『富坂だより』 24号
2009年12月

特集:平和をあきらめない

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「キリスト者平和の会」機関紙
『キリスト者平和の友』(1951-1970年)




巻頭言
未来はこれから 


財団法人基督教イースト・エイジャ・ミッション(CEAM財団。以下、財団)とDOAM、SOAMの合同協議会の間、私たちは富坂キリスト教センター(以下、センター)の研究活動と出版事業の全盛を鮮明に想起していた。1980年代、センターの創設に参与した日本人とドイツ人は普及福音新教伝道会(AEPM のちに東亜伝道会 OAM)の遺産の重要な部分をセン ターによって担おうとし、また21世紀の諸挑戦のためにそれを準備したつもりであった。たとえ全ての夢が実現され得ず、たまにその成果が望みの高い諸規範に達していなかったとしても、全体としてよい働きがなされた。その代表に私は、天皇の歴史的役割と取り組んだ5冊と、日本と朝鮮の教会間の苦難の関係史に関する資料収集を挙げたい。さらに牧師の牧会上(魂の配慮)の働きにとっても重要であり、幅広く読まれた精神療法の研究が挙げられよう。高度に専門化されたテーマにおける研究会の諸成果もまた、その読者層は限られたが、センターとその自己理解にとって重要であった。30冊以上の論文集は種々のキリスト教の出版社ならびに一般の出版社から刊行された。

この働きを将来においても可能にするために、「財団法人基督教イースト・エイジャ・ミッション」という制度上の枠組が新たに設定されねばならなかった。これを要求したのは最近の日本の法改正である。それゆえ、京都の所轄官庁の指導のもとに3つのパートナーが1948年以来変わることのなかった寄付行為の改正に着手することとなった。財団理事会とセンター運営委員会は、2年以上の長きにわたる過程のなかでこの作業を引き受け、そのためスイスとドイツのパートナー(SOAMとDOAM)にその諮問を行なったのである。法の基準ゆえに全ての願いが実現されることはなかった。確かで耐久力のある財政基盤を作らねばならなかった。同時に東亜伝道会のよき伝統は保持すべきである。いくつかの希望はこの目的に譲らねばならなかった。

にもかかわらず、私たちはこの2年間の成果に満足できるであろう。協議会の議定書は、SOAM、DOAM、財団という3 つ(センターを独立した団体とみなせば4つ)のパートナーが、解決に向けて相互に敬意をもって協力した事実を示している。たった12名の小さな集まりであったが、その中にさえ力関係があり、伝統を重んじる人がいて、あるいは急進的変化への意志を持つ人がいる。そうであるにもかかわらず、このような諸々の異質の力が一つの共同の道へ導いたことを、すべての参加者は心から感謝するものである! 通訳の廣石博士とゾンターク博士がこの点で重要な貢献をしてくれた。新しい財団が――公益法人の認定が下りるまでさらに2年役所で検討がつづく――私たちの中に呼び覚まされた諸々の希望を実現するか否か。また、所与の約束が実現され得るか否かが先ず実証されねばならない。そのなかで最も重要な2つの約束は、(1)研究活動と出版事業の継承であり、(2)財団、DOAM(EMSとBMWを含む)、SOAM といったパートナー間の定期的な協議会において、ドイツとスイスのパートナーが財団の抱える諸課題に対し共に助言し共に具体化するという点である。結局、重要なことは日本の社会におけるキリスト教の証言である。この証言のためにこそ東亜伝道会は創設されたのであり、125年を貫いてその証言を試みてきたのである。神の祝福が財団のうえに豊かにありますように、そのことによって日本の教会(そしてさらに東アジアにおいても)への祝福となりますように!


(ドイツ東アジアミッション会長/原文はドイツ語。訳・岡田仁)




新たなスタートへ 〜合同協議会開催〜

10月18日から19日にかけて、財団法人基督教イースト・エイジャ・ミッション(CEAM財団)ではその設立元であるドイツ東アジアミッション(DOAM)およびスイス東アジアミッション(SOAM)の代表者と合同協議会を開催しました。

