『富坂だより』 14号
2004年12月

特集:OAM120周年記念シンポジウム

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100年前に東アジアミッションが開いた幼稚園




巻頭言

日の丸・君が代」の強制に反対

大津 健一

公立学校における「日の丸・君が代」強制問題で異変が起きている。10月28日、皇居で開催された園遊会で東京都教育委員である米長邦雄さんが天皇に、「日本中の学校に国旗を揚げて国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と言ったことに対して、天皇が「強制になるということがないことが望ましい」と語った。ある人々は皮肉交じりに、日本の民主主義は天皇によって守られていると語っている。  私は、教育現場だけでなく、あらゆる場所での「日の丸・君が代」の強制に反対である。また、私たちの「思想・良心・信教の自由」を矮小化させようとする試みに反対である。過去の歴史の中で、「日の丸・君が代」が果たしてきた歴史的役割を考えるとき、それを掲揚したり、斉唱したりすることはできない。ましてや、教師や生徒に「日の丸・君が代」を強制することは、教師や生徒の「思想・良心・信教の自由」への侵害であるといえる。かつて日本は、国家神道の下で国民を戦争へと駆り立てる神社参拝を国民儀礼として強制した歴史を持っている。今日教育委員会などの「日の丸・君が代」を強制する側の論理は、「内心の自由は侵さない。しかし、外部に出して行う行為は制限を受ける」として、強制に反対する教師の処分を行っている。私は、自分の信仰に照らして考えるとき、自己の信仰と生き方を分けて考えることはできない。  今日「心のノート」や教育基本法、及び憲法9条の改定の動きなどによって戦争国家体制を強めていく方向が顕著になっている。戦争国家体制を強化するために、国民の協力の促進と、戦争に従順な人づくりが進められている。有事法制では、すでに公共機関で働く人々に対する「業務従事命令」や市民の「物資保管命令」などの規定がなされ、更に「信教の自由」などの制限を示唆している。  このような意味で「日の丸・君が代」強制に反対することは、私たちの「思想・良心・信教の自由」を守る闘いでもある。

(おおつけんいち・(財)日本クリスチャンアカデミー関東活動センター所長)




東アジアミッション(OAM)120周年記念シンポジウム報告

国際的にも、多文化的にも、多宗教的にも、異例なミッションであった東アジアミッション

鈴木 正三


六団体協議会会場(ワイマール)


■六団体合同協議会報告   2004年9月22日-23日 ワイマールにて

富坂キリスト教センター理事会は2001年以来「センターの将来構想」を提起し、センター自身の基礎構造と財団の関係を改善・安定化させるために、一歩一歩努力してきた。2002年ドイツのヴィリンゲン、2003年スイスのロマンスホルンと、ドイツ3団体、スイス2団体、日本2団体で相互に関係改善を計りつつ歩んできた。そして、これまでに積み重ねてきた話し合いを総合的に検討するために、今回ドイツ・ワイマールに関係6団体が集まり、2日間の合同協議会を開催した。

(1)参加団体はスイス・東アジアミッション(SOAM)、ドイツ・東アジアミッション(DOAM)、ベルリン宣教局(BMW)、シュトットガルト宣教局 (EMS)、京都の財団(ZAIDAN)、富坂(TCCからの参加は武田、東海林、上林、鈴木各理事)、以上6団体21名となった。京都の財団代表は所理事長の要請で武田理事が引き受けることになった。その結果、東海林理事がセンター理事長代行として参加する形を取った。協議会はワイマールの福祉施設の講堂で開かれた。会議は3つの提案(財団の理事選出方法について、センター理事会構成について、東京・京都の財団活動の一部を一体化するためのプロジェクト)にそって進められた。

(2)初めに武田財団理事がワイマールに来るまでに再度スイスにおいて財団設立者ヘッセルの足跡を訪ねた話をし、TCCとDOAM,SOAMとの関係を歴史的に述べた。これに対して、早速ヘッセルについての異なる人物評価が活発に話しあわれた。

