『富坂だより』 15号
2005年7月

特集:富坂キリスト教センター30周年

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敗戦直後の富坂
(手前は幼稚園のブランコ、後は山岡喜久男教授夫妻が戦後住んでいた家)




巻頭言

山の上の町、燭台のあかり

春見静子

私は、カトリック大学で長年「社会福祉」を教えた後に、2年前から地方の公立大学で教えている。大学の「社会福祉学科」といえば、関西では同志社大学、関西学院大学、神戸女学院大学など、また関東では明治学院大学、立教大学などの多くのプロテスタント大学が長い歴史と伝統を誇っている。

今から40年前に上智大学に社会福祉学科を創設したのは、ドイツ人の宣教師、ペーター・ハイドリッヒ神父であったが、彼はやがて来る社会福祉サービスの高度成長期に、どのような人材が必要とされるかについて思い巡らし、キリスト教大学の使命を強く感じていた。キリスト信徒の日本の人口に占める割合は約3 パーセントといわれ、その数は微々たるものであり、ヨーロッパ諸国はもちろん韓国などと比較しても少ない。それでも、キリスト教主義とされる幼稚園、病院、各種の社会福祉施設などの活動の多くはこれまでも質の高い、特色のあるサービスを提供しているという社会の評価を得てきた。

わが国の社会福祉の制度は戦後長い間、国主導の全国一律のサービスを提供するというのが原則で、平等と公平が強調されてきた。しかし、この10年間に多くの社会福祉立法が改正され、ようやく利用者の立場から福祉サービスを見直すというように発想が変わってきた。今後はますます民間の独自性を発揮したサービスが求められる時代になるに違いない。

このような状況の中で、キリスト教社会福祉実践に寄せられる期待は大きい。これまでも富坂キリスト教センターでは実践神学の研究として、「心の病」に関する研究を行い、さらに実践としては、「いのちの電話」の輝かしい実績をもっている。その伝統を継承して、今後、キリスト教の社会福祉実践の土台となる実践神学の研究を続け、大学ではできないクリスチャン・ソーシャルワーカーの教育や研修の場として、「山の上にある町、燭台のあかり」の使命を果たしてほしいと願うものである。

(はるみしずこ・TCC理事)




東アジアミッション120周年、富坂キリスト教センター30周年記念講演

「日本におけるドイツ東アジアミッションの歴史」

ドイツ東アジアミッション会長 パウル・シュナイス


おめでとうございます。

富坂キリスト教センターの30年間は、東京の真ん中にあるこの場所に始まった伝道史の一番最近の時期を意味しています。30年間とは、120年間の4分の 1であります。120年間、ドイツ人と日本人のキリスト者がここから町やその人々全体にキリストの証言を伝えたわけです。もちろんそれはささやかな、小さな力ではありました。120年間の歴史において、最初の30年間は、世界の新大国としての日本の維新が起こり、古くからのヨーロッパ国民国家に追い付く時期でしたし、次の30年間は、天皇制ファシズムの突発とその結末が導き出された時期でした。

東亜伝道会(旧名:普及福音新教伝道会)は、あくまで小さくて謙虚な団体でした。通常は2、3人の宣教師しか日本にいなくて、東京(関東)と京都(関西)のそれぞれに別かれて活動していました。そもそも東亜伝道会は、他の伝道団とは違って、教会、つまり教派個別の教会を設立するのではなく、日本人にキリスト教の思想と文化を伝えることを目指しました。中国に派遣された宣教師はこうした教育的伝道をずっと固持してきましたが、しかし、日本に滞在した宣教師は教会を作ることを決心しました。そこで東京と京都の周りにいくつかの教会が設立され、後に日本基督教団の創立に伴って、その一部となりました。

この最初の60年間の後、伝道にとって、また宣教師と教会との協力及び日本とドイツの教会の関係にとって、新時代が開かれました。まず、スイス人が東亜伝道会(後に東アジアミッション・OAM)から離れてスイスのブランチを設立しました(1945年、スイス東アジアミッション・SOAM)。その後、残ったドイツ人が改組の結果としてドイツ東亜伝道会(後にドイツ東アジアミッション・DOAM)を設立しました。両者は

相変わらず基督教イースト・エイジャ・ミッションという財団法人を共同で運営しています。そして、この財団を侵さない限り、両者は各自の地域(東京または京都)において、各自の計画で活動できるような協定を結びました。沈黙が長い間続いた後、1964年から両者は徐々に近づいてきて、2002年以後は積極的に協同するようになりました。

