『富坂だより』 28号
 2011年12月

特集:「危機の時代における私たちの課題と反省」

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  巻頭言
「京都宗教学際研究所への想い コーラー博士の理念、学生の国際交流活動をふまえて」  
(財)京都「国際学生の家」理事長 内海 博司

 京都「国際学生の家」が設立された1960年代は東西冷戦のもっとも緊張した時代でした。コーラー博士は、東西のイデオロギー対立を超越する真理を追求する努力を呼びかけました。真理はそのままに在るのではなく、自由に表現された相互の意見に傾聴し、自己の立脚点の放棄と創造を通じて追求し続けるものであり、そのためには「共同の生」とその場における自由が必要であるとして、ある意味では博士の「宣教の神学の実験的な試み」として創られました。非キリスト教の学生をキリスト教伝道によって回心させたり影響下においたりする施設ではなく、各国の学生が1個の人間として「出会い」を経験し、人間としての同一性に目醒める場を創ろうというものでした。

 現在は東西の対立ではなく民族・宗教という新たなイデオロギーの対立によって世界は再び緊張下にあります。更にこの緊張を揺さぶり続けているのが環境問題、ヒトと自然との関係です。環境問題はイデオロギーの対立と無関係ではなく、南北対立のもっとも先鋭的な対立点となりつつあります。

 21世紀が科学と宗教の混沌時代であるだけに、コーラー博士らの理想の追求は意味を失わず、新たな事態にむけての努力を我々に要求していると思われます。政治は様々な妥協の産物を作り出し常に新たな対立を生みだすだけに、個々人は「民族」「宗教」という名のイデオロギーを超えて、その対立を解決していくための「真理」を追求し続ける存在でなければならないでしょう。生物学者としての私は「人類の滅亡」を直視することから全てが始まると考えています。

 京都宗教学際研究所は、「宗教」を専門とする世界の若者達に出会いの場を提供し「宗教間」「科学と宗教間」等の「対話」を通じて、自由に表現された相互の意見に傾聴し、自己の立脚点の放棄と創造を通じて得られる「真理」を追求して、ヒトと自然を救える宗教人を育てたいと考えています。

(うつみ ひろし・当財団理事、京都大学名誉教授、理学博士)




 
痛み分けで被災家族支援
山極小夜子

はじめに
 東日本大震災で被災した家族が避難している会津若松市に仮設児童デイサービス「浜っこクラブ」が8月にオープン。10月はじめの2週間支援スタッフとして出張した。これは「富坂子どもの家」も加盟している「全国児童発達支援協議会」(CDSJapan)が福島県の委託を受け、民家を借りて児童デイサービスT型・U型を開設することができたので、加盟施設職員の派遣を全国に向け発信。その呼びかけに応えての出張だった。金子施設長はすぐさまこの呼びかけに対し、痛み分けだねと言って3名の現場スタッフの中から、保育士の私を派遣することに決定した。しかし通常3名でやってきた現場の療育業務を残る2名で行うことになるのはお互いに不安ではあったが、被災された家族と障がい児のことを思えばこの機会を子どもの家として支援できるチャンスととらえ直し、皆で協力し合うことを確認し合うことができた。

仮設児童デイサービス「はまっこクラブ」
 事業目的は、東日本大震災及び原発事故で多数の障がい児が避難生活による負担に加え、相談や療育など専門的な支援の継続が困難になり、障がい児とその家族は大きな負担を抱えて生活している。また、支援の経過や子どもの状態などの情報が避難先につながらず適切な支援が受けにくいという状況も生じている。以上のような現状で既存のサービスの枠組みを超えるニーズが生じているため、関係団体の支援を導入して始まった場所である。 事業の内容として避難に関する相談、アセスメントと個別支援計画の作成、避難先での療育・放課後支援、子育て相談などとなっている。スタッフは被災して避難している現地採用非常勤スタッフ2名と全国からの応援スタッフ2名が担当している。応援スタッフは週6日、9時―18時の態勢で働いている。