次にセンター提案の第一、財団理事選任方法について、第二、センター理事会の構造について、実に細かな議論が行われた。議論はドイツ語で行われたので、はからずもドイツ的議論と日本的議論の相違を見た思いであった。その結果がZAIDANとDOAM、SOAM、またTCCとDOAM、SOAMという三者の合意文書にまとめられた。その後、第三の提案について議論した。武田理事は、「これまで財団は東京と京都に分れ、独自の活動をしていた。しかし、今回所財団理事長の強力な支持もあって、財団一体化プロジェクトを『和解の場』と名づけて、宗教間対立、国家間対立など様々な局面で対立している状況に対し、若者を中心に様々な層の人々の交流を通して、和解と平和へ導く働きをしていきたい。」と話した。この提案は参加者に非常な好感を持って迎えられ、活発な議論が交わされ、全会一致で承認された。

財団法人基督教イースト・エイジャ・ミッションという財団は、戦後できてから50年は経つが、同じ財団でも京都と東京は全く関係なく活動してきた。それだけに、今後の一体化のための事業は非常な楽しみであり、東アジアの教会にも大きなプラスになるだろう。


■東アジアミッション(OAM)120周年記念シンポジウム報告

ドイツとスイスのキリスト者有志が設立した東アジアミッション(OAM)は、120年前の1885年、ドイツのワイマールからスイス人宣教師シュピンナーを東京に派遣した。その時には国境を越えたキリスト教団体として設立された。しかし、戦前ナチスの登場で分れ、別々の活動は昨年まで続いた。このシンポジウムはその再統一のきっかけとなる形で、ドイツ・スイス・東アジアミッション共催(DOAM、SOAM)で行われた。会場は前記6団体合同協議会が行われたワイマールの青少年研修会場であった。

参加者はドイツを中心に、スイス、韓国、日本からそのワイマールに参集して120人に達した。会議は「国際的にも、多文化的にも、多宗教間的にも、異例なミッションであった東アジアミッションについてのシンポシウム」と銘打って始まった。武田富坂キリスト教センター理事長が『鼓動する東アジアキリスト教』の英訳本を手に持って、われわれの感謝の印に、この本を参加者全員に贈呈したいと挨拶して、拍手で迎えられた。英訳書は2日前にインドから空路で届けられたばかりであった。実は2年前から英訳し、出版社をさがし、インドのキリスト教出版社から出版して、その本をドイツのワイマールにも130冊発送していたのだ。

その翌日午前、「誤解されたキリスト教―明治期日本におけるシュピンナーの場合」岩波哲男(早稲田大学名誉教授)、「東京における普及福音新教伝道会の初代宣教師たち―シュピンナーとシュミーデル―ひとつの任務と様々な賜物」ハイオ・ハーマー教授、と二つの講演があり、その後議論が交わされた。午後からはまた二つの講演があった。

「多文化交流―出会いから学ぶ」クラウス・オッテ教授、「日本における普及福音新教伝道会(AEPM)・普及福音教会の影響史」寺園喜基、西南学院大学院長。その後、夕方には日本、韓国などに行った宣教師、神学生、学生などの体験談が紹介された。9月25日土曜日の午前は、「対話の中の宣教」と題してドイツ人宣教師、韓国人宣教師がこもごも実に苦労の多い宣教活動の実際を話してくださった。午後はワイマールの町の歴史見学であった。夕食後は、ドイツ、スイス、韓国、日本からの発題者が各自自説を述べて、発題者間対話が試みられた。色々と懐かしい方々にお会いすることが出来た。今回でもう会うことはないだろうと言い合っていた幾組かの老宣教師ご夫妻の存在は、それ自体が感動的だった。

日曜日は各参加者がワイマール市内の教会で説教奉仕をした。私は十字架教会で説教をした。礼拝の初めと最後に、ワイマール音楽大学に留学して来ている韓国留学生の聖歌隊によるすばらしい賛美歌合唱があった。伴奏はその教会の若者たちが受け持った。聖餐式が行われた。私も配餐に加わったが、ひとりひとりに語る言葉「キリストの血はあなたのために流されました」はいつも感動的であった。150名位で教会は満員であった。

