『富坂だより』 18号
2006年11月

特集:2006年度合同牧師研修

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Lucas Cranach(1472-1553)の版画
律法(旧約)と福音(新約)との関係を描く (説 明)



巻頭言

国籍は天にあり

鈴木 正三

今年5月に「公益法人法3法」が国会で可決・成立した。この法律は全国に数万ある財団法人全てに改革・再構成を迫る100年目の大改革と言われている。富坂キリスト教センターも財団法人基督教イースト・エイジャ・ミッションの下で数十年活動してきたが、財団とセンターはこの新公益法人法に従って、今後どのように進むべきかという大問題に正面から取り組むことになった。

ただこの財団の場合、非常に取り組みを複雑にしている問題が、財団を生み出した東アジアミッション(OAM、現在のスイス東アジアミッション(SOAM)とドイツ東アジアミッション(DOAM))の存在である。DOAMやSOAMと財団との関係を新公益法人法の下でどのように再構成し、改善していくかという課題である。ドイツ・スイスにおいては、ドイツの方法、スイスの方法ということではなく、OAMの精神に立って財団との関係を再構築し、日本においては、財団の方法かセンターの方法かということではなく、両者を一体化した未来を築くことが出来るかということである。この課題は再構成の仕方を間違えると財団に大きな財政的負担を強いることになる。あるいは財団の活動に大きなゆがみを与え、20年以上にわたって築いてきた「キリスト教社会倫理の問題を学際的に研究する」や「牧師研修」を、さらには国際学術交流の豊かな流れを維持・発展させるということができなくなるということだろう。

そこで、立ち戻るところはOAMが残していった精神、「国籍は天にあり」(ピリピ3:20)という国境を超えた存在の捕らえ方である。そして、そこから必然的にもたらされる「御国を来たらせ給え」という祈りである。未来を、自分たちの思いではなく、「神の国の到来」の祈りに合わせて築き上げていこうという強い意志である。120年前にドイツとスイスのキリスト者が国境を超えてワイマールに集まり、東アジアの宣教に向かったその意志をわれわれはどのように引き継ぐことができるだろうか。

(すずき しょうぞう・TCC総主事代行) 




特集:2006年度合同牧師研修
新約と旧約はどう関係するのか

池田 伯


初去る8月28日から31日にかけて、緑溢れる樹林に立つ「富士箱根ランド」で、表記の主題による合同牧師研修会が、2人のオブザーバーと32名の参加者によって行われました。

2002年度から始まった富坂キリスト教センターの牧師研修プロジェクトが翌年度から、青森、鹿児島、松山での5回の研修会を重ねてきた、それらの会に参加した牧師たちを中心に、新しい参加者も加えて、総括的な合同の研修会を開きたい―それが今回の集まりでした。

研修会の趣旨は当初から、牧師としての基本姿勢・そのつとめの具体的働き・キリスト教的霊性の養いなどを共同生活をとおして、主とその教会に仕えるために、共に神に聴きつつ互いに学びあう、ということでした。そしてこれまでの研修会の主題は一貫して「主を畏れる」でした。その主題に対する私たちの解釈をこえて、神の恵みによってそこに招かれ立たされることが、牧師のつとめの基礎であり具体的働きの基本と考えてきたからです。

参加条件といっても、できれば数年の牧会経験を経ていることが望ましいということだけです。経験や考えなど多様な牧師たちが会し、学びあい祈りあい語りあって、自己と教会とを見つめ直す時とし、牧師として互いに成長しあう機会とし、新しい共同性が生まれることを願ってきました。今回の合同研修会もこのような流れの中で行われました。

今回の特徴は、これまでの主題を背景にしつつ表記の主題を設けたこと、その主題の理解と私たちの研修趣旨とを深め展開するのに相応しい講師ベルトールト・クラッパート教授(ヴッパータール神学大学)を迎えたことです。それに、従来は趣旨を生かしやすい「20名以内の参加者」でしたがその規模を少し超え、期間は1週間前後を4日間としたこと、食事も自分たちでつくっていたのが宿所のそれにしたことなど、「合同」ゆえの会運営がありました。