敗戦以後約30年が経った頃、つまりドイツの各ミッションがすでに州教会が担う宣教局の中に統合された頃(1972年以後)、ドイツ東アジアミッションは日本の状況に一層相応しくて意味がある、また日本のキリスト教・キリスト教会全体にとっても豊かな活動の方法を目指して、在来の伝道事業の問い直しに取り掛かりました。以前から緊密に協力し、最も身近で仕事をしてきたパートナー(日本基督教団、日本キリスト教協議会、上富坂教会、セミナー・ハウス)と相談しながら、時間をかけた審議の後、ドイツ東アジアミッション理事会は、現代社会倫理の諸問題に集中する神学研究所の設立に賛成しました。この決定に導いた理由と考察は以下の通りでありました。

富坂では再出発を試みて、ドイツから宣教師派遣を中止しようとしました。手を放してもいいかどうか、ドイツ東アジアミッション理事会で激論が長く続きましたが、30年後の今から振り返ってみますと、その再出発は成就されました。「富坂キリスト教センター」は、「ドイツ東アジアミッション」の位置を引き受けました。

この伝統を現代の教会と社会にとって必要な物とするように努力してきたのです。「社会倫理」を研究の基盤としたら、それができるように見えたからです。富坂の30年間の歴史は、1970年代の決定の正しさを示していると思います。東アジアミッションの活動全ては自由主義の精神で行われてきたと思いますが、19世紀末以来、日本の精神的風土は神学でも教会でも自由主義の方へ変わってきました。富坂キリスト教センターは、現在キリスト教各派を越えただけではなく、他宗教や無宗教の人々とも協同しています。東アジアミッションの初期の宣教師にもこのような精神が見られましたが、それはとても歓迎すべき視野の広がりを意味しています。

(初期の30年間重要であった)ドイツと日本の二つの文化の出会いを、より幅広い東アジアの諸文化間の出会い、またヨーロッパ(少なくとも、当時の二つのドイツとスイス)との出会いにまで広げようとしました。(韓国プロジェクト、敗戦後50年のドイツ・プロジェクト、中国プロジェクト等を参照せよ。)

キリスト教と日本の諸宗教との出会いを深めようとも思いました。今日は「他宗教間対話」の言葉が流行っていますが、ハース(H.Haas)や中国で最も有名なグンデルト(W.Gundert)などの東アジアミッションの宣教師、あるいはブルームハルト(Blumhardt)の婿のヴィルヘルム(R.Wilhelm)も、初期からこの理念を旗印にしたわけです。彼らはいまだによく覚えられています。国家神道との対決とその理解もこの文脈で捕らえなくてはなりません。(富坂の天皇制に関するプロジェクトを参照せよ。)この分野において、富坂は(東アジアミッションとは関係を持たない)京都のNCC 宗教研究所と協力しています。

最後に私は切実な望みを述べたいと思います。日本とドイツの神学・教会間の対話は、出発点の段階で止まっています。数年前に『焦点』(Brennpunkte)という本が出て、他にも2、3冊の論文が日本語から翻訳されました。しかし、「対話」と言えるほどの交換はいまだ見当たりません。

日独キリスト教会協議会の場合でも、本当の対話が起こりませんでした。それらは次の朝に忘れられてしまう一夜の夢のようであり、神学にも教会にも影響を与えませんでした。120年前と比べて、コミュニケーションの技術が随分上達した現在において、具体的で効果的な道を探して、この対話に呼び水を差さなくてはなりません。私たちは対話を進めようとする人々を支えなくてはなりません。それによって確かな相互事業が始まります。とにかく、ドイツ東アジアミッションはこのような課題のために新しく構築されたホームページを提供しています。

富坂キリスト教センターの30周年。設立責任者として現在も富坂で活躍している人はいません。新しい人がバトンを受け継いで、それを将来に向かって運んでいます。神の国が建てられ、人類が平和に共存できますように、富坂の活動によってこれからの30年間も、この大目的が推し進められますようにと祈ります。日常の研究と出版、出会いと会話、対決と協力の上に聖霊の導きがありますように。ドイツ東アジアミッションもスイス東アジアミッションも、富坂と共に新しい発見をしようとする気概はまだまだ十分にあります。今後とも皆様と共に歩んでいきたいと思います。