昨年12月からの新公益法人制度により、当財団も新法に適合した「新財団」への整備を進めています。制度上の手続きにおいては新旧の連続性を持たせなければならないため、その第一歩として48年間続いた現在の寄付行為(財団運営のルール)を新制度の法人へ移行可能な内容に改定する必要があります。現在の寄付行為ではこの改定についてDOAM、SOAMの合意を要します。つまり、ルール上、財団の経営責任者である理事選出は両団体に決定権があったので、今回、このルールを変更するために合同協議会を開催したということになります。 少し複雑ですが、CEAM財団が公益財団法人への移行手続きに入るためのキックオフというところでしょうか。今後は国内における公益法人としての機関設計、事業再編成という大きな作業が控えていますが、CEAM財団のひとり立ちをDOAM、SOAMの両団体が心よく送り出してくださったという会議となりました。もちろんDOAM、SOAMとは今後も協力団体としてパートナーシップをより強固にし、国内外における様々な社会の問題に積極的に取り組んでいく決意も新たにしました。財団にとって大変歴史的な合意となりました。


〈合意内容〉

@DOAM(代表者パウル・シュナイス、ハルトムート・アルブル シャット)、SOAM(代表者アンドレアス・ルスターホルツ)は財 団との合同協議会に出席し、財団の現寄付行為変更手続き を開始することに合意した。

A新寄付行為に基づく評議員及び常務理事は、合同作業委 員会(財団理事4名及び富坂運営委選出の3名)の協議に おいて選出する。

B今後のDOAM、SOAMとの協力関係については、これまでの 歴史的経過を尊重し、連絡協議会を継続的に開催すること によって、維持していく。

C以上を踏まえ、Aにおける合同作業委員会を早急に開催し、 その決定内容についてはDOAM、SOAMに連絡し、理解を 得る。



(CEAM財団事務局・金子恒一)




戦後キリスト者平和運動の研究
日本基督教団東駒形教会牧師 戒能信生

戦後間もない1951年、キリスト者有志によって呼びかけられた「平和に関する訴え」(1951年)を契機として「キリスト者平和の会」が生まれた。第二次世界大戦下における教会の無力と罪責への自覚に立ち、当時の政治状況の中で、平和への責任と使命をキリスト者として担うべく、教派を越え、教職信徒の区別なくその運動は展開された。歴代の委員長・浅野順一、大村勇、井上良雄、堀豊彦、宍戸寛、松尾喜代司、平山照次らのもと、機関紙『キリスト者平和の友』を発行し、運動は各地に拡がって行った。その主張は、平和憲法擁護、再軍備反対、世界平和の確立、社会矛盾の解決を基本方針とし、戦時下の教会の在り方への反省に立って、「政治的領域においてもキリストの支配が現れるように決断し行動することがキリスト者の責任である」ことを教会の内外に鮮明にしていった。その趣旨に賛同する同志が、全国各地に地名を冠する平和の会を結成し、その総数は30団体に及ぶ。1964年、それらの地方組織の全国連合体として「日本キリスト者平和の会」を結成、原水爆禁止運動やプラハ平和会議など、国内外、キリスト教内外の諸運動と連携して大きなうねりとなって行った。

しかし1960年代の後半になって、各教派の社会委員会等の活動が定着していったこと、さらにヤスクニ問題を始め個別課題へのキリスト者の取り組みがなされるようになって、平和の会としての役割に転換が起こる。内部の路線論争などもあり、69年以降、その多くが活動を凍結し、被爆者援護部のみが活動を継続した。しかしその後の教会の様々な社会参与を、各地の平和の会メンバーが担っていったことは事実である。

このキリスト者平和の会の活動について、その活動記録や機関紙、あるいは内部でなされた論争等の資料を収集・保存し、その問題点や課題を整理すことを目的として、富坂キリスト教センターに2000年、「戦後キリスト者平和運動の研究」プロジェクトが発足した。研究員は、戒能信生、田中昌樹、矢口ヨブ、原誠をメンバーとし、客員研究員として畠山保男、武田武長などの協力を得た。研究会を重ね、報告書をまとめる段階で、研究員が次々に病気休職や、在外研究などで欠けることになり、研究会は実質的に頓挫してしまった。

しかし、元・平和の会員の有志たちから多額の研究助成の献金を頂いており、既に寄せられている若干の研究報告や、収集した資料のデータベース、年表などを中心に、最低限の報告書をブックレットの形で富坂キリスト教センターから発行することとなった。また、収集した機関紙『キリスト者平和の友』のバックナンバーを画像処理して利用者がアクセスできるように作業中である。