(すずきしょうぞう・富坂キリスト教センター総主事)




10年ぶりに訪れたワイマールの町は

早稲田教会牧師 上林順一郎

10 年ぶりに訪れたワイマールの町は、以前とほとんど変わらない姿のままであった。町の中心にある広場も、石畳の道も、そして旧い家並も、かつてと同じものに見えた。10年前、恐る恐るランチを摂った有名なエレファントホテルも同じたたずまいでそこにあった。ドイツは大切なものは頑固なまでに変えない国であることを改めて思わされた。

今回ワイマールで行われた「ドイツ東亜伝道会」設立120周年記念式典に富坂キリスト教センターの一員として参加したが、その直前に行われたドイツ、スイス、日本との三者協議会もよい成果を得られ、また記念式典での記念講演、とりわけ岩波哲男氏、寺園喜基氏による「普及福音新教伝道会」に関する講演は日本の伝道史の重要な一面と今後の日本における伝道の課題を鋭く提起されたもので、個人的にも興味深いものであった。しかしそれらの評価、内容は他の方の報告にゆずるとして、記念式典の最後を失礼してケルン・ボン日本語教会の礼拝に参加したことを書き記したい。

ケルン・ボン日本語教会は日本基督教団とドイツとの宣教協力として長い歴史を持っているが、現在は小栗献牧師が教団から派遣されて宣教の任に当たっている。ちょうど教会を訪れた日曜日の礼拝は、昨年から始められた「ハンビット韓国語教会」との一年に一度の合同礼拝ということで、それに出席することができた。

ケルンやボンでも最近は韓国人が多く住んでおり、特に留学生が多くなっていると聞いた。そのこともあってか、礼拝には若い人の姿が多く、高齢化の進む日本の教会とは違って礼拝に活気があった。

留学生には特に音楽関係の学生も多いとのことで、当日は30名近い聖歌隊と10名ほどで編成された弦楽アンサンブルがつき、「さすが音大生!」と言いたくなるぐらい、そのコーラスも演奏もすばらしいものであった。礼拝の中で日本語教会のメンバーと韓国語教会の聖歌隊とが一緒になって、日本の讃美歌532番「ひとたびは死にし身も」を一番を韓国語で、二番を日本語でというように歌っていた。韓国語教会の聖歌隊は日本語を練習し、日本語教会は韓国語を練習してのことであったと聞いたが、合同礼拝への両教会の取り組みを思わされた。

このハンビット教会は音楽礼拝を充実させて、多くの人を招こうとしているとのことであったが、韓国人だけでなく、ドイツ人をはじめ各国の人が礼拝に参加しているのを見て、ドイツ語通訳の設備もさることながら、この音楽のレベルの高さが多くの人をこの教会の礼拝に向けさせていると思わされ、日本の教会の現実と比べてうらやましい限りであった。

今回の礼拝説教は韓国語教会の牧師が担当され、 「平和をつくりだす人々は幸いである」とのマタイの聖書の箇所をテキストに、平和の今日における意味とそのために我々は何をしなければならないかを、穏やかな言葉ではあったが、諄々と説くその内容は心に響くものであった。

その後聖餐式が行われたが、300名近い会衆が中央の通路に並び、司式者から一人一人に「これはキリストのからだ」「これはキリストの血潮」と告げられる聖餐は感動深いものであった。

礼拝後には両教会の方々が準備した食事をともにしたが、韓国料理と日本料理とが見事に並び、壮観であった。お手製の日本の大福もちがたくさん並べられていたが、韓国教会のメンバーにとても好評のようであった。

午後、韓国語教会の牧師としばらく話し合う機会があったが、ドイツに在住する韓国人が多くなるとともに、仕事や生活面での問題、またとくに子供の教育面での問題も多くなっているとのことで、教会の働きと役割がいっそう求められているとのことであった。