(Paul Schneiss/翻訳・ゾンターク)




富坂キリスト教センター30周年を迎えて

土肥 昭夫

 筆者は、富坂キリスト教センターが設置した一研究会にはずっと参加しているが、その多岐にわたる活動の全貌は知らない。そこで乏しい見聞に基づき、二、三のことを述べる。 まず、当センターのルーツがドイツ・プロテスタント・ミッションであり、今日もドイツ東亜伝道会(DOAM)、スイス東亜伝道会(SOAM)、その他と協力関係にあることについてである。日本の教派、キリスト教団体でドイツやスイスの諸ミッションとこのように深い関係にあるのは、当センターだけではないかと思われる。これらの諸ミッションの背景にあるドイツの領邦教会、スイスの州教会は主として米英流の教派的類型に属する日本の教会と質を異にする教会である。その異質性が相互に研鑽の契機になる。そこで当センターがドイツ、スイスの教会と日本の教会の出会いのチャンネルになることを期待する。

次に、当センターがDOAMの方針を主体的に受けとり、東アジア・ミッションに関する深い関わりを持ち続けていることである。特に韓国についてはセンター初代主事パウル・シュナイス氏の韓国民主化闘争支援活動に始まり、民衆神学者である故安炳茂(アン・ビョンム)氏の韓国神学研究所との連携、2年間にわたり当センター協力主事として迎えた朴聖?(パク・ソンジュン)氏の精力的な働きがある。さらに、故澤正彦氏寄贈の日韓キリスト教関係史文書の閲覧、『日韓キリスト教関係史資料U1923-1945』(新教出版社、1995年)の刊行(その戦後関係史資料の刊行が望まれる)、「ソウル・宗教と文化フォーラム ―ロシア・中国・韓国・日本の理解と連帯に向けて」(1999年10月)の開催、「DOAMシンポジウム―赦し、補償、暴力の放棄――韓国、日本、ドイツの教会の真実と償いと平和のための教会の責任」(2000年9月)の参加と、文字通り多彩である。

中国については、上海師範大学、韓国神学研究所との共同企画になる「東アジア和解と連帯のための国際学術討論会」(1994年8月)の開催、現在は香港でキリスト教を含む西欧文化思想の導入に取り組んでいる漢語基督教文化研究所との交流がある。今後のことは、かつて2年間奨学金を授与され、現在非常勤主事として「現代中国キリスト教史研究」に携わっている薛恩峰(シュエ・エンフン)氏の尽力に待つところが大きい。その研究会のメンバーである葛谷登氏の協力も期待できる。

現在の東アジアは、南北朝鮮の平和統一問題、いわゆる北朝鮮と日本や中国と台湾の関係、中国や韓国民衆の嫌日・反日意識にみる通り、困難を極めており、日本のキリスト教の取り組みも容易ではない。当センターがNCCなどと協力して、その取り組みの潤滑油となることが望まれる。

次に牧師研修会が2002年より企画され、第1回が青森・八甲田伝道所で2003年10月と04年10月に、第2回が鹿児島・国立療養所星塚敬愛園で 2005年2-3月に行なわれた。その開催時期と期間は現役牧師の状況を考慮し、プログラムにはその地域の風土と文化のことを入れ、講師に多彩な人材を求めたことなどは、教区や神学校の研修会には見られない企画であった。ただし、このような企画がどれだけ貫徹し得るか、牧師たちの参加意識を刺激し得るかが今後の課題である。また研修会というのは、講師の話を聞き、相互に論議し、交わりを深めるだけでは不十分である。それに参加した牧師が、そこで何を思い、何を修得したかが問われなければならない。いわば出席者のレポート提出が求められる。そのために研修会の企画に工夫もなされねばならない。

研究会について述べる。当センターはキリスト教社会倫理の諸問題を学際的に共同研究し、その成果を世に問うことを企画し、1990年代にはこの研究会活動に集中し、多数の研究会を設置し、書物も刊行した。2000年代に当センターは企画を転換し、研究会の数を絞り、現在は8つとした。ただ、その中には他の研究機関でも出来るのではないか、また研究成果が期待できるのかといった疑問のある研究会があり、関係者の熟慮と尽力を期待したい。筆者が世話役をしているキリスト教と天皇制研究会は、法制史、政治史、思想史、教育史の研究者、カトリックより無教会におよぶ専門の歴史研究者、ユニークな経歴と繊細な感性の女性作家の参加を得、過熱気味の討論を繰り返しており、2006年にその成果を公表する予定である。