はまっこクラブ」での体験
 開所して3カ月、避難してきた人々に少し周知されるようになってきた時期だったのか相談者が毎日のように来所していた。療育内容や時間帯、持物など子どもの相談及び震災前とその後のことなど時間をかけて地元スタッフが丁寧に聞き取りをしていた。保護者にとって地元スタッフは安心して話せる心強い存在である。応援スタッフの私はといえば、その日のプログラムに合わせて旭川から来た応援スタッフと協力し合い、地元スタッフに代わって子どもたちと遊んだりした。その中のひとりI君を紹介すると父と母I君の3人家族。父は原発の仕事、I君は広汎性発達障害で大熊幼稚園会津分園に通園バスを利用して通っている。幼稚園終了後、母と自転車で「はまっこクラブ」に来る。朝からきている子どもたちに合流して遊び、皆でおやつを食べて帰る。I君は母が側にいてくれないと不安になる。母はいう、夫は原発の仕事しかないので10月から福井で仕事をはじめた。雪のほとんど積もらない浜の方での生活から雪の多い会津での車の運転や買い物など心配は多い。来春には福井に引っ越す予定だと。I君を慈しんで関わり育てている母を見ていると、震災・原発の重さをいっそうひしひしと感じた。

 出張期間中で10名の利用者及び相談に来た保護者と保護者に付き添って来られた関係機関の方々を間接的にではあったが身近に感じながら、僅か2週間でも働くことができた経験を大切にしていきたい。富坂子どもの家として被災した障がい児とその保護者支援が出来たことをきっかけにして今後も被災した子どもたちのためにどんな小さな支援でもいい、忘れないで続けることはできると思った。 日曜日に「はまっこクラブ」の近くにあった教会でミサに与った。参列者にはお年寄りが大半を占めていた。ミサの中で震災で亡くなられた方のため、被災して厳しい生活を余儀なくされている方々のために力強く祈りが捧げられ、献金用のかごにはたくさんの献金が入っているのを見て温かい気持ちになった。

(やまぎわ さえこ・富坂子どもの家 保育士)






開所一年を経て・・・
勝間田万喜


 法人より、児童デイサービス「富坂子どもの家」を東京・富坂の地に立ち上げ、地域の発達に気がかりなところのある乳幼児とそのご家族に寄り添い、それぞれの自立をともに考える、という大きな「ミッション」をいただいてからはや1年が経ちました。はじめに開所当時の様子と「富坂子どもの家」の名前の由来についてお伝えすることにいたします。
 2010年10月に金子施設長、山極保育主任、そしてサービス管理責任者としての私の3人が富坂にそろいました。2か月後の12月開所予定でしたが、建物は改修工事が遅れ気味、保育に必要な物は、何一つない状態でした。子ども達が安心して過ごす姿と、子育てに不安を抱えているお母様方を思い浮かべながら、モンテッソーリ教材を中心とした教材、子供用机やいす、床や壁の色合い等、3人で話し合って決めていきました。「無我夢中」という言葉がぴったりくる日々を2か月過ごし、多くの方々のご尽力やお心遣いのおかげで開所できたのです。

 さて、富坂「子どもの家」の由来ですが、当児童デイサービスでは、大きな二つの柱があります。@キリスト教精神に基づく保育Aモンテッソーリ教育法と理念に基づく保育がそれにあたります。モンテッソーリ教育法は100年ほど前にイタリアの女医で敬虔なキリスト教信徒のマリア・モンテッソーリによって考案され世界に広まった教育法です。この教育法は子どもたちが本来持っている「自らを成長させる力」「自分自身の心や体を動きながら(遊びながら)作っていく力」を大人がそばに寄り添いながら、子どもが手助けを求めた時にその困っていることを解決する方法を教えていくという理念と方法論、系統だった教具教材群の活用に基づいています。
 つまり大人主導ではなく、あくまで主人公は「子ども」であり、子供たちの安心できる自分の居場所としての「子どもの家」なのです。自己決定、自己選択の主体者は「子ども」なのです。できないことはいけないことではなく、自信をなくす必要もなく「助けて」と素直にヘルプコールを出せる事、得意なこともあれば、苦手な事もある。けれども、「あなたはあなた、かけがえのない命」というメッセージを「子どもの家」の過ごしから感じながら大きくなってほしいという願いが命名の由来にあります。この考えはまさに、弱い存在である私たちを互いにゆるし認めていく、誰もが愛すべき存在であるというキリスト教精神と重なるように思います。