このことは日本語教会でも同様にいえるようで,小栗牧師のドイツでの働きがいっそう重要なものとなると思わされた。今後ケルン・ボン日本語教会がどのような形で継続されるのか、いろいろ困難な問題もあるように聞くが、日本基督教団とドイツの教会との大切な共同の働きとして位置づけられることを希望したいと思う。

帰途のためにフランクフルトに向かったが、小栗牧師の好意でライン川沿いを車で旅したことは何よりの思い出となったことも、付け加えておきたい。なんだか、大切な会議より旅を楽しんでいたように見られるが、事実はそのとおりであった。

(かんばやしじゅんいちろう・TCC財務理事)




日本におけるドイツ宣教史研究会報告―宣教120周年の年に―

同志社大学教授 水谷 誠

 2000年秋に鈴木正三総主事から委嘱を受けて2001年6月16日に第一回の会合を開いて発足したこの研究会はこの2004年11月26日に第10回研究会を開催することができた。以下に簡単に活動の報告をする。

日本にドイツ語圏(ドイツ、スイス)から派遣されたヴィルフリート・シュピンナー宣教師が来日したのは1885年のことであった。現在は、当初の普及福音新教伝道会(AEPM)から名称を変え、事業を受け継いだ東アジアミッション(OAM)をとおして日本とドイツ、日本とスイスの交流活動は続いている。この長い宣教と交流の歴史を振り返り整理する作業は早くから課題として自覚され、この作業に堀光男教授が委嘱されていた。堀氏はそのためにドイツに繰り返し赴き鋭意資料を収集された(これは現在センター図書室に所蔵)。その成果として2000年に通史的叙述を私家版という形で公にされている。しかし、 120年におよぶ活動の歴史を持つこの宣教活動の諸側面について、なお解明されるべきことは数多い。

このような経緯の中で、2001年(具体的作業に入ったのはその年の秋、10月30日第二回研究会から)に上記研究会が組織されることになった。

メンバーは村上伸(座長)、鵜沼裕子、川島堅二、中道基夫、鈴木貴博、水谷誠(主事)の6名である。今年に入って市丸祥子氏も参加している。取り上げたテーマを列挙すると、植民地時代の宣教理論の反省に立つ最近の宣教理論。日本基督教団の戦後の活動の推移。第二次大戦後のディアコニッセの活動。 ZMR(普及福音新教伝道会本部の機関誌)に現れた日本への関心。ZMRと当時のドイツ人類学。ラーデとAEPM。『真理』(1889年に刊行され12年間続いた日本側の機関誌)の書誌的報告。『真理』とその背景としての当時の日本キリスト教界。宣教師クリストリープについて。宣教師ヘッセルについてなど多岐に渡っている。その間の2003年9月8日-11日には、滋賀県にある同志社の研修施設でセンターの資料と同志社の資料を集めた研究合宿をしている。その際には、DOAMのシュナイス会長、京都からはレップ宣教師も参加された。

また、研究会の作業に関連するセンターの資料類はDOAM booklist、DOAM letterlistとして整理されている。現在は研究会の作業と並行して司書の松本真実さんによってこのletterlistの内容の登録作業が続いている。 研究会自体は今年度でひとまず幕を下ろし、向こう1年を目処に作業成果をまとめようとしている。 研究会の当初から、またそのプロセスにおいて自覚されてきた課題をいくつか列挙する。

1) 宣教活動にかかわる日本語一次資料類は断片的な仕方でしか残されていない。それらの発掘作業が地道になされるべきである。

2) この宣教会活動に直接に携わった人々への聞き取り、またAEPM/OAM関係教会、施設他の探索調査などのフィールドワークが必要である。

3) 痛みの激しくなっている青焼き資料などの永久保存を目指したデジタル化が必要である。それらを利用の便を考慮して一般に公開して、このテーマに対する一般の関心を喚起する必要がある。