ヤコブの手紙2章19〜26節による武田武長さんの開会礼拝説教では、「主を畏れる」と第1戒の結びつきを背景としつつ、神の唯一性の認知は神と私たちとの人格的信頼関係にあり、それは服従(の行為)における信仰であって、そこに「神を畏れ神に仕える」出来事があること、また今主題との関係で、旧約が新約に属しているのではなく新約が旧約に、ユダヤ民族への約束全体に属している、との研修会の核心にふれる勧めがありました。

開会礼拝に続いて研修会全般にわたるオリエンテーションがあり、自己紹介が交わりへの糸口となりまたそこで研修会への期待も語られました。クラッパート講師から、主題に関し課題として予め聖書3箇所が指示されていました。創世記12章から22章、十戒、エレミヤ書31章です。また研修会では講演のためのA4 紙12枚に及ぶレジュメが配布されました。

第1日の夕食後、まず講師から講演全体の見取図的な説明が4項にわたってありました。

A: 創世記テキストによる「アブラハムの道」(約束の担い手であり、信仰の原像であるアブラハム)、B:十戒と新約聖書との関わり(トーラーの一貫性)、C: エレミヤ書テキストとの関連で、「古い」契約と「新しい」 契約の内容と関係(「新約」聖書とはなにを意味するのか)、D:どのようにして全聖書的カノンを理解することができるのか(律法、預言書、諸書の関係、使徒たちと福音書記者との関係のことなど)―これらに関するガイド的説明でした。ただ決められた時間枠の中で、CとDは丁寧に取り上げることは困難だろうとのことで、実際講演ではそれらの要点への言及はありましたが、そのとおりになりました。

その説明に続いて、提示されていたそれぞれのテキストによる発題が、講師への質問を含めて、予め依頼していた3人の参加者からありました。それらは、各テキストの釈義のうえにその聖書的歴史的意味をも問う力のこもった内容でした。それにたとえば創世記による発題者は、「土地の授与」は神の祝福の内容として理解できるか、といった、もちろん今日のパレスチナ状況にも関わる質問を出していました。(それに対する講師の答。そうだ。精神化されてよいことではない。ただそれが新約にも妥当するかどうかの問題はある。1948年の国連でのイスラエル建国決議は認められなければならない。イスラエルが排除されてよいのではない。イスラエルもパレスチナもそれぞれの境界の中で暮らせるようにすべきだ。皆さんはイスラエルの人たちの生存権について執り成しの祈りをしているか。)

2日目以降毎日のプログラムは、朝の祈りから始まりました。担当者が10分余りみことばを取り次ぎ、その後約30分黙想の時とし、皆それぞれ屋内外で沈黙の祈りのときを過ごしました。

講師による3回に亘る、質量ともに設定時間には収まり切れないような、豊かな知識と洞察による私たちの聖書理解の根本をも問う講演は、説得的であり刺激的でした。ここでその全容を報告することはできませんが(この講演は今後何らかの形で文章化する予定です)、私の理解と勝手で2〜3の感想的報告を記します。

「アブラハムの道」で、祝福と約束の担い手として、大抵アブラハムとサラが並行して語られました(確かに子孫が与えられる祝福・約束にはサラが決定的に関わっているのであり、彼女をここで見落としていたことを気付かされました)。主の祝福契約はこの2人とイサクだけでなく、その祝福はハガルとイシュマエルにもなされていることの指摘がありました。アブラハムへの約束は「すべての氏族」に向けられており、それはまだ実現していない、その意味で、彼は過去から現在・未来へと続く表象で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を貫く幻である、ということでした。またサラとマリアとのつながりの指摘がありました。

十戒と新約聖書との関わりでは、十戒が奴隷から解放された者のいのちにいたるトーラー・「道案内」として語られ(福音から律法)、この十戒は新約聖書に一貫して受け継がれていると強調されました。たとえば、山上の説教は十戒の反対命題として理解されてきた、しかし山上の説教自体はそれを対立命題としてはいない、「あなたがたは・・・と聞いてきた。しかしわたしは言う」は「しかし」ではなく「加えて言う」がここで語られていることである―まさにトーラーの一貫性です。

