『富坂だより』 29号
 2012年6月

特集:「新しいぶどう酒は新しい革袋に 〜公益法人の真の使命に立って」

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  巻頭言
「時に適った公益活動」  
当財団評議員 秋山 眞兄

 富坂キリスト教センター(TCC)が所属している基督教イースト・エイジャ・ミッションが公益法人として正式に認可され、国際学生寮、児童ディサービス、宗教学際研究などの公益事業を推進している。

 「公益とは何か」についてはいろいろ意見があるだろうし、きちんと定義するのは難しいと思う。行政サイドで考える「公益」と民衆レベルで考える「公益」は、場合によって対立する可能性が十分あるし、事実多くの対立がなされてきた。

 TCCがこれまで積み重ねてきたキリスト教に基づく社会倫理に関する研究・出版活動も、公益法人法に挙げられている23事業項目の幾つかに合致しているので、今後もこれまでの歴史・伝統を踏まえつつ、新しい思いと発想で更なる充実を期待して止まない。その際、3・11の事態に対してどうするかが重要であるだろう。

 私事で申し訳ないが、この1年、岩手・宮城・福島の被災地へ延べ10回余り訪問し、様ざまな人から話を聞くことが出来た。なかでも放射能被曝の只中で暮らさざるを得ない人々、特に子ども、農民が直面している事態は極めて深刻であり、被災者が日々の暮らしの中で求めている支援協力と、その思いを傾聴することは大切である。

 同時に、そこから少し距離をおいて3・11の事態を捉え、3・11以降の社会はどうあるべきかを考察し、為政者に対してはもとより、広く提言・行動をしていく責任が、直接の被災地ではない処で暮らす私たちにあると思わされている。

 特に預言者的使命を託されていたはずの信仰者、教会、キリスト教組織は、これまでの在りかたが根底的に問われており、このことを積極的に担うことが求められていると思う。

 TCCでは、そのためのプロジェクト計画を検討しているということであるので、それを具体的に発足させて進めてもらいたいと願ってやまない。それは、時に適った公益活動となるだろう。

(あきやま なおえ/当財団評議員)




 
4月27日公開講演会報告 「災害における社会的弱者と教会はどうより添うか」 〜「添うこと」と「繋がる」こと〜
菊地 純子

日本キリスト教協議会(NCC)の委員会の一つであるドイツ教会関係委員会は、来年2月に10年に一度の日独教会協議会を開催する準備中です。今回の特徴は、教会再生の可能性への緊急課題を社会的弱者を礼拝の群れへ招いていくことにみていることが一つ。もう一つは数年の願いであった、ドイツのみならずスイスのドイツ語圏の教会との交流も計画していることです。当初「社会的弱者」とは目下進行している地球規模化した世界で所謂先進諸国に住む外国からの移住者のことを中心に考えておりました。その準備の最中に東日本大震災が起こり、そして突然「社会的弱者」になった方々と出会ったのです。

 少なからぬドイツの人々が福島の原発の事柄を自分達の事柄として敏感で深い関心を寄せています。私たちはその意志を、ドイツプロテスタント教会を通して受け取りました。具体的には、ドイツの教会に寄せられた「寄り添いたい」「繋がりたい」との献金が、キリスト教会あるいはキリスト教系の組織の企画ではなく、福島の方々による再生への企画に充てられるよう努力しました。被害の先頭に立つ方々が、被災された状況の中で一歩一歩進もうとされて企画されたのは、放射線を正確に計り、福島で生きていく方向を模索することでした。それは今までの生活を取り戻そうとするだけではなく、「新しい良心」が生まれることを願う営みでもあります。

 富坂キリスト教センターとご一緒に、テーマ「災害における社会的弱者と教会はどう寄り添うか」の講演会第一回目として、今回は現地からの報告をお聞きしました。最初は武藤類子さんからです。彼女は福島の養護学校の教師を経て、「廃炉福島原発40年」という催しを準備中に震災の被害者になりました。その気負いも飾り気もない真摯な訴えは東京での「9.19さようなら原発集会」で大きな感動をよび、インターネットを通じて広がり、今年の1月には「福島からあなたへ」という本になりました。当日も、原発は人と人との関係を裂くこと、原発労働者の状況を含めて差別の構造の上にある発電方法であること、その具体例を淡々と話されました。