ところで、2004年9月23日-26日にかけて、東アジアミッション創立120周年を記念した会がAEPM発足の地であるワイマールで開催された。この会には、ドイツ、スイス、韓国、日本からおよそ120名の人々が参加し盛況であった。記念会では毎日講演やシンポジウムが企画され、歴史と現在における宣教会の活動をめぐって興味深い報告とディスカッションの時がもたれた。日本からは岩波哲男「誤解されたキリスト教」、寺園喜基「日本における普及福音新教伝道会・普及福音教会の影響史」の両氏も講演者に名を連ねられた。26日(日)の最終日には町の中心部の「ヘルダー教会」で記念礼拝がもたれ村上伸牧師が説教奉仕をされた。

なお2005年4月23日(土)にはセンターの行事「トレッフプンクト」の企画としてAEPM研究を推進しておられるハーマー教授を迎えた研究会を予定している。

(みずたにまこと・日本におけるドイツ宣教史研究会主事)



鹿児島牧師研修会をはじめられます

日本キリスト教団鹿児島教会牧師 布田 秀治

昨年・今年の八甲田研修会に続いて、鹿児島でも研修会が開催されることになりました。初めての試みなので心配もありますが、多くの方たちのご協力によって順調に準備が進められています。来年2月末からの予定に向かって、最後の調整に入っているところです。主にこの研修会は、九州・四国・西中国、そして沖縄の牧師が対象になっています。比較的好感を持って受け止めていただいているように感じています。

少しこの鹿児島研修会についてご紹介します。先ず、鹿児島で開かれる特性を生かして、プログラムが構成されています。会場を国立療養所敬愛園にいたしました。敬愛園の中にあります単立恵生教会が全面的に協力してくださいます。療養者のための神学校であった長島聖書学舎の卒業生の方々も受け入れてくださっています。全国で最初に国賠訴訟に踏み切って原告になられた方々の証言を始め、また、多くの入所者と交流することができるようにプログラムを考えています。日曜日にはこの恵生教会で共に礼拝を守ります。恵生教会を中心に療養所の方々と交わるときにしたいと考えています。

また、特別講演として、鹿児島・奄美にこだわって地域図書出版をしておられる向原祥隆さんから「奄美の風土と歴史について」と、真宗大谷派の佐々木智憲住職から「鹿児島における隠れ念仏について」をお願いしてあります。どちらも、地域に仕える教会となるために大切な歴史です。これらの講演は、今日の宣教の課題を知る手がかりになることと思っています。

主題は「主の祈りを生きる」としました。講師に本田哲郎神父をお迎えすることができました。釜ヶ崎において、日雇い労働者たちと共に「主の祈りを生きる」実践をしておられる講師を通して、得難い学びを得ることとなるでしょう。

この研修会は「聖書を読み深め、み言葉に聴き・生かされ」、牧師としての基本的なことを、共同生活を通して学び合う機会となればとの願いをもって計画されています。それは神さまの前に徹底して謙遜に、謙虚に立ち、み言葉を読み深めあいたいということです。

み言葉は互いの立場の違い、意見の相違をも越えて、神さまの前に等しく立たせる力を持っています。み言葉を読み深めることを通して、共に、神さまによって私たちが新しく造り変えられ、命がもたらされることを分かち合いたいと思います。また、今日ますます混迷を深めている世界情勢の中で、いつの時代にも変わることのない、揺るがない使信を、み言葉から汲み取り合いたいと願っています。そして、共に、それぞれの宣教の場へ、神さまから派遣されていきたいものです。

◆主なプログラム(2005年)◆

    2月25日 恵生教会金曜集会参加/交わり/園内案内/自己紹介
      26日 聖書の学び/敬愛園について入所者証言/分かち合い
      27日 恵生教会礼拝/鹿屋特攻資料館/桜島等見学/分かち合い
      28日 聖書の学び/講演「奄美の風土と歴史」/分かち合い
    3月1日 聖書の学び/講演「薩摩隠れ念仏」/分かち合い
      2日 聖書の学び/説教への黙想/分かち合い
      3日 全体のまとめ/閉会礼拝