講演に対する、対応できないほど多くのそして論議を要する質疑があり、ある参加者の感想のように「白熱したもの」でした。講演内容もさることながら、クラッパート講師の寛やかな人格にふれることができ、参加者皆暖かい思いでした。夫人も全期間にこやかに参加してくださり、よい交わりをいただきました。

2日目と3日目の夕食後は、8名前後のグループに分かれ「分かち合い」のプログラムでした。今研修会のことだけでなく、それぞれの牧会上の課題や悩みを「相互牧会」として語り合うことができました。 従来の研修会で半日いっぱいを当てていた「散策」は今回協議が食い込み、3日目午後の後半だけでしたが、同じ箱根で開かれていたピカソの展覧会に出かけた方々もおりました。

会の合間にクラッパートさんから東方教会の讃美歌<ハギオス テオス ハギオス イスヒュロス>(「21」の84)を教えていただきました。

4日目は午前だけでした。40分の追加講演を急遽組み入れました。そして「まとめ」の協議があり、講師と参加の仲間たちへの感謝の言葉があり、続いて、ここで受けた養いを、仕える者として活かすべく、それぞれの教会に戻り行こうとの閉会礼拝を終え、散会しました。

(いけだ あきら・合同牧師研修委員会委員長)




からし種のように成長していくように

薛 恩峰

留学生の受け入れや派遣を通じた国際交流は、グローバル化する経済、社会の中でますます重要となる日本と諸外国との間の親密な人的ネットワークを形成するとともに、相互理解の増進や友好関係の深化を深める上で、非常に効果的です。特に、日本から帰国した留学生は、政治、経済、学術等様々な分野で母国と日本との架け橋として対日理解、友好関係の促進に貢献することが期待される貴重な人材だとされています。またこうした人的ネットワークは、日本が安定した国際関係を築く上での重要な基礎となるものです。

近年、日本が受け入れている外国人留学生の数は大きく増加しており、留学生総数121,812人(独立行政法人日本学生支援機構2005年5月1日現在)で、過去最高となっています。そのうち国費留学生は、わずか9,746人であり、全体の約1割を占めています。留学生全体の9割以上はアジアからの留学生であり、中国の70,814人を筆頭に韓国、台湾を加えますと、全体の8割に達しています。増加した留学生のほとんどは私費留学生というのが現状です。また日本の大学のほとんどは、自前の留学生寮を持っていないため、78%を超える留学生は民間の宿舎やアパ−トを探さなければなりません。このように国費留学生の受け入れにしても留学生寮の数にしても、いずれもまだ十分な水準に達したとは言えません。このことの背景としては、日本の国際化が十分に進んでいないことや留学のための経済的負担が大きいことなどが考えられます。

留学生は未来の親善大使です。日本の物価高や宿舎探しの難しさに困っている留学生に対して何かできることはないでしょうか。かねてからアジアにおける相互理解、友好関係の促進に力を注いできた鈴木正三総主事代行とこのことについて度重なる話し合いをし、可能性を探ってきました。2005年4月、空室を生かした小さな山上学寮が富坂キリスト教センタ−で産声を上げました。山上学寮は、日本の大学で学ぶ東アジアの女子留学生のための宿舎で、寮生活を通じて相互の国際交流と国際理解を深めることを願って、富坂キリスト教センターが設立した施設です。二人部屋の形式で、からし種のような大きさしかない山上学寮には、現在中国から4名の留学生がそれぞれ慶応大学・東京大学・早稲田大学の大学院に在籍し、日本人学生とともに卒業を目指して日々勉学に励んでいます。

今まで寮生との交わりを定期的にしてきました。これから、寮の運営を通じ、様々な文化交流や勉強会、社会見学などのイベントを積極的に行い、一人でも多くの友人ができるよう支援を続けて行くつもりです。顔と顔が見える中で、築かれた関係は、きっと将来の大きな財産となるでしょう。

(しゅえ えんふん・山上学寮委員会委員長)