 次ぎにお聞きしたのは、在日大韓基督教会・在日韓国人問題研究所(通称RAIK)所長の佐藤信行さんで、ご自分の足で集めた詳しいデータを示しながら、被災地の在日外国人の現状と取り組みを報告されました。大きく分類すると戦前からの在日朝鮮・韓国人、「研修生」として水産加工場や農家で働いていた人、日本人と結婚した妻。知識労働者が可視化されたのとは異なり、彼らの現状は不明で、死者、行方不明者の数さえ不明とのことでした。彼らは日常会話は日本語でできるが、緊急時の連絡、漢字による張り紙を理解出来る人は少ないのです。緊急支援に忙殺された一年が過ぎ、今後は展望をもった協同課題を確認し合っていく時であり、日本人と外国人の新しい関わりで支えられる地域社会を形成するためにここ1、2年が正念場ではないかとの判断を示されました。それなのに、海外の献金により資金は恵まれたが、圧倒的に現場の「協同者」が少ない現状を報告されました。

 大震災以降、私たちは「何が起こったのか」「何が起こっているのか」「これからどうしていくのか」言葉を探し続けています。政府、自治体行政の責任者は次々と言葉を発し、政策を打ち出し、思想的リーダー達、キリスト教を含めた宗教界の人たちもこの一年に多くの問題提起をしています。 2011.3.11が私たちに明らかにしたのは近代日本、明治以降の国作りのありようだった、また宣教のありようだったといえるでしょう。今立ち止まり方向転換=悔い改める時が与えられました。@被災した方々の人としての尊厳を保つ、A特定の地域、人に犠牲を強いる文明を斥けていく議論と意志決定、B情報を自ら集め、自ら判断する良心を育てる。

 私たちは このいずれをも聖書から「今、ここで」示された課題として受け止めることに 日本での宣教の再生への道筋を見ています。何よりも創造の神、世を保たれる神、創造を完成される神を、自らに、そしてこの国の人々に証しすることが問われているのではないでしょうか。秋にはまた第二回目の講演会・協議会を持ち、ご一緒に考え続けたいと思います。

(きくち じゅんこ NCCドイツ教会関係委員会委員長)






出会いによって自分を変えられ 〜池明観先生講演「東アジア史と日韓関係」〜

東海林 勤


 5月4日東京・信濃町教会で、池明観先生の講演会を開催した。先生はご夫人と共々ご子息在住のアメリカに永住されることになり、恐らくこれが最後の来日となるので、改めて日本の友人たちへのメッセージをいただくことした。参加者は予想をはるか越えたので会場を礼拝堂に移した。かつて韓国民主化闘争に連帯した人々と先生の教え子等、220余名。開会が遅れたので司会者(筆者)は挨拶を省き、ただ先生が富坂キリスト教センター(講演会の主催者)の『日韓キリスト教関係史資料』(現在第V巻編纂中)でも大切な働きをされたことを紹介して、すぐ講演に入っていただいた。88歳の先生が、1時間半立ったまま、淀みなく、じゅんじゅんと語られた。聴衆は先生のお人柄も伝わって温かい、明るい空気に包まれた。

 池先生は1965年に初めて来日。信濃町教会で森岡巌、小川圭治、井上良雄などの先生に会われ、この出会いが後の日韓関係への関わりの始まりとなった。先生は人あるいは民族と出会うと自分をとらえ直し、自分が変えられ、その中で自分の課題を把握し、発展させるという生き方をされた。それは個性のちがう人と民族を優劣で測らず、相違を相互の豊かさと捉えて尊重し合うことであって、これが和解と協力の道であると説く。この道を以下のように体現された。

@1972年来日の際に、韓国では戦後、南北間の戦争と対立ばかりが続いたが、日本は戦後国民が平和建設に力を合わせてきたことを目のあたりにして衝撃を受け、自分はイデオロギーの対立を超えて統一を目指そう、きっと統一の日は来る、という使命感と希望を抱くようになった。

A隅谷三喜男教授を通して東大で政治思想史の研究を始めたが、翌年金大中氏拉致事件が起こり、すでにTK生の名で「韓国からの通信」を『世界』に出し始めていた先生は、小川教授らの勧めで東京女子大の客員教授として日本に留まることにし、WCCにも支えられた。(のちに隅谷学長時代に正教授)。 Bその間日本の教会を通して日本社会も韓国民主化を支援し、歴史上初めて日韓の市民連帯が生まれ、世界の教会の連帯にも発展し、国際政治をも動かすようになった。

