっためずらしいお客がありました。グレーベ夫妻です。この4月にセンターで、ここの財団の母体となるDOAM(ドイツ東亜伝道会)会長シュナイス牧師とSOAM(スイス東亜伝道会)会長グレーベ牧師を交えて、財団の懇談会(写真・センター理事と)を持ちました。50年ぶりとはその時の言葉でした。シュナイス牧師を20年30年以上前から知っている日本人関係者は多く、財団の東京における活動団体である富坂キリスト教センターは、27年前シュナイス牧師などが中心になって設立されました。けれども、京都に本拠があるスイス東亜伝道会のグレーベ牧師はセンターに来られたのは初めてではないかと思ったのです。
グレーベ夫妻(前列中央と左)とシュナイス氏(その右)
実は50年前というのは、スイス東亜伝道会のヘッセル牧師がこの財団(財団法人基督教イースト・エイジャ・ミッション)を1951年に設立してから50年目、という意味でした。そして以下のような興味深い話をしてくださいました。 「1880年設立された東亜伝道会(OAM)は第二次世界大戦終結までは、ドイツとかスイスとかいう区別なく東アジアの宣教に協力しあって活動していた。ところが戦後、東京のドイツの財産が危険な状態にあることを発見した。そしてそれまでの東亜伝道会は中立国スイスと敗戦国ドイツに分離されてしまった。当時、東亜伝道会のドイツ側は敗戦国でもあり、戦後間もなくのため、機能していなかったのだ。
そこで1948年にスイス東亜伝道会(SOAM)が設立された。この設立無くして、政治的・経済的にその後の東亜伝道会(OAM)は機能できなかっただろう。この戦争でドイツと日本は敗戦国だったが、スイスは傷を受けずにすんだからだ。したがって、中立国スイスの利点を生かして仕事をしようと考えた。
戦前は京都で活動していたスイス東亜伝道会のヘッセル牧師が戦後アメリカ人と結婚して、アメリカ国籍を取得していた。このヘッセル氏が宣教師として来日し、日本にあった財産を失われることのないように骨折ってくれたのだ。それによって、財団が形成されたことを非常に感謝している。1949年、ドイツとスイスの二つの団体が、ドイツは新しい関係ができるまで、その財産をスイスに信託するとした合意書に同意した。こうして1951年に京都に財団法人基督教イースト・エイジャ・ミッションが設立され、スイスとドイツに分割されたままの状態から、再びひとつの財団となり、現在に至っているのだ。」
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