最後に一言、当センターにも必ず歴史編纂の時期が来る。当センターの理事会記録、諸活動記録は完備し、大切に保管していただきたい。記憶は当てにならないから。

(どひあきお・キリスト教と天皇制研究会X座長)




スイス東アジアミッションからの お祝いの言葉

スイス東アジアミッション会長 ハラルド・グレーべ

 今回の東アジアミッション(OAM)120周年記念、富坂キリスト教センター30周年記念会には韓国から朴聖?教授、ドイツ・EMSのドレッシャー氏、香港の漢語基督教文化研究所のヤング所長など海外から何人もの方々がお祝いに駆けつけて下さった。またスイス・ミッション21のグロースさんやEMS総監事のディンケルアッカー牧師など、なつかしい方々のお祝いのメッセージも寄せられた。その中にスイス東アジアミッション会長、グレーベ牧師がいる。以下は事情で参加できなかったグレーベ会長に代わってグレーベ夫人が代読した会長挨拶である。(編集部)

富坂キリスト教センター30周年おめでとうございます。スイス東アジアミッション(SOAM)からも30周年のお祝いを申し上げます。

富坂キリスト教センターは、誇りを持ってセンターの過去を振り返ることができると存じます。何冊もの神学関係の本と論文集、富坂キリスト教センターで行われた研究などは、日本における神学的論点に重要な影響を与えました。

富坂キリスト教センターの理事の皆様は困難な時も、慎重に舵取りをすることに成功してきました。現在のスイス東アジアミッション会長の切なる願いは、富坂キリスト教センターとの関係を一層強化して、交流を深めるということです。過去のことですが、スイス東アジアミッションは、富坂キリスト教センターとドイツ東アジアミッション(東亜伝道会、DOAM)の結び付きに入ることを遠慮した時期がありました。もともと財団の京都側と東京側は一つだと知りながら、歴史的な理由と地理的な理由とによって別々になった富坂キリスト教センター・ドイツ東アジアミッションの関係と京都・スイス東アジアミッションの関係を別個のものとして扱いました。

しかし、財団を共有することによってこそ、関係は多様で豊かなものとなり得るのです。富坂キリスト教センターの理事会も、スイス東アジアミッションとの新しい関係を求めて下さいました。スイスにあって私たちは、理事会の信頼を得て二人の理事を推薦できたことを誇りに思っています。この場で、改めて感謝を申し上げたいと思っております。これから、私たちも平和のネットワークと様々な宗教間の理解容認に貢献できるよう、努めたいと思っています。どのように貢献できるか、富坂キリスト教センターとスイスの関係をどういうふうに活かすことができるか、示唆をいただければ幸いです。昨年の東アジアミッション120周年記念シンポジウムの際には、お互いの関係の多様性がすでに明らかになっています。

スイス東アジアミッションは、可能な限り日本及びドイツ東アジアミッションとの関係を大事にして、特に人事の面の友好的な交流に貢献することを願っています。ことに、イエスの福音に新たな発見を得て、新たに福音を宣べ伝えるためにこれは重要なことでしょう。これからも富坂キリスト教センターの働きの上に神の祝福がありますように。

スイス東アジアミッションの名によって

  (Harald Greve/翻訳・アンドレアス・ルスターホルツ)



第一回 鹿児島牧師研修報告

日本基督教団九州教区春日東教会牧師 澤村 雅史

    今年2月25日から3月3日にかけて富坂キリスト教センター牧師研修・鹿児島研修会が国立療養所・星塚敬愛園にて行われた。四国、九州、沖縄を対象に呼びかけて、四国や沖縄からも参加者があった。日本キリスト教団執行部は、沖縄教区との間に大きな溝を作ってしまい、沖縄から参加者を招くことは出来ないのではないかと心配した。しかし、沖縄からも参加者があった。九州教区は参加者を教区推薦して下さった。以下の文章は教区推薦で参加された澤村雅史牧師(日本基督教団九州教区福岡地区春日東教会)の報告である。『九州教区通信』264号(2005年5月1日)に掲載された同牧師の文章を、同通信の許可を得て、以下再掲載させていただいた。(編集部) 