C安江良介さんの熱い信頼と友情により『世界』にTK生として、森岡さんの友情と信仰に支えられて『福音と世界』には実名で、韓国の闘いを伝えるうちに、自分が変えられ、日本の視野だけでなく世界の視野で自国を問うようになり、歴史のモデルとしての「唐の平和」(唐、新羅、大和〜平安朝の交流)の再現を目指す。しかし朝鮮と日本ではエートスが違うので、朝鮮は朱子学に基づく道徳国家として平和の道を歩もうとしたが、日本の壬辰倭乱に遭い、のち清の丙子胡乱にも悩まされた。こうして東アジアは対立と戦争が続くが、朝鮮では平和論が続き、3・1独立宣言に結実した。この宣言文は「威力の時代去りて、道義の時代到来せり」と言い、日本は邪道を脱して東洋の平和支持者としての重責を全うせよと呼びかけた。しかし解放後は冷戦下で南北線武装、朝鮮戦争、そして今も北のミサイル発射へと続く。

Dしかし日韓関係も変わった。今日日中韓は競争しながら協力し合う。しかも政治力は弱まり、市民の力で牽制できるようになったが、その市民も脱力化し、退廃している。この時もう一度民主化闘争時代の牽引力を回復したい。それは「理念によって生きる知識人」でなく「理念のために生きる知識人」の回復にかかっている。知識人は知的・道徳的・信仰的優位に立ってほしい。かつてのような日本の繁栄はモデルにならない。今後は和解と協力の時代を作れ。教会は行動的少数派と行動できず涙し祈る多数者が共に歩め。知識人も独善を自戒せよ。

 応答1 和田春樹東京大学名誉教授――TK生の「韓国からの通信」は国際連帯の中核となったが、そこで生まれた「和解と協力」同様私も「東アジア共同の家」構想を得た。今日3・11に直面して改めて問われていることは、8・15以後未解決のまま残してきたことに全力で取り組み、日本を根本的に変えることである。

 応答2 飯島信前NCC総幹事――アジアでわれわれが「謝罪する」というと、それは分かった。それをどう行動に現わすか、と問われる。大切なのは行動である。

 司会者 最後に――池先生の唯一の警告「東アジアを忘れ、欧米ばかり見ていると、歴史のネメシス(復讐)を受ける」を取り上げ、「私は今日日本に歴史の復讐が迫っているように思えてならない」と原発問題を念頭に於いて発言した。  もう一つ記せば、池先生が自己正当化を戒められた言葉を慎んで承った。 結び ― 池明観先生は日本人を心底愛された。そこに私たちは赦しを見いだしたので、今も続く歴史の罪責を見つめて責任を取る勇気を得た。東アジアの平和を目指して連帯したい。

(しょうじ つとむ/当財団評議員、日韓キリスト教関係史研究会座長)




 2009年4月にスタートした山上国際学寮も4年目を迎えました。おかげさまで、この3年で留学生と研究者(日本人も含む)のべ80名を受け入れることができました。皆様のお祈りとたくさんのお支えを心より感謝致します。なかには最初の一年を留学生として過ごした後、東京大学研究員として学寮に戻られたダビッドさん(富坂だより前号)、震災で当学寮からカナダの大学に戻り、北海道の大学に研究者として就職された川島さん、今夏からハーバード大学に留学される李さんなど、退寮されたあと各方面で活躍をされる方や一旦帰国してその後研究や仕事で来日し、ゲストとして当学寮を利用される方も多くおられます。
 研鑽を積みながら、相互の理解を深められる国際学生寮としてこれからもより多くの方々に用いていただければと願います。今夏から半分ほど部屋が空きますので、どなたかご紹介いただけますと幸いです。

(山上国際学寮所長・総主事 岡田 仁)


「山上国際学寮での生活」

元寮生 スザンネ・アウアバッハ(ドイツ出身)


 日本の短期留学のための宿舎を探していたとき、山上国際学寮で生活をしていた友人からここを紹介されました。最初の問い合わせやそれに対する応答も素早く親切でした。空港から学寮までの交通案内、学寮周辺の生活環境といった重要な情報もすぐに教えてもらいました。長旅の後の準備をする上でとても快適でした。