 次にこうした思いで開所した後の最近の富坂子どもの家の様子をお伝えいたします。 「冬来たりなば春遠からじ・・・」と職員3人で何度励まし合ったことでしょう。3月までは、各関係機関に広報、挨拶回りなどしましたが、なかなか地域に周知できず、お子さんの利用がありませんでした。焦りと不安でいっぱいでした。4月に初めてのお子さんの利用があり、そこから少しずつですが、子どもたちの数が増えてきています。 施設長が「富坂教材工房???」というほど、お子さんの利用のない日々は、せっせと手作り教材を山極保育主任を中心に作成していました。その準備が今、子どもたちにあせらずにじっくり向き合えるよい結果をもたらしています。
 利用へのお問い合わせも増え、当初の計画より対象地域も拡大し、文京区、千代田区、中央区の子供たちが通っています。 個別療育では親子同伴で1対1のじっくり課題に取り組む時間、グループ保育では先生やお友達とたくさんある教材の中から自分の好きな遊びを選び、満足するまで活動に集中し、楽しいあつまりやお弁当の時間もあります。晴れた日には、財団の宣教の歴史を感じる園庭で(あえてそのままの景観を残しています)虫や植物に触れ、野菜も収穫しました。大切な幼児期を支える基地である家庭とは家庭訪問をしたり、個人面談をこまめに行って成長、変化の目覚ましい幼児期の子どもたちをどう支えるかを話し合っています。

 地域の幼稚園や関連機関、保健センター、近隣医との協力体制もでき始めているところです。実際には、始まって間もない歴史のない生まれたての施設です。利用児もまだ、定員を大きく下回っていて財政的には、障害者自立支援法の枠組みの中で行う困難さが不可避な状態です。けれども、この地にこの事業が立ち上がったということの本来的意義をふまえあせらずに、日々坂道を登って通ってきてくださる目の前の子供たち、ご家族に寄り添うことを最優先にしようと思っています。おかげさまで子供たちは、みな「子どもの家」が大好きで、時間が来ても帰りたくないとだだをこねたり、座り込んだりして小さな主張をしてくれています。花や魚など生き物の好きな子どもに育っています。それを見守る暖かいお母様方のまなざしに支えられながら、小さくても信頼を得られる施設でありたいと思います。

  ゆくゆくは、インテグレーション(統合保育)の視点から幼稚園等も併設し、障害の有無にかかわらず、行ったり来たりしながらともに育ちあう「子どもの家」に発展していけたらさらに地域に根差す、地域のニーズに応えることができる事と、将来の財団の公益性の証となる事業への発展に期待しているところです。
 3月には東日本大震災も発生し、地域の子どもの幸せのみを願うのではなく、保育、社会福祉の仕事に就く施設として、小さなことでも何らかの形で協力するんだ!という気持ちを薄れさせずに持っていたいと思います。 今にいたるまで、多くの方々のご協力ご尽力、祈りに支えられたことをここに感謝いたします。今後とも、祈りと支えをよろしくおねがいいたします。

(かつまた まき・富坂子どもの家 サービス管理責任者)
(CEAM財団事務局・金子恒一)