春宵一刻値千金―とはいうけれど、この方たちは千金をはるかに越える苦闘によって、この静けさを勝ち取ったのだ...この春の宵を心ゆくまで楽しむまでに、この方たちは半生を費やさなければならなかったのだ...誰が、何がそんなことを強いたのか..。まだ肌寒さの残る研修会の最終夜、恵生教会の方々との交流のひとときを終え、ハンセン病国賠訴訟の原告として立たれた姉妹たちをお家まで見送りながら、そんな思いが上気した胸に迫った。

2月25日〜3月3日、富坂キリスト教センター主催の牧師研修会が、鹿児島は鹿屋・星塚敬愛園にて行われた。九州・四国・沖縄などから十数名の参加者があった。ある参加者が「人類の、国の、私たちの罪の歴史が凝縮された場所」と正鵠を射て表現したこの場所でこその、深い学びのときとなった。富坂キリスト教センターは、ドイツの東アジア伝道会を母体に生み出され、東アジア諸教会や諸外国の研究団体と共に、キリスト教社会倫理の諸問題に関する学際的な研究を行っている研究団体である。多様化する社会の新しい課題を前に、牧師のつとめとは何か、という問いを深めるため、共同生活・共同研修・共同牧会を旨とし、「敬聴」を基本姿勢として、すでに八甲田で2度の研修を実施したという。今回はその鹿児島版として、初の試みである。釜ケ崎ふるさとの家司祭・本田哲郎さんや真宗大谷派光泉寺住職・佐々木智憲さんをはじめとする多彩な講師による濃い学びは、敬愛園内の恵生教会のみなさんの証言を直にお聞きする機会を得たことで、幾重にも深められた。とくに、ある方の「聖書から『らい病』という表現が消えたことは嬉しい。しかし自分たちの苦悩の歴史が消されてしまったような寂しさをも覚える」という証言が忘れられない。

加えて、夜毎の語らいを通して慰め・励まし・薫陶を受けたことも、一週間の共同生活ならではの豊かな成果であった。

(さわむらまさし)





【書評】『現代世界における霊性と倫理』
聖公会司祭 山野 繁子


この書物は富坂キリスト教センターで、1998年から2003年という世紀の変わり目を越えて行われた「霊性と倫理研究会」のメンバーによる研究と対話の成果である。これはいわゆる「宗教間対話」の試みではなく、「宗教の根底を深く掘り下げていき、そこで感じられる微妙なつながり」を見いだす営みであったと言われている。霊性という言葉を地下水脈と言い換え、「同じ地下水がたくさんの違った井戸から汲み上げられる」というイメージの上に、宗教を越えて<共に痛むことを基礎にした倫理>を発見することへの試みが、誠実に積み重ねられたことが、この書物の全体を通して実感させられる。この大変ユニークな試みが今後どのように深められ、今日の課題への応答に向けてわたしたちを力づけていくことになるのだろうか。わたし自身の課題としても、この問を大切にしていきたい。 

1990 年早春だっただろうか、「正義・平和・被造物の保全」と題する世界教会協議会主催の会議がソウルで開かれた。南アフリカの反アパルトヘイトの闘いのさ中から来られた牧師が、厳しさと穏やかさと幅広い視野をもってグループ討論をリードされたこと、「悲しみの物語」と題して日本人のシスターが、他のアジア諸国から来て日本で働いている女性たちのことを、淡々と語られた場面などを想い起こす。当時の世界で起こっていた人々の苦しみを、分かち合い、各地の教会が連帯して応答していくことが約束された。その後今日までの15年間、世界の諸事情はエキュメニカル運動にとってますます厳しさを増し加えてきた。

今日のグローバル化された世界で、「人々の悲しみと痛みの現場」に世界の宗教者が寄り添い、そこから霊性の地下水を汲み出すことが求められる時代なのかもしれない。にもかかわらず、宗教そのものが逆に人々の悲しみと痛みを引きおこす原因の一つとなっている(または、原因の一つとされている)のではないだろうか。この書物が提起している課題は、そのような意味でも、今日もっとも必要とされている領域なのかもしれない。

人間の痛みにつながる課題は、ますます広がり、複雑化している。たとえば、今日的な課題の一つに、ジェンダーの問題がある。21世紀に入った今も、男女の性差が社会的な価値の差となり、強者・弱者の関係が歴然として、両者の間に支配・従属の関係が成り立っている。