 山上国際学寮の利点は、都心(文京区)に立地していることです。交通の便も言うことなし。20分も歩けばJRや地下鉄の駅に、また30分でいくつかの大学や賑やかな市街地に行けます。日常の必需品など様々な買い物もでき、種類も豊富です。たまの夕方には気分転換にレストランや居酒屋に出かけ、日本食も楽しめます。料理好きな人は、学寮に共用キッチンが完備されているのでいつでも自炊ができます。キッチンには必要なものが全て揃っていて、同時に数名の寮生たちが利用できる広さです。そこでよく会話もはずみ、他の学生や研究者と知り合うことも可能です。ダブル部屋の寮生もそこに寄って、時事的な刊行物、新聞(英字、和文)を毎日読むことができるので、このような素晴らしいサービスは今後も続けて欲しいと思います。短期で過ごす場合も、必要なものは各部屋に完備されています。共用風呂・トイレは快適な状態がいつも保たれ、定期的な清掃(全館)もじつに行き届いていました。

 何か問題があれば、いつでも学寮事務室に問い合わせて気軽に相談もでき、素早くて温かい配慮を誰もが受けられます。特に岡田寮長は、寮生活が順調かどうかを各自に尋ね、たまの些細な出来事にも家庭的な雰囲気で対処してくれます。ただ、ネット回線の集中による不具合に時々困りました。今後、パスワードの改善などがなされればよいと思います。

 館内での普段の出会いだけでなく、それとは別に相互に知り合い話し合うための公開プログラム活動、とくに市民文化講演会や名所を散策する小旅行などがここでは開催されています。とりわけ長崎で被爆された方の証言は私の心をつき動かし、現実に起こっている多くの出来事を別の視点で再度考える機会となりました。なかでも、学寮近くの寺院施設(伝通院、湯島界隈など)見学や「おりがみ会館」訪問は大変楽しかったです。この日帰り旅行はよく準備されていて、親切な案内者(齊藤佐智子さん)による多くの興味深い情報やお茶、食事休憩のプログラムにも満足しています。留学生の皆さん、特に初めて東京で生活する方にはこういったプログラムの参加をお勧めします。

 非常に快適な雰囲気、充実した研究の日々、世界各地から集まるユニークな仲間たちとの出会い、意見交換など、この寮での生活はとても素晴らしいものでした。

 




『児童発達支援事業「富坂子どもの家」2年目を迎えて』
「富坂子どもの家」職員 勝間田 万喜

 富坂子どもの家は、2010年12月に、「神のミッションとしての事業」としてスタートいたしました。「神に召され、神に仕え、人に仕え、地域に仕える事業」というスイスの宣教師の130年前からの精神を基盤に持つ「児童発達支援事業」です。就学前の発達に何らかの気がかりがあるお子さんの個別療育・小集団(グループ)療育をキリスト教精神と、モンテッソーリ教育法の環境の中で行っています。2012年に法改正があり障害者自立支援法の枠組みから児童福祉法の枠組みに戻り事業所名も「児童デイサービスT型」から「児童発達支援事業」になりました。

 富坂だより28号に書かせていただいたように、2011年の4月に初めてお子さんの利用があり1年を経過しながらだんだんと利用が増えてきました。緑美しい新学期の今は、子どもたちが保育室や園庭で元気にのびのびと遊びにぎやかな日々が日常となりスタッフ一同忙しくもやりがいのある日々を過ごしています。そこで今回は、2011年度と、新年度を迎えての富坂子どもの家の活動報告をさせていただきます。

 2011年度は、まずは、富坂子どもの家の療育のハード・ソフト面での基盤つくりをしました。小規模の事業所の強みを活かして、小さなことでも、話し合いをしながら決定、実行していく事を大切にしてきました。年度の後半にはお子さんも増え、グループ療育も子どもが子どもの中で学び合い、育ち合うことも可能になりました。また、子どもを就学後もずっと育てていく保護者への支援、寄り添うことの重要性も、日々子どもたちと関わり、保護者の方々と接している中で実感しました。年度の後半からは心して保護者とタイムリーに面談し、保護者が「自分で主体的に考え、選び、決定する」ことが可能になることを目指しました。個別療育やグループ療育では、専門スタッフによる発達検査や言語評価も行い、個別支援計画に基づく実践を行えるよう、自己活動の時間を充実させるべく試行錯誤しながら行っています。

 都会では貴重な緑あふれる園庭では四季子どもたちが遊び、夏は育てたゴーヤ、秋は落ち葉で遊び、冬は雪や氷と自然の実体験をしています。先日は保護者の方々が園庭の野生の蕗を収穫したり、花を摘んで、「癒されますね」とのんびりされており、先人たちが残してくださった環境に感謝しています。