センター小研修会「祈ることと正義を行うこと〜沖縄の現状をふまえて」報告

日本バプテスト連盟志村バプテスト教会牧師 城倉 啓

 8月29-30日、標記の主題の富坂キリスト教センター小研修会に参加しました。10名ほどの小さな集まりだったこともあり、濃厚な学びのときとなりました。「分かち合い」というプログラムで、それぞれの「沖縄」との関係を丁寧に聞き合うことができたのも、その一因だったと思います。参加者一人一人に感謝をします。  主な講演は二つ。初日の神谷武宏さん(沖縄バプテスト連盟普天間バプテスト教会牧師)からの現地の報告を織り交ぜた講演と、二日目の村椿嘉信さん(日本基督教団代々木上原教会牧師)からの「日本基督教団と沖縄キリスト教団の合同のとらえなおし」を紹介・検証した講演でした。以下、かいつまんだ紹介をし、最後に私見を述べます。

 神谷講演の冒頭にビデオを観ました。普天間基地が市街地の中にあること、その轟音によって住民たちの人権が日々脅かされていることを、視聴覚教材によって体感できました。神谷さんが沖縄から福岡に一時家族で引っ越したときにお子さんから言われたという言葉が胸に刺さりました。「お父さん、ここにはどうしてこんなに静かなの。ヘリコプターや飛行機が飛んでいないの」。異常な状態が常態となるとき平穏な生活が異常に映るという倒錯。そのことを子どもたちに押し付けていることに、わたしたちの罪があります。

 村椿講演は、長年日本基督教団・沖縄教区内で「日本基督教団と沖縄キリスト教団の合同のとらえなおし」に携わっていた方の実績の結晶化でした。講師自作の「琉球/沖縄と日本の関連年表」ほか、有益な資料を手にすることができ感謝にたえません。その中で心に残るボンヘッファーの言葉の一つが、「限定された責任を負う」という至言でした。キリスト者にとって責任ある行動とは、すべての課題を把握してすべてに関わることではありません。それはどだい不可能です。そうではなく、与えられた状況の中で自己正当化することなく神に評価を委ねて神と隣人とに責任を負うことが求められています。

 東京に住むわたしたちがどのように生きることが沖縄の人たちと共に生きることなのかを思わされました。わたしたちは誰かの犠牲の上に成り立つような類の平和を、キリストの十字架を仰ぐゆえに、斥けなくてはなりません。「ナザレのイエスを最後の犠牲者とする」という決意が贖罪信仰の実践であるからです。だから沖縄差別とそれに基づく米軍基地の集中を解消する努力を、キリスト者であるわたしたちはしなくてはならないのです。何らかの行動ができるはずです。祈り、デモ、行政交渉、ロビーイング、署名、座り込み。それぞれの生きている場所で、これ以上沖縄を犠牲にしない小さな責任を果たしたいと思います。

 最後に岡田仁さんをはじめ、スタッフのみなさまに改めて感謝を述べ筆をおきます。

(じょうくら けい・日本キリスト教協議会副議長)




歴史的検討 共同討議<キリスト教と天皇制>報告
同志社女子大学教師 山下 明子

 去る10月23日に富坂キリスト教センター(TCC)において、<キリスト教と天皇制>についての共同討議が行われました。同テーマの下での研究会は、TCCの学際的研究の出発点であると同時に、故土肥昭夫先生を座長として全5期にわたり継続的なプロジェクトとして積み重ねられてきました。それぞれの成果は出版されていますが、現在、TCCの天皇制研究の今後の方向性について考えなければならない時期にあります。その歴史的検討のための討議会でした。  司会の戒能信生牧師、基調報告者の片野真佐子先生、原誠先生、発題者の上中栄牧師、松岡正樹牧師、鈴木正三TCC元総主事は、全員が何期目かの研究会に関わってこられました。また約50名の参加者の中にも関係者が多く、会場との質疑を含めて実り豊かな会となりました。簡単にご報告します。