研究報告が大幅に遅れたことをお詫びするとともに、ようやくこのような形にしても報告をまとめることが出来ることに正直ホッとしている。なお、報告書(ブックレット)は、2010年春に刊行を予定し、『キリスト者平和の友』などのインターネットによる閲覧も同時に可能になる予定である。

(かいのう のぶお・戦後キリスト者平和運動研究会主事)




第1回市民公開文化講演会を開催
岡田 仁

11月3日、山上国際学寮の第1回市民公開文化講演会が開催され、 呉在植 師(オージェシク・韓国アジア教育院院長、前・韓国ワールドビジョン代表幹事/左の写真)から「東アジアの平和を考える」と題する講演をいただいた。呉師はまず、東アジアにおける平和問題を考える際に「6者協議」に焦点を絞ること、そこから新しいフレームを作るなかで各国の役割を再考すべきことを提起された。20世紀の過ちを乗り越えるためにいま必要なのは「イメージング・コミュニティー」(想像の共同体)の発想であるという。「1989年、アメリカのブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフ大統領が地中海のマルタ島で会い、冷戦体制の終焉を宣言した。それから20年を経たが、そこで展開している現実は米国の独善的な覇権主義と金融経済の世界的破綻経である。その責任をブッシュ元大統領のみに押し付けるのではなく、我々もまた自らを省みるべきであり、そのうえで東アジアの平和のフレームを考えるべきだ」と呉師は語る。「リ・メンバリング」(新しくメンバーを組みなおすこと)が過去を想いなおすことであり、そのことによって歴史の展望は出てくるのだと。師はさらに、「東北アジアをコモンで考えられないか」と問いかける。1955年のバンドン会議で既に〈人〉がみえはじめていた。人民、学問的フレームの中に〈人〉がみえてきた。近代化された文化の中で失われた〈人〉を再び探し出し、彼女彼らが人間として立つことのできる共同体を新たに構築することが課題である。半世紀以上前にアジア、アフリカの人たちの夢(反帝国主義、反植民地主義、民族自決の精神など)があった。にもかかわらず冷戦体制がこれを破壊した。今こそ第二のバンドン会議が必要であり、これをぜひ平壌で開催したい。そのアジテーターは日本が担うべきである。そして幅広い人間関係をさらに構築してほしいと熱っぽく語られた。

日本キリスト教協議会の飯島信総幹事から以下の応答をうけた。「今こそ再び民主化闘争を戦うべき時が来た。その敵は、北朝鮮に対する敵意である。日本と韓国、中国、北朝鮮の4者が集まる交わりをつくっていきたい。真の意味で政治を変えるのは民衆である。韓国民主化闘争からこのことを学んだ。来年秋第二バンドン会議の予備集会を東京で開きたい。その前に我々が敵意に対してどのような取り組みをなしていくのか、そのことを足元から始めたい」。 呉師はいくつかの質問に対し次の言葉で締めくくられた。「〈人〉をみることの出来る人間を養成することこそが教会の役割である。〈人〉が〈人〉をみる。仏教でもイスラム教でもよい。キリスト教のフレームを出て行かなければ、組織に居座ったままでは何も変わらない。平和を作る人を一人でも多く育成することで国家にあってなお国家を乗り越えることができる。その使命と役割が我々にはある。政府や富裕層にのみ任せるのは無責任だ」。未来に向けて一人一人が責任を持って取り組むこと、これからの私たちの責任について深く考えさせられる温かくも実にスケールの大きい講演であった。富坂キリスト教センター(TCC)で研究主事をされていたパクソンジュン師 (聖公会大学)からもご挨拶をいただき、韓国ですでに呉師の思想を実践されていることなどが報告された。

呼びかけが不十分であったにもかかわらず当日は45名の出席者を得、鈴木伶子学寮運営委員長の司会に導かれ盛況のうちに会を終えた。TCCではかつて「トレッフプンクト」(出会いの場)が開催されていたが、山上国際学寮としても毎年秋にこのような市民に開かれた文化的で創造的な出会いと対話を目指す集会を開催したいと考えている。その記念すべき第一回目の会に呉師の希望に満ちた力強いメッセージをいただくことができ、主催者一同感謝の念に耐えない。



(おかだ ひとし・山上国際学寮 所長)