【出版予告】
『在日外国人の住民自治 ― 川崎と京都から考える』
在日朝鮮人の生活と住民自治研究会編 12月末発行 予価2000円

 「 重度

日本社会に定住する外国人が増加するようになって久しいが、当初はそうした社会現象にあって「国際化」というスローガンが唱えられていた。やがて国際化の中味がさまざまに問われるにつれて「多民族共生」あるいは「多文化共生」といった言葉にとってかわって多用されるようになった。この言葉は、地域社会に外国人が多住するなかでそうした人びととどのような関係のなかで生活をともにしたらよいのかを模索する実践グループによって唱えられてひろがってきたと言える。

日本社会には、ふるくからの在日外国人が存在していた。他ならぬ在日朝鮮人である。この集団は、法的には外国人とされながら社会的に疎外され、その存在を無視に等しい「目にはみえない」集団とされてきた。

在日朝鮮人は日本の不条理な戦後処理のなかで翻弄され、「追放か同化か」の二者択一的生き方を迫られるなかで日々の生活をおくってきた。こうした在日朝鮮人を日本政府は歴史的政治的節目ごとにその処遇を変えてきた。それは民族的他者としてその存在を認めるのではなく、「同化させて帰化させる」というものであった。

経済大国化した日本には、好むと好まざるとに関わらず外国人が流入するようになってきたが、集約産業界はそれでも慢性的労働力不足であった。こうした状況にあって、経済界からの要請もあり、日本政府は外国人労働者を求めざるをえなかった。そこで日本政府は、かつて貧しい時代に移民として送り出した日本人の子孫を日系外国人労働者として受け入れはじめた。そして国際社会のグローバル化ともあいまって日本社会には急激に外国人が流入するようになった。国際結婚も増加の一途をたどりはじめ、日本国籍をもったいわゆるダブルの子も増加している。こうしたニューカマーズ(新渡日者)が急激に増加してくるとともに、地域社会ではさまざまな問題が派生してきた。

こうした状況にあって、日本政府をはじめ地方自治体の在日外国人施策は遅れに遅れている。のみならず、排外的行為や言動が後を絶たない。

本書は、こうした今日的在日外国人問題を考える上でまずおさえておくべきは在日朝鮮人のこれまでの「市民的権利要求」の実践的闘いを振り返ることが重要であると考え、ふたつの地域実践例をとりあげた。また、こうした先行事例が、多民族、多文化共生社会の実現にむけて参考になるのではと考えたからである。

在日朝鮮人と日本人の協働の実践が歩みだしたなかに、地方自治体をいかに巻き込んでいったのか、そして参画させていったのかを報告することにより、共生社会の形成に資することを念じている。

在日朝鮮人をめぐる諸問題の背景を座談によって試みたが、収録に関して紙幅の関係もあって発言者の意を満足させるものにはなっていない部分もあるが、大まかには描きえたのではないかと思っている。

事例については、その後の推移はあるものの、在日外国人との共生を模索するうえでの参考事例として未だ有効であると思っている。

出版を意図して「在日朝鮮人の生活と住民自治」研究会が「富坂キリスト教センター」のプロジェクトとして歩みだして10年をこえてしまった。この間、25回に及ぶ研究会がもたれ、センターの担当主事も数人に代替わりしてしまい寛容の限界を超える迷惑をかけてしまった。それにも拘らず、出版にこぎつけられたことにセンターの関係者に深く感謝したい。

研究会のメンバーは次のとおりである。 李仁夏、崔忠植、江橋喬、山田貴夫、文京洙、 宇野豊、姜恵驕A「重度。

(べい じゅんど・在日朝鮮人の生活と住民自治研究会主事)





ホフガイスマルから @

 岡田 仁

8月下旬に家族をドイツに迎え、ホフガイスマルに住み始めて二ヶ月が経とうとしています。この間、祈りのうちに覚え、支えて下さっている皆様に感謝とお礼を申し上げます。プレディガーゼミナール(以下、牧師研修所)所長コルネリウス・ブンドシュー先生とそのご一家の献身的なご好意により、住居、家具、子どもたちの学校・幼稚園、保険の手配など順調に整えられ、恵みの内に日々を過ごしております。10月にはEKD・ディアコニエのシュナイダー先生、EMSのドレッシャー先生とお会いしました。シュナイス先生ご夫妻とも来春にはお目にかかれるかと思います。滞独中に神学的な学びや研修と併行してなるべく多くの人々と出会い、ドイツ諸教会の実践的な働きを見聞できればと願っています。