 片野さんは、ご自身がこのプロジェクトを通して従来は未知の分野だった皇后研究をその後も大きく開かれました。他の研究者も同様で、このプロジェクトが世界の君主制の研究にも影響を与えたとして評価されました。戦前天皇制批判に執念をもって取り組まれた故土肥先生の大きな指導力の結果といえるでしょう。しかし、戦後の象徴天皇制下、本来ないはずの天皇の国事行為、政治利用が進んでおり、皇室が政官財の接着剤の働きをしているにもかかわらず、この点の研究が進んでいないこと、また、とくに3.11以降、皇室の働きが活発化していることなど、ソフトなナショナリズムとともに天皇制への世論の支持が高まっている現状について、今後、文献のみに依拠するのではない批判的研究の必要性を提言されました。

 原さんは、土肥ゼミから巣立った研究者の多さにまず言及しながら、TCCの「キリスト教と天皇制」プロジェクトをその土肥先生の研究の真相にふれるものだと評価されました。明確な反天皇制の立場をとらないかぎり、日本人でありクリスチャンであることは天皇制下で市民権を得ることだ、というのが明治以来の日本のキリスト教の現実であることについて、原さんは具体的にアジアの国々における政治と宗教の現実、また「アジアの神学」との比較から指摘されました。アニミズムなどとの複合的なシンドロームとしての日本の天皇制を研究するには、演繹法ではなく帰納法によるべきだということで、例えば、アイヌや在日にとっての天皇制とは何かを知ることでキリスト教のあり方を考えることができると提言されました。

 その後の発題で、日本ホーリネス教団の上中さんは、「教派」の意識と天皇観について、重要な指摘をされました。身内の間では教派意識が強いにもかかわらず、教会をめぐる課題の中では教派の独自性は取り上げにくく、天皇観も同じであること、かつて感情的な差異をもったまま天皇制下で合同したことで、安心感と引き替えに何を捨てたのかについて、自己の立ち位置を確認すべきだという指摘です。
 日本バプテスト同盟の松岡さんは、政教分離の教義をもつバプテスト派は戦前、傍流だったにもかかわらず、神社問題で迎合し、信仰よりも組織を守ったこと、また敗戦後、宣教師がGHQに天皇制の維持を進言したが、その研究がない点を指摘されました。天皇と神道の関係性は、今回、被災地で海に向かって黙祷する天皇の映像にも現れているが、神道指令には国家神道と神社神道の区別がないことをキリスト教は知るべきだということです。
 鈴木さんは、TCCが最初に天皇制の学際的研究会を始めた意図と思い出をまず話されました。そして、戦前天皇制研究の継続として、戦後の靖国闘争、中谷裁判、人権闘争を位置づけながら、研究会の設立意図であった第一戒が日本のキリスト教界では不十分だと指摘されました。この点については、パネリスト間でも多様な意見がでました。

 フロアとの質疑では、震災での仏僧との合同追悼の問題点、若者の天皇制への無関心、新自由主義と合体した天皇制の現実などの意見が出されました。  全体討議の後、土肥敦子さんを囲んで土肥先生を記念するレセプションが行われました。関係者の皆さまに感謝いたします。

(やました あきこ・TCC運営委員)




報復ではなく愛を、命をともに生きるために 山上国際学寮 公開文化講演会と国際交流プログラム報告

岡田 仁

 山上国際学寮の活動をいつもお支え下さり、心より感謝を申し上げます。  当学寮は、様々な国の学生や研究者が集まり、共同生活のなかで種々の違いを楽しみつつこれからの世界に役立つであろうとの願いをもって2009年に建てられました。3.11の大震災と原発事故、9.11から十年を覚えて企画した夏と秋の集会を報告いたします。