山上国際学寮だより

岡田 仁

山上国際学寮ではいくつかのプログラムを企画しています。「第1回スタディーツアー」 を10月24日(土) に行いました。学寮のある文京区は由緒ある宗教施設や歴史的建造物、緑と文化財の豊富な町として知られています。当日はあいにくの雨で、指人形工房や飴細工、光源寺など予定していた箇所をまわる事は出来ませんでしたが、トルコから来日したばかりの研究員家族の子どもたちと一緒に根津・千駄木まつりに出かけました。和太鼓や舞踊、環境植物を利用しての紙漉き体験などを皆で楽しみました。

11月21日には第2回ツアーとして小石川後楽園に紅葉を見に出かけました。小石川後楽園は文化財保護法によって国の特別史跡・特別名勝に指定され、二重の指定を受けているのは、全国でも金閣寺などごく限られています。区のボランティアの方にガイドをお願いして美しい庭園を楽しみました。


今後も寮生ができるだけ多く日本の、特に東京の歴史や文化に触れる機会を設け、多忙な研究生活のなかで少しでも気分転換になるプログラムを計画していきます。12月にはジョージ・ギッシュ青山学院大学名誉教授による「薩摩琵琶演奏と講演」、クリスマス会ではフラメンコ、寮生によるハンガリー民謡演奏など、年明けには書き初めやお琴、お茶の体験、鎌倉研修ツアーなども考えています。

また、山上国際学寮では毎月第2月曜夜に定例の寮生会ミーティングを行い、お茶を飲みながら日常の生活について話し合います。また、出身国の歴史や文化、また現在テーマにしている研究の紹介なども担当者を決めて発表しています。食事会も随時行う予定です。

今年4月にスタートしたばかりの学寮ですが、各大学、教育支援団体など多くの皆様のご支援をいただき、この秋には日本人学生を含む11カ国、20数名の研究員、博士課程、修士課程の学生で満室になりました。このうちの何人かは研究を終えて来春帰国する予定で、空き室もいくつか出ると思われます。入寮についてはいつでもお問い合わせ下さい。見学はいつも受け付けております。

【2009 年度寮生の出身国】(カッコ内は人数)
イギリス(1)、オーストラリア(1)、韓国(5)、スロバキア(1)、台湾(1)、チェコ(1)、中国 (7)、ドイツ(2)、トルコ(1)、日本(1)、ハンガリー(1)、フィリピン(1)、フランス(3)

(おかだひとし・山上国際学寮所長)




【 合同宗教間対話プロジェクト】
ドイツからの研修生を迎えて

ドイツEMS(南西ドイツ福音主義教会宣教局)と京都NCC宗教研究所とCEAM財団の3者の合同宗教間対話プロジェクトにはすでに8年近くの歴史がある。京都NCC宗教研究所の研究者でEMS派遣宣教師レップ氏と幸日出男所長との関係から、これまで共同でオウム真理教研究会を立ち上げ、5年間の学際共同研究の末、その成果を『あなたはどんな修行をしたのですか』(新教出版社2004年)として出版した。それを入れると10年以上になる。

2003年の宗教間対話では、たしかドイツ、スイス、オランダからの6名の研修生を連れて下北半島の恐山に行き、日本宗教の原点を体験させた。この時には実に思いがけなくも、宗教間対話が企画外の出来事で企画以上の成果をあげた旅行となった。恐山で「イタコ」の口寄せの現場に直接出会っただけでなく、そのことを商売にして稼いでいる仏教寺院を見たのである(下の写真)。さらに、恐山に行く途中、ウソではない。車で、全く偶然に、「イエス・キリストの兄弟の墓」に出会ったのである。願わくは研修生たちが見過ごしてくれればと思ったが、日本語が読める研修生がいて、大きな看板を見て、あれは何だ、と言うことになってしまい、見つかってしまった。



今年度の研修生は全てドイツからで、5名の研修生が今年9月16日から京都の別当町にある財団の宿舎と財団本部がある聖護院の「京都国際学生の家」に分かれて、来年2月半ばまで、日本の諸宗教を学ぶ研修をしている。関西空港から直接京都にやってきた研修生を別当町の宿舎で迎えてささやかな歓迎会を開いた。その時に食卓をにぎわして喜ばれたのが、その宿舎の庭に自生しているぶどうであった。大きな4つの皿に大盛りにした甘いぶどうは、歓迎の宴としてはぜいたくなものだった。今はたわわに下がっている甘い柿を食べている。下の写真はその後に研修生5名とその世話役として随行してくれるクリスチアーネ・バンゼさん(後方真中)。日本側で掃除の世話や連絡係をしてくれる同志社大の学生本間さん(前方左)が送ってくれたものである。12月には1週間富坂キリスト教センターに来て、上富坂教会の宿舎をお借りして滞在し、東京や鎌倉の宗教間対話のプロジェクトに参加する。