これが文化となり、制度となり、さらにはグローバルなシステムとなっている。しかも個人の生活レベルに深く根ざし、教会の制度から内面生活のあり方にも行き渡っている。ありのままの自他を受け入れて共に活かし合う関係の創造を、いたく傷つけていることが多いだけでなく、この問題を提起すること自体が、現在の力関係を危うくし、恐れと脅威を生み出すこととされることが多い。あるいは皮肉や無言の壁にぶつかることもあるだろう。

いまや、ジェンダーの課題を提起するのは、女性の側から、すなわち弱者の側からではなく、男性の側からなされたらどうだろうか?女性も男性も、この課題を、人類全体、自然全体に関わる普遍的な問題として、とらえ直すことができないだろうか?

言い換えてみると、歴史的・具体的課題として経験されているジェンダーの課題をとおして、わたしたちが遺してきた多くの課題が明らかになり、次の歩みに向けて、共通のビジョンと闘いを造りだしていくことができないだろうか?

いわゆる「ポスト・コロニアルの時代」に生きる世界の女性たち、とくにアフリカの女性たちは今、「貧困の女性化」に加えて「エイズの女性化」を訴えている。同時に、長く内戦状態が続いてきたルワンダなど、あるアフリカの女性たちは、もはや救済の対象ではなく「社会を新しく作り直す」主体として、役割を果たし始めている。ジェンダーの課題が貧困、暴力、力(権力)、自然(環境)そして生命の問題と切り離すことができない現実を覚えて、今後の霊性と倫理の探求が、さらに深められることを望みたい。

(やまのしげこ)




シリーズ ひと・ひと・ひとG
  Mira Sonntagさん

今年の四月からドイツ福音主義教会南西宣教局(EMS)から派遣されて、富坂キリスト教センターの研究主事として仕事を始めたゾンターク・ミラと申します。この『富坂便り』を通して自己紹介をさせて頂きたいと思います。皆様よろしくお願い申し上げます。

私は旧東ドイツのツィッカウ(Zwickau)の出身です。ドイツの統一は、テューリンゲンの森の奥に隠れていた小さな学校(ウィッカースドルフ自由学園)において迎えることになりました。当時政治的に統一化されたこの寄宿学校では、キリスト教の宣伝は、当然なことに禁じられていましたけれども、実は先生や保育士などと宗教の話もあり得たわけです。ご存知のように、キリスト教は、統一にきっかけを与えた「平和革命」の活動家たちに精神的組織的な支柱を与えました。私自身は、当時の教会・青年会の批判的な活動に引かれてキリスト者になりました。

予ねてその時から、私は遠い国々、異文化への憧れを抱いて、資本主義の国への旅行が許されなくても、アジアへの旅行を夢見たのです。そこで私はベルリン・フンボルト大学に入学して、日本学、神学とロシア語を科目として選び、幅広い研究に携わるように努力しました。寄宿学校における共同生活の社会化、その教育改革論的な精神、およびドイツ統一前後の転換期の経験があったので、入学後に習得した知識についても、それらの現在における「意義」を探究しないではいられませんでした。それで、宗教と日本への関心は、私を日本キリスト教史、特に内村鑑三の思想史に導いてくれました。つまり、キリスト教の土着化を研究することによって、キリスト教の特定の歴史的背景に焦点を合わせた現実を学べると思ったのです。修士論文では、内村の救済論を、博士論文では、キリスト再臨待望運動に集中しながら大正期における合理性と救済との関係を取り上げました。研究のために1998年来日して、2005年の春東京大学大学院の博士課程を修了しました。

昨年から、新しい研究に向かって出発しようとしています。上述の関心を踏まえて、日本の教育改革の研究に取り込むようになりました。私はそれを、宗教教育の諸問題とキリスト教教育の現在における使命という二つの観点から考察したいと思います。富坂キリスト教センターに就職して、センターの様々な活動に力を尽くして、また現実問題を扱う学際的な機関としてのセンターに与えられているユニークな可能性をうまく使って、研究を進めたいと思います。以上の研究に加えて、NCCの奨学金でドイツに留学を希望する牧師や神学者などのドイツ語教室と、設立されたばかりの女子留学生寮(山上学寮)の担当をさせて頂きます。ミラ・ゾンターク



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