○被爆者の体験を聴く集い 8月21日(日)
 二回目の今年は、12歳の時に長崎で、爆心地から約5キロの地点で被爆された木場耕平さん(東京都原爆被害者団体協議会役員)に来ていただきました。1945年当時の長崎の市街図をもとに生々しい体験を証言下さいました。自宅は爆心地から100メートル。当時の長崎は、三菱兵器工場など多くの軍事工場が浦上川沿いに並んでおり、木場さんは陣地構築のために徴用されていました。8月9日は体調不良で「作業を休みたい」と言う木場さんをお母さんが諌めたそうです。もしあのまま欠勤していたら助からなかったでしょうとの言葉が印象に残っています。マグネシウムを焚いたような光がいきなり目の前を走ったこと、腹の底から突き上げるような「ドーン」という爆発音。自宅周辺では近所の人たちが黒焦げの状態で亡くなっていた。目の前でたくさんの死体が燃やされるのを見て、死に対する感覚が麻痺していったと言います。「これ以上ヒバクシャを出さないで」。核の廃絶を力強く訴えられたお姿を忘れることが出来ません。

○第3回市民公開文化講演会
   「9.11からの考察〜殉教者、被害者、英雄たちから問う自己犠牲」 9月19日(月)
 講師のネイサン・ブラウネル宣教師は、小学生の時にヒロシマを知ったことで日本への宣教の使命を持たれた方です。神学校卒業後、ニューヨーク・コロンビア病院でチャプレンの訓練を受けられた後、97年よりマンハッタン日米合同教会で奉仕されました。9.11事件当時、グラウンドゼロで救助活動の奉仕をされ、ご自身も危うく命を落とすところだったといいます。ハイジャックされた4機の航空機内の攻防や地上での活動報告から危険を省みず勇敢に立ち上がった人や、救助を試みた人が大勢いたことを改めて知りました。人間が暴力を続け、尊い命を塵へ変えようとする。私たちは一人でも多く、塵の中から助け出すべきではないか。9.11の出来事から死と命、自己犠牲の是と否の問いを今の私たちの日常生活に関連付けて考える必要を思わされます。「何のために、誰のためにこの命は生きる価値があるのだろうか」。このエリ・ヴィーゼル(ホロコースト生存者)の問いは、暴力や報復、戦争の代わりに相互理解と平和希求の道へと私たちを促します。封印していた辛い体験を証言し、重大な問いを投げかけて下さった先生に深く感謝いたします。

○世界音楽としての琵琶楽〜平家琵琶と薩摩琵琶を例として 10月15日(土)
 昨年も台風のさなかに駆けつけて下った講師の「城月舟」ことジョージ・ギッシュ先生(青山学院大学名誉教授)は、米国メソジスト教会宣教師として五十数年間名古屋と東京の教会と大学に奉職され、日本文化史がご専門です。今もNCCJなど各方面でご活躍されています。琵琶音楽の歴史をひも解くと、世界の民族、宗教、文化等と深く関わる日本文化の歴史が映し出されてきます。東西交易によって形成されたシルクロードの文化や仏教、キリシタン文化伝来を通して今の琵琶楽を考察する大変ユニークな講義でした。その後、薩摩琵琶の弾法「仙平さん」「崩」、平家琵琶の「小原御幸」「那須与一」を目の前で演奏して下さいました。特に最後の薩摩琵琶歌「迷悟もどき」は圧巻でした。「今世の中に、腹は立つとも言葉は残せ、言葉少なく淳直(すなお)にして、濁る心を澄みやかに持ち、何れ人には情けあれ、情けは人のためならず、廻り廻りて小車の、後は我が身のためとなる、…憎まるる人には、尚もよくしなへみよ、後には深き友達となる」。まさに和解と平和が歌われているのだと思い、その小節をきかせた美しい歌声に、留学生たち参加者一同感動しました。

 11月の定例ミーティングでは二人の寮生から研究報告と出身国の歴史や文化について発表を聞きます。12月には恒例のクリスマス会、年明けには「書初め」「筝曲体験」などを計画しています。4月からの入寮生(日本人学生含む)も新たに募集しております。今後ともお祈りとお支えを宜しくお願い申し上げます。