数年前来た研修生の中に、予定の半年間の研修のあと、さらに1ヶ月間にわたって佐渡教会に滞在した若い牧師も現れた。彼はそのうちの1週間を佐渡の山の中にひとりこもって、自炊をしながら瞑想の時をすごして、ドイツのつわものとなった。今年はどんな出会いが待ち、どんなつわものが現れるだろうか。




(すずきしょうぞう・京都宗教学際研究所主事代理)




ドイツから直行便で

 「正しい平和」への道は開かれるのか
― ドイツ福音主義教会訪問団、朝鮮半島を訪問 ―

相賀 昇

去る9月11日から21日にかけて、ドイツ福音主義教会(EKD)評議会の代表団(同議長W・フーバー監督以下12名)が朝鮮半島を訪れた。今回特に注目されるのは12〜15日の4日間、「朝鮮キリスト教連盟」の招きにより共和国を訪問、EKDの公式代表団としては初めて38度線を越えて南北を往来したことである。訪問団は朝鮮人民共和国の長 老教会本部、大韓民国の長老教会本部においてそれぞれの指導者の代表と会見したほか、韓国の教会協議会の指導者との出会いがあり、また韓国の政治家たちとの記者会見では朝鮮半島における南北関係と教会の役割について討論されたという。

フーバー監督は18日、ソウルの韓国基督教長老会の神学者セミナーにて「再統一のテーマに関する平和倫理の諸考察」という講義を行った。ドイツの分断史と統一の経過に比べおよそ異なる朝鮮半島の分断の背景をまえにして、フーバーは聖書的な平和倫理をイエスの愛敵の戒めをもとに展開。「キリスト教の意味する愛敵の思想は、ただ単に他者を敵意の張本人として見なさないだけでなく、自分の態度の何が他者に対して脅威としてあらわれるのか、どの点においてひとは自分自身が他者の敵となるのかを問題とするよう要求する。他者の観点から対立を識別することこそがキリスト教的現実主義の特別な形態であり、政治倫理に対するキリスト者の決定的な貢献である」と語った。

さらにこれらの考察に基づいて評議会議長は、かつての「正義の戦争」ではなく、「正しい平和」という教会の教えを主張。「正義の戦争」は決して後戻りしてはならない道であり、軍事力の適用はそれ自体倫理的に正当化されないとした。

そうした公式的な内容の一方、EKD報道局は「南北朝鮮の再統一はほとんど考えられない」というタイトルを掲げ、やはり訪問団の一員として同行したハノーファーの領邦教会女性監督M・ケースマンの厳しい見解を報じていた。ケースマンは「ごくわずかの訪問で適切な状況評価を下すことはほとんど不可能」としながらも、「支配的なチュチェ・イデオロギー(朝鮮語で「主体」ないし「自給自足」)は万物を超越した神を愛し、自分を愛するように隣人を愛せよという聖書の戒めに根本的に対立する。そのような雰囲気の中でどうやって自由なキリスト教的生活が可能だというのか」と批判する。さらに政治指導者の巨大な立像と肖像があらゆる通りと建物にあることに言及、「それはひとつの偶像崇拝である。もしそこに母親が登場すれば、ひとはクリスマスの聖家族の絵画を感じるであろう」と述べた。


国際アムネスティによれば、1907年のピョンヤンには約100教会、1万4000人の信者がおり、当時は東洋のエルサレムと称されたという。しかし今日、閉ざされたこの国の推定人口は約2300万人だが、うちキリスト者はわずか数千人で、ピョンヤンには2つのプロテスタント教会とカトリック教会と正教会がひとつずつの4つの会堂があるに過ぎない。中国にあったようなキリスト教地下共同体は存在しないとされるが、韓国サイドによれば、その存在は確認されており、30万人のキリスト者が拘束されているという。