ホフガイスマルはヘッセン州都カッセルの北25キロ程にある人口1万7千の小さな町です。ここでクアヘッセン・ヴァルデックのプロテスタント教会牧師養成専門教育と継続教育がなされています。

1891 年に創設されて以来、教会の実践、諸経験の交換などが行われ、研修目的の一つとして牧師職の諸課題に対する神学的責任の認識への備えがあります。ここで神学校を出たばかりの牧師たちが近郊のそれぞれ所属する教会に仕え、26ヶ月間研修を行います。すでにこの9月から約30名の副牧師たちが礼拝、説教に関する演習を受けています。教会での実際的な働きと共に研修所での学び、訓練が二週間毎に交互に行なわれます。私も所長の指導の下、礼拝、聖餐、実践神学総論などの神学書講読、その後、折をみながら研修への参加となります。何よりもまず語学力の向上を優先させる必要があります。

来春4月までに、子どもたちとの礼拝、学校における宗教の授業、牧会(魂への配慮)、典礼、堅信のための(教義学習)授業、いわゆる宗教教育などの研修がここで集中的に行われる予定です。何卒今後ともお祈り下さいますよう宜しくお願い致します。

(おかだ ひとし・前TCC牧師研修主事)





シリーズ・ドイツから直行便で A

インターネットで宗教教育
ゾンターク・ミラ
    『富坂だより』の前号で発足した新シリーズに対して数多くのご感想を聞かせていただき有難うございました。教会とサッカーというテーマの際、意見が必ず分かれてきますが、このシリーズの目的を言えば、私見を表すのではなく、ドイツのキリスト教界の最新情報をできるだけ生の形で、つまりいわゆる「直行便で」提供することです。年に2回しか発行されない便りで、また1ページに納めなければならないという条件では、テーマの選択は大変であるだけではなく、ご質問に答えることもできないので、ご了承ください。

今回は、インターネット上の宗教教育を紹介したい。日常生活はインターネット抜きに考えられないものとなったことは言うまでもない。学校教育においても益々重視されるようになった。インターネットや携帯電話のような新メディアの使用を通して一種の霊性を経験できるという説が宗教学会で主張される現在である。そうすると、インターネットでの宗教に関する情報提供は、「知識教育」のためだけではなく、ある程度の「霊的」教育を目指していることも驚くに値しない。90年代後半からは、ドイツで「Reliweb」、「Relilex」、「Reliquiz」などの呼称をもった様々な宗教に関するサイトができた。2002年、それらの設立責任者はドイツ福音教会(EKD)にそれぞれのサイトの一元化を提案し、EKDの教育部門はこうした要請を受けて、www.rpi-virtuell.netを起こした。

現在のRPI-VIRTUELLの第3版は、OUL(オンラインで補助された学習)完備のサイトとして、オンライン学習に必要なデータやツール及びオンライン・ゼミナール構成に向けた技術情報も提供している。「図書館」に保存されている宗教教育用資料には、件名付の辞典記録、他サイトへのリンク、書評、AV 教材など1万件以上ある。8才〜80才の利用者を客層とするので、サイトの使い易さに力を入れた。資料の件名を加える時にも、専門用語より一般用語で検索できるようにされている。利用者の興味を表す件名検索のトップ・ファイブを見ると、「創造」、「ユダヤ教」、「聖書」、「イスラム」と「イエス」の順番となっている。