(おかだひとし・山上国際学寮所長)




ドイツから直行便で K

 「「ユーロ危機拡大の不安のなかで」 ―欧州連合の存続と自由の大問題―

相賀 昇

 昨年の5月以来、巨額の財政赤字や累積債務を抱えるギリシャに端を発したユーロ危機は、アイルランド、ポルトガルへと危機が拡大した。ドイツのメルケル首相とフランスのサルコジ大統領が連日のようにメディアに登場して「両国は銀行の資本増強のために必要な措置をとる」とユーロ体制の死守を強調しているが、依然として危機の連鎖のリスクは消えていない。 先月、ベルリンの福音主義報道局(epd)が「2011年ドイツ人の不安」を紹介していた。これは今年の6月と7月はじめ、ドイツの大手保険会社R+Vによってドイツ連邦全域にわたって16歳以上の2500人を対象になされた新しい調査だが、それによると、今年ドイツ人に不安をもたらしたトップは、はたせるかなユーロ債務危機であった。ドイツ人のほぼ70%が欧州連合加盟国の債務危機によって納税負担が増すことを恐れている。そしてこの危機によって国民の実に60%がユーロ通貨体制は崩壊するのではないかと見ているという。因みに不安リストの第2位と第3位の対象となったのは、自然災害(60%)と老齢期に要介護者となること(55%)であった。

 このような状況にあって、ボンのドイツ・カトリック中央委員会のアロイス・グリュック議長はパッサウ新報に「問題はただユーロのみに留まらず、もしわれわれが債務問題を解決できなければ、ヨーロッパ連合の崩壊という危険性を現実に感じている。それは生存に関わる問題である」と発言した。そして残念ながら過去にキリスト教会がヨーロッパの将来の問題について十分議論に関わってこなかったことを認めつつ、「キリスト教の社会倫理の互助性の原則と連邦主義をひとつのよき手引きとして行くべきである。世界の様々な権力が変遷するなかにあって、ヨーロッパ共同体によって強固に培われてきた宗教の自由、人権、そして正義といった価値が代表されなければならない」と主張した。

 確かにこれまで欧州連合においては、異なる文化、歴史、言語が共存する多様性、多国間の違いを克服するなかで、例えば温室効果ガス削減などヨーロッパのルールが世界の標準になってきたという事実がある。さらにドイツの土壌では、2022年までに国内17基の原子力発電所をすべて廃止し、再生可能エネルギーに切り替える「エネルギー変革」が推進されている。それはあらゆる対立する議論にもかかわらず、正しい方向への根本的な一歩を踏み出したと思われる。なぜならドイツが自然エネルギーで成功してよい例を示せれば、新しい経済、産業モデルを見せることができ、他国もそれを採り入れるだろうからである。 したがってそのようなコンセンサスは、なによりも将来への新たな希望を呼び覚ますものとして評価されるべきであろう。

 ドイツ・プロテスタント教会評議会のシュナイダー議長は、去る6月のベルリン講演でやはりユーロ問題に言及、「本質的には無秩序な金融市場が危機を促進させている。金融市場の規制はまた『自由の保障』のためにもなされるべきで、お金の貸し付けによって負債者の生活の自由が失われることは許されない」と政治の対応を批判した。そして責任ある自由とは常に冒険であって、それは単に自由を夢見るのではなく、あらゆる曖昧さや危険とともに失敗を犯しながら、自由を生きることが肝要であるとして、特にキリスト教の自由の観点からこの問題に切り込んだ。そして次のボンヘッファーの獄中詩「自由への途上にあるいくつかの宿駅」を引用した。「心の欲するままをというのでなく、正義を行ない、〔そのために〕危険を冒すこと。ありうることをあれこれ考えて揺れ動かず、現実のことを大胆にとらえること。思想の逃避の中にではなく、ただ行為の中にだけ自由はある。小心翼々たるためらいから、出来事の嵐の中に踏み出せ、ただ神の戒めとお前の信仰に支えられて。そうすれば、自由は歓呼しつつお前の霊を迎えるであろう」(村上伸訳『獄中書簡集』426頁)。いずれにしてもユーロ危機は今、ヨーロッパ連合の存続と自由に関わる大問題として立ちはだかっている。