今年2009年はベルリンの壁崩壊20周年にあたり、かつての分断国家ドイツが冷戦を克服、再統一を果たしたことを想起する年となった。従ってドイツ側の今回の旅は、朝鮮半島における平和と再統一のためにエキュメニカルな努力や相互信頼を強めたいという思いを実行に移した試みにほかならない。ピョンヤンの教会で礼拝を守った後、フーバー監督はドイツのキリスト者と朝鮮半島のキリスト者との連帯を強調し、有名な聖句「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」(使徒5:29)を引用した。かつてこの聖句が旧東独時代のキリスト者たちを支えたように、朝鮮半島のキリスト者たちの希望の根拠となるよう祈らずにはいられない。

(あいがのぼる・日本キリスト教団田園都筑教会 牧師)




ひと・ひと・ひと
水谷 誠(MIZUTANI Makoto)さん

今年2009 年はプロテスタント日本宣教150周年にあたります。夏にはそれを記念するイベントも横浜で開かれました。一口に「日本宣教」といいますが、プロテスタントに限っても、その150年の歴史の中にはいくつかの大きな傾向が見られます。

富坂キリスト教センターではドイツとの関わりの深さから「日本におけるドイツ宣教」と題した研究会を長く続けてきました。今回はその研究会のまとめ役をなさっている同志社大学神学部教授、水谷誠先生にお話を伺いました。

「日本のプロテスタント教会は主として英語圏の宣教師たちの素朴な神学の影響を受けていました。同時に、アカデミックな世界ではドイツ語圏のキリスト教思想も受容されてきました」

日本のプロテスタント思想をふり返るとき、先生にとってのひとつのポイントとなるのは「日本においてキリスト教的、神学的なリベラリズムの概念が曖昧に使われてきた」ことだといいます。富坂キリスト教センターと深い繋がりがあるドイツ東アジアミッションの前身「普及福音新教伝道会」が設立した新教神学校は「神学的なリベラリズム」(「新神学」)の一大拠点としての役割をもっていました。その歴史的な役割を通して「そのリベラリズムとは何なのかを自分なりに突き止めたかった」と先生がおっしゃるように、今回の研究会は「西欧で営まれてきた神学的蓄積は日本にどのように受容されてきたのか」というキリスト教思想受容史が論点のひとつとなっているようです。水谷先生にとっては、研究をお始めになったころに、シュライアマハーの『宗教論』の検討からその思想が日本にどのように理解されたかについて論文をお書きになって以来のテーマだといいます。

「京都生まれ、京都育ちの私が京都以外の地に最も長く居たのはドイツの町です。第二の故郷でしょうか」とドイツへの思いを語られ、「ドイツの日本宣教は特異で、その活動と歴史的展開は日本のキリスト教界を知る鏡としても追跡すべき。日本の文化と社会、英語圏のキリスト教の宣教活動、ドイツ語圏の学術的努力、この三者の絡み合いという視点から日本のキリスト教界の課題を見る」とご自身の研究の中でのドイツ宣教研究の位置づけを述べられました。

教鞭をとる同志社大学では現在、神学部長の要職を担い、ゼミでは学生さんたちに「テキストの厳密な理解を志してほしい」と期待をよせつつ、「テキストの難解さに目を白黒させたり、果敢に挑戦したり、突っ込んだ考察をしたり、いろいろな仕方で盛り上がります」とのこと。多忙でなかなかご自分の研究にじっくり取り組めないため、「夢ですが」とおっしゃりながら、シュライアマハー『宗教論』の注解執筆の構想などをお聞かせいただきました。

「日本におけるドイツ宣教」研究会の成果は来年2010年春に本として刊行される予定です。

(「富坂だより」編集委員会)




編集後記

○11月30日から12月4日に韓国・ソウルで「第2回9条アジア宗教者会議」が開かれ、TCCからはゾンターク総主事が出席しました。会議の様子は次号でお伝えする予定です。

○プラハで「核兵器のない世界」を目指すと演説した オバマ大統領。プラハといえば1960年代に国際平和会議が開催されていた土地としても記憶されています。先日の日本訪問では広島、長崎を訪れることはありませんでしたが、あきらめず、そのリーダーシップに期待したいです。

○センターの事務主事を勤めてこられた中村彰さんが10月をもって退職なさいました。お疲れ様でした。

(「富坂だより」編集委員会)


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