これらの聖書の学びは「主の祈り」を主題において旧約、新約、そして、その展開を一貫して学ぶ予定です。また、分かち合いでは参加者それぞれが抱えている問題や課題を共有し、牧会の悩みを分かち合いたいと考えています。

一人でも多くの方のご参加をお待ちしています。この研修会が神さまのみ心に適い、参加された一人ひとりがそれぞれの持ち場に、喜びをもって派遣されるものとなりますように祈っています。

連絡先・日本キリスト教団鹿児島教会 布田牧師   TEL/FAX 066-254-3051

(ふだひではる・牧師研修鹿児島委員会主事)





目が見えないってことは
日本基督教団甲府教会会員 花輪 貞夫


この度、富坂キリスト教センター発行の研究書を朗読、録音図書化するに際し、著作権に係る了承を得るために照会した処、その辺の話を一筆書けという総主事の鈴木牧師の御勧めにより、その辺の概括をメモ程度に報告します。

目の見えない者にとっての情報伝達手段は、見える者に比較してかなりその量は少ないのであります。人類学史上の新人が地球上に生まれて10万年でしょうか。その時も目の見えない人は存在した訳ですし、その時代から情報伝達手段が限られたのです。一般に全情報量の70%は視覚に負うと言われますから、目の見えない者は見える人に比してかなり少ない情報と言う事になります。その中で、元来、軍隊の夜間における伝達手段として考案された点字を、目の見えない物の文字として確立したのが、フランスの盲青年ルイ・ブライユでありまして、これは10万年前の新人以来の革命でした。日本ではこのブライユ式点字を翻案して、日本語点字を確立したのが石川倉次(くらじ)でした。そして主用には、戦後になりますが、テープレコーダの出現、これは点字ではなく音声にて情報を伝達する手段で、点字なら亜鉛板による印刷ですから、修正、削除等融通が利かない点からして革命でした。

そして今から10年程前から普及したパソコン、これは点字の発明、テープレコーダーの出現を凌ぐ革命でした。何故なら点字にしても録音にしても表音文字でありますから、漢字の表記のない世界だったのです。それが音声化ソフトの活用によって、漢字仮名混じり文が表現できる、そしてそういう情報源からダウンロードして漢字仮名交じりで読むことができる、そして目の見えない事を意識することなく誰彼区別なくインターネット等を介して情報の交換ができる、これこそ目の見えない者が新人誕生以来10万年の悲願(というのは言い過ぎか)であった障壁を超える事が出来た訳です。現に私もパソコンで、この原稿を書いており、そのままFaxで送信しますから、これはまさに神様の賜物でしょう。音声化ソフトで読めるという事は、次のような場合、その意義が理解出来ると思います。「主の祈り」に、“赦し”と言う言葉がありますけれど、“許し”とは意味が違うのですが、表音文字としての点字、あるいは音声では区別が理解出来ません。しかし標準テキストファイルで書いてあれば、音声化ソフトで鮮明(!)に区別出来ます。さて、山梨県下にも目の見えない、あるいは不自由なクリスチャンが各教派適当にばらけて十数名ほどおりますが、いずれも情報伝達手段は少量であります。点字の聖書、讃美歌集、聖歌集程度であります。たとえば週報が点字化されている教会が日本に幾つあるでしょうか。私共以外の教会員はそのまま読める週報が貰えて、目の見えない会員は触ってもタダの紙でしかない、つまりそのままでは意味のない週報を受け取る訳です。これは明確な意味で“差別”でしかありません。当り前ではないのですね。確かに点字化、録音化は大変ですし難しい問題と思いますが、だからしなくて良いと言う理屈は成立しません。今やIT時代、インターネット経由で土曜日夜までにはメール配信される良い時代になりました。そして今まで通り、点字図書、録音図書が多くの奉仕者によって作成されておりますから、かなりの情報が入手出来る良い時代になりました。