(あいがのぼる・日本キリスト教団田園都筑教会 牧師)




ひと・ひと・ひとS
志方光代さん、片山洋子さん、岡田やす子さん

   今回は、富坂キリスト教センターと山上国際学寮の事務室からのご紹介です。  志方光代さんは、かつて早稲田大学留学生寮「富坂国際の家」時代に副所長として、また旧富坂センター経理担当者として長年その重責を果たされました。「国際の家」の名のとおり、富坂の小さな国際社会の中で多くの外国人学生たちと出会い、とても充実した日々だったと述懐されます。退職された今は特任主事として週三回出勤、財団各事業の経理補助と会計・事務全般のパソコン記録を担当下さっています。80年代から勤めておられるので、センター関係のことは殆ど何もかもご存知。総主事の「生き字引」です。

 非常勤事務主事の片山洋子さんは、図書館司書の有資格者として3年前から週二日当財団の公益関係書類の準備を手伝い、今はセンターの蔵書整理と管理(一部京都別当町宿舎に保管)、富坂募金の事務処理、又、他の主事の担当業務を越えた協力を得て『富坂便り』やHPの事務作業を担当されています。蔵書が研究員や寮生だけでなく将来は外部にも活用されるよう作業を進め、財団、センターの過去の書類の保存にも尽力されています。

 岡田やす子さんは、昨夏から事務主事(寮長)として留学生の入退寮業務、諸費処理、ゲストルーム入退室管理などを担当しています。このセンターには外観からは想像できないほど沢山の人が共同生活をしています。他に見られない研究、研修、図書、学寮を兼ねたユニークな施設で、相手が人ということで対応の難しさもありますが、多くの出会いを日々与えられているとのことです。こういった主事のサポートがあってセンターと学寮の日常の働きが可能となっています。

 公開文化プログラムなどの企画もありますので、いちど是非センターにいらして下さい。職員一同心より歓迎いたします。 

(「富坂だより」編集委員会)




編集後記

「この法人は、キリスト教精神に基づいた社会事業を行い、人材の育成や日本国及び東アジア地域における平和な市民社会の構築と発展に寄与することを目的とする。」これは当財団の新しい定款に記された当財団の新しい「ミッション」です。

 さて欧州の歴史ある小さな国が、再び深刻な経済的危機を迎えました。報道で知る限り、その国の市民達に、危機感を共有し一致して経済復興に取り組む様子が全くない様子が、私にはもっと危機的に感じました。一方でそのごく近く中東ではアラブの春以降、強権な独裁政権が次々に下から崩れ去りました。勇敢な民衆達が一致して蜂起し、それは隣国から隣国へと飛び火して行きました。世情はまだ混沌としているようですが、厳しい状況の中でも希望を頂いて新しい社会を築こうとする様子が伝わってきました。

 また大地震・大津波・原発事故等による被災者の方々の痛みは、阪神淡路大震災の時と同様、日本国じゅうの痛みとなりました。復興までは未だほど遠い道のりですが、阪神淡路の時以上に、地域・職域・市民活動・宗教他様々な種類のグループ単位での一致結束によって多様な角度からの復興支援が展開されています。

 当財団も公益認定申請の最中ですが、今、「この国」、におかれた団体として、先の様々な人々、団体、機関等(それは国内外を問わず)と多様な一致・協力関係を築き、与えられたミッションの実現のため、その時その時にふさわしい活動を積極的に推進してまいりたいと願っています。

(「富坂だより」編集委員会)


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