 日常生活の積み重ねを大切にしている子どもの家ですので、行事も多くありません。

 その中で昨年度「親子クリスマス礼拝・祝い会」を行いました。同じ敷地内の日本キリスト教団上富坂教会のご協力を得て、教会堂で岡田仁総主事司式のうちに、利用児・保護者・スタッフがともに礼拝の時を持てました。親の隣で穏やかに礼拝の雰囲気を感じ取る子どもたちの姿に財団のミッションの意味を感じました。

 2012年度は、保護者のニーズにお応えすべく、グループ療育の日を3日から4日に増やし、月から金まで毎日通って来られる体制を作りました。法改正に伴い関連機関との連携もより密になってくることでしょう。子どもの家を母集団として通う子供たちと、幼稚園と併用する子供たちのニーズを見極めていくことが求められます。定員50人の小さな事業所ですが、小さいからこそできる丁寧な療育・保護者支援を実践したいと思います。

子どもたちひとりひとりが子どもの家に来るのが楽しみでいてくれ、家庭からの「いつの間にか食卓に自分の椅子をみずから運んできたり、こぼしたお茶を自分で台拭きでふいていた」などの子どもの家で獲得した生活力が家庭でも活かせそれをともに喜び合うという小さなエピソードをたくさん蓄えていけるような場でありたいと思います。

やがてさらに地域に開かれた事業が展開できるように「富坂子どもの家」の礎を確かなものにする時期と感じております。

(かつまた まき/富坂子どもの家 児童発達支援管理責任者)




岡田 仁

 富坂キリスト教センターの歴史は19世紀後半のドイツ・スイス東亜伝道会の結成に遡ります。教会、神学校、幼稚園、学生寮、セミナーハウスなどの働きと共に、1982年から研究と研修を中心とするセンター活動を開始しました。このセンターの取り組みが、先般、財団基督教イースト・エイジャ・ミッションの一つの公益事業(「思想及び良心の自由、信教の自由又は表現の自由の尊重」等の要件を充足する公益事業)として正式に認定されました。皆様のお祈りとお支えを心より感謝申し上げます。センターでは、今後も調査、資料収集、セミナーなど研究、研修会活動を継承し、さらに展開していく所存です。  不特定多数の人が享受するべき思想、信条の自由並びに人権の尊重を保障しうる社会制度とは何か。不当な差別を温存させ助長する要因が社会にあるとすればそれは何か。震災によって今なお不安を抱えている広範な地域、沖縄など不当な立場に置かれている人々の苦悩を見聞きする中で、大多数のために犠牲になってよい命は一つもないことを改めて示されたと同時に自身の立ち位置を厳しく問われた一年でした。  2012年2月には、WCC国際協議会(ドイツ)に招待され、各国の神学者、牧師、ユダヤ教ラビとパレスチナ紛争について話し合いました。私も発題者の一人として「東アジア(特に北朝鮮と沖縄)における神の名による暴力」との題で報告を致しました。ドイツ・ベーテルの社会事業施設やミッション・ディアコニー・センターも訪問し、エキュメニカルな働きを担う多くの方々との出会いを通じて、人的交流やネットワークを広げていくことの大切さを痛感しました。

(おかだ ひとし/総主事)