私は20年程前から、この隙間を埋める目的で、いろんな所からの情報を録音化し、不定期に回覧しておりました。今から8年前でしょうか。年4回発行、題名を「ぶどうの枝」として定期的に発行するようになりました。その基本的姿勢は、自分では原稿を書かない、説教/講演/図書等からピックアップする事としております。時にはラジオ/テレビから録音して提供しております。ことに富坂キリスト教センター関係では、『女性キリスト者と戦争』が初めてでした。そして朗読者に、山梨青い鳥奉仕団員の、と言うより、私の所属する教団甲府教会員の榊原恒子姉と言う、事実上のスタッフの朗読奉仕を得てから、研究書のような、一般の奉仕者には少し荷が重い、キリスト教関係の著書を送り出せるようになりました。やはり、“神は見捨て給はじ”、なんですね。この『女性キリスト者と戦争』は去年11月で配本を終わり、次いで『あなたはオウムで何を修業したのですか』を配本します。聴取して下さる兄姉は決して多いとは言いませんが、多くの人の協力支援を得て続けていく、それは私自身も暗記する程とは言いませんがかなり読み込む、いやいや聞き込む結果になります。これも神様がドンと私の背中を押して下さっている教会の塀の上から教会の敷地内に転落するようにと言う配慮でしょう。在主

(はなわさだよし)




シリーズ ひと・ひと・ひとF
  Paul Schneissさん

シュナイス先生は富坂キリスト教センターの宣教師館に1975年から1984年までご家族といっしょに住んで、富坂キリスト教センター設立のために働いて下さった。同時に日本キリスト教団に派遣された宣教師として、教団の総務部でも働かれた。ちょうどこの時期は、韓国においては1973年から軍事政権の圧制に対する市民の果敢な民主化闘争が激化し、ついに86年6月、市民は全国的な抗議デモによって軍政自らの民主化宣言を勝ち取った、劇的な歴史展開の時期であった。私は74年初頭に東京で「韓国問題キリスト者緊急会議」の結成に参加してから80年代の終りまで、牧師と信徒の仲間たちと共に、韓国民主化闘争への連帯を築く活動に忙殺された。シュナイス先生にお会いして共に働いたのは、この活動の中であった。

シュナイス先生は宣教師の身分を活かして、たびたび東京―ソウルを往復し、韓国の拘束された牧師、青年、女性、神学者たちの家族を励まし、またこの人々の信仰に基づく苦闘の情報を東京に持ち帰って私たちの情報活動を支え、さらにドイツの教会にも伝えて、ドイツからの韓国民主化支援に大きな役割を果たされた。その間、清子夫人もくりかえし危険を冒してソウルからの資料運びをされた。

私たちの共同の働きは、ただプロテスタントの者たちだけでなく、カトリックの人々とも密接に連携し、市民運動の人たちとも常に協力し合った。その上、はじめからアジアおよび欧米の諸教会との連携も図られた。これらすべてのつながりには、実はその核となる韓国人キリスト者たちがいたのであって、それらの人たちなしにはこれほど多様な、広範なつながりは起こりえなかったであろう。このことは一言記しておかなければならない。しかしシュナイス先生のような方もまたたいへん貴重な存在であった。先生は私たちが日本人の立場からドイツの教会指導者たちに訴える機会を作ってくださるなどして、国際連帯を豊かなものにした。その半面、市民運動の人々とも親しくされた。クリスマスにはたくさんの青年たちが先生の応接間を埋めて、清子さん手作りのケーキを食べながら韓国の解放歌やキャロルを歌って楽しい時を過ごした。

去る9月にワイマールで、ドイツ・スイス東アジアミッションの120周年記念国際シンポジウムが開かれたとき、私はシュナイス先生の誠実な、精力的な働き振りを見て、あの頃の先生そのままだと、懐かしく思った。このシンポジウムでも、その前の関連六団体協議会でも、シュナイス先生はまさに核となって働かれた。

(東海林勤・TCC総務理事)


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