このリストを一見しただけでも、キリスト教以外によせる現代ドイツ人の強い関心を読み取れる。ヨーロッパの現状や世界各地の紛争に目をつぶりながら、キリスト教だけを教えることは、ドイツのキリスト教会にとってもあり得なくなった。首尾一貫して、RPI-VIRTUELLは宗教教育の「超宗派的な」サイトとして構想された。「ゲスト」、「ユーザー」、「講師」の中から望ましいレベルを選び、登録を済ませた後、サイトの内容に新しいデータを記入したり、他のユーザーに提供された情報を評価したりすることもできる。その点でRPI-VIRTUELLは、素人に作成されるWikipediaに似ているが、前者の場合、利用者が記入したデータは、EKDの「Comenius-Institut」宗教教育研究所(全国に6ケ所あり)のスタッフによって最終的に編集される。「講師」として登録すれば、登録直後個人的なワークスペースが与えられる。そこに、実際の研究室と同じように、テーマごとの資料集を作成したり、ゼミナールを提供したりすることができる。オンライン学習は、自習、コミュニケーションと協力との3柱に支えられるので、RPI-VIRTUELLはそのためのチャット・ルームなどのツールを設ける。それで時間と場所とは関係なく自主的な学習ができる。サイトの責任者の希望では、こうした自主的な学習は、「個人の行動範囲を広げ、価値観と考え方を養い、人格形成に貢献する。」それで、サイトが提供している情報(Information)は個人の応答能(Kompetenz)に変わってくることを願っている。

(TCC研究主事)




シリーズ ひと・ひと・ひとJ
  中村 彰さん

富坂キリスト教センター嘱託事務主事をさせていただいております中村彰と申します。一方、目白町教会の担任牧師として奉仕させていただいております。日本聖書神学校に入学したのが1996年52歳の時でした。それまではずっと、小規模の繊維会社の経営に携わっていました。

富坂キリスト教センターにおける私の仕事は人事や諸経費の見直し、事業収益の向上や対外部との種々の契約全般、財団の事務補助などです。また、今年度の活動プログラムの一環である「合同牧師研修会」担当主事も経験させていただきました。8月28日より富士箱根ランドにおいて3泊4日で開催された「新約と旧約はどう関係するのか」という大きなテーマについて、クラッパート先生の周到に準備された講演とどのような質問にも丁寧に答える真摯で謙遜な人柄にふれることが出来ました。また同労の先生方の多様さ、豊かな賜物をお持ちの先生方にふれることは望外の喜びであり、痺れるものを感じました。私自身富坂キリスト教センターに勤務して特に二つの事に関心をもっております。

一番目は、被造物全般、特に動植物の荒廃・呻きです。キリスト教は人間の救いに重きを置いてきましたが、日本経済の利益追求のため人間による自然の支配、破壊・・・それをどうやって止めるかであります。その点、富坂キリスト教センターで「学際研究活動」によって生み出された『科学技術とキリスト教』(1999年新教出版社発行)には強い示唆を与えられました。

二番目に私の趣味は剣道ですが、武士道に通じる日本の武道とキリスト教によって若者の心体を鍛錬する道場を作りたいということです。武士道の精神的バックボーンの憐憫(もののあわれ)の心は一致するものがあります。富坂キリスト教センターの目的「宣教・教育・社会事業」に通じるものがあり許されれば考えてみたいものです。

諸教会がこの世の為の教会であるならば、富坂キリスト教センターも主に委託された世のための存在であり、教会に仕える存在であると認識しています。これからもどうぞよろしくご指導のほどお願いいたします。  

(なかむら あきら・TCC事務主事)




表紙版画の説明

表紙に載せた版画の説明を記します。クラッパート先生は、この版画を合同牧師研修会で紹介しされました。プロテスタント美術の父と呼ばれるLucas Cranach は、絵を通してルターの教義の普及に努め、旧約と新約との繋がりを様々なバリエーションにおいて描きました。審判の下にある(左側の)旧約と恵みの下にある(右側の)新約。時には旧約の出来事が新約の方に描かれます。(この版画では、青銅の蛇の話が恵み深い伝説として新約の方に移された。)死、罪と律法は命、信仰と恵みと対比されます。キリストのあがないの血は、媒介なしの恵みを教えています。別の絵において、Cranachは自分をその血を受けるものとして描きました。聖書の流れに適う絵の各シーンは以下のように並べることができます。

 
1:蛇の誘惑
2:エデンの園からの追放
3:モーゼによる律法の受取
4:青銅の蛇
5:預言者たち、特にイザヤ
6:マリヤの受胎
7:野原の羊飼いたち
8:洗礼者ヨハネ
9:聖餐(キリストのあがないの血)
10:十字架
11:復活
12:昇天
13:罪人の贖罪
14:最後の審判
 (ゾンターク・ミラ)


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