富坂キリスト教センター 2011年度 事業報告

    T 出版物
  • @『富坂だより』27号を6月に、同誌28号を12月に刊行。
  • A『富坂キリスト教センター紀要』2号、2012年3月23日刊行。
    U 研究会
  • @「日韓キリスト教史資料集第V編」研究会(2007年〜)  東京と京都各部会で協議、編纂作業を継続中。
  • A「社会事業の歴史・理念・実践―ドイツ・ベーテル」研究会(2011年〜) 2011年5月9日、9月30日 、2012年1月16日 センターで開催。
    V 研修会
  • ○富坂キリスト教センター研修会「祈ることと正義を行うこと―沖縄の現状を踏まえて」
    2011年8月29日(月)〜30日(火)富坂キリスト教センター会議室
    講 師:神谷武宏さん、村椿嘉信さん 参加者:10名(沖縄バプテスト連盟、日本バプテスト連盟、日本基督教団) 参加費:5000円
    W 共同討議・レセプション「歴史的検討〈キリスト教と天皇制〉」
  • 2011年10月23日(日)13:30〜18:30、富坂キリスト教センター会議室
     基調報告:片野真佐子さん、原誠さん
     発題:上中栄さん、松岡正樹さん、鈴木正三さん
     参加者:50 名(元研究会メンバーなど)  参加費:無料
    X センター運営委員会 2011年4月29日、2012年1月23日に開催。
2012年度 事業計画
    T 出版 
  • @ 『日韓キリスト教関係史資料集第V編』2013年3月
  • A 『富坂キリスト教センター紀要』3号、2013 年3 月
  • B 『富坂だより』29 号、30 号
    U 研究会
  • @「日韓キリスト教史資料集第V編」研究会 継続(2013年3月で終了)
  • A「社会事業の歴史・理念・実践―ドイツ・ベーテル」研究会 継続
  • B第1回キリスト教と社会制度を考える公開セミナー(済)
    「災害における社会的弱者と教会はどう寄り添うのか?」(福島の現状に学ぶ)
    2012年4月27日(日)19時〜21時 、富坂キリスト教センター会議室
    講師:武藤 類子さん、佐藤 信行さん、司会:菊地純子さん(NCCドイツ委員会)
    NCCドイツ委員会・富坂キリスト教センター主催、新教出版社共催。 参加者:44名、参加費:無料
  • C池明観先生講演会「東アジア史と日韓関係」(済)
    2012年5月4日(金)14時〜17時、日本基督教団信濃町教会礼拝堂
    応答:和田春樹さん、飯島信さん、司会:東海林勤さん
    参加者:220名、参加費(資料代含む):1000円
  • D第2回キリスト教と社会制度を考える公開セミナー
     2012年10月6日(土) 講師:高橋哲哉さん 開催予定
  • E新規「脱原発依存社会と未来世代への責任」研究会(準備中)
    V 指導者養成講座「沖縄宣教研究所と富坂センターの共同研修会」
      2012年度中に最初の共同研修を開催予定。
    W センター運営委員会 2012年4月30日、10月22日、2013年1月に開催予定
  ※『センター紀要』2号が今年3月末に刊行されました。詳細は、ホームページをご覧ください。
     www.tomisaka.jp
    




ドイツから直行便で L

 党派を超えた市民派大統領が誕生」 〜 ガウクさんへの共感と期待のなかで 〜

相賀 昇

   去る3月18日(日)、ヨアヒム・ガウクさん(72歳)がベルリンにて第11代ドイツ連邦共和国大統領に選ばれた。最初の投票で1228票中991票の有効票を獲得、大方の予想通りの結果となった。ガウクさんは旧東ドイツ時代、バルト海沿岸の港湾都市ロストックでプロテスタント教会の牧師だったこともあり、事実「牧師から大統領へ」という見出しも躍っていた。だが牧師職にありながら長年にわたって自由のため旧東独政府に批判的な市民運動を展開、さらに統一後はシュタージ(秘密警察)文書を分析・管理・公開する通称「ガウク機関」と呼ばれる初代局長として過去の和解と克服に努めるなど、その波乱の人生と無党派の市民としての生き方こそが、党派を超えた深い共感と大きな期待となってこの日現れたと言うべきだろう。

 ガウクさんはその日、20年来のパートナーであるシャットさんを伴っていたが、首相や議長をはじめ押し寄せる議員たちから祝福を受けたあと、大統領として初のスピーチに立った。その第一声は「なんと素晴らしい日曜日でしょう」(Was fu¨r ein scho¨ner Sonntag)というものだった。はからずも22年前の1990年3月18日は、旧東独における最初で最後の人民議会の自由な選挙が行なわれた日だった。ガウクさんは「私は50歳にして初めて自由な選挙への参加を許されました」と語ったが、その忘れえぬ選挙を機に市民団体・新フォーラムから国政へと舞台を移し、牧師としてのキャリアを終えることとなった。つまり「なんと素晴らしい日曜日でしょう」との背後にはあの選挙を可能にした旧東独の平和な変革、労苦の末ようやく手にした民主主義への熱い思いがあったのである。

 ガウクさんはこのスピーチで特に民主主義への参加を訴えつつ「生きた市民社会」のため努めるようこう呼びかけた。「私たちが責任を負う国が私たちの国であり、私たちが責任を回避するとしても、それもまた私たちの国なのです。今日の子供たちに、彼らもまたこの国に対して『自分たちの国』と言える国として託すことができれば、それは価値あることではありませんか」と。  それにしてもこの方が次世代の子供たちに寄せる思いには格別なものがあるに違いない。というのは、1951年6月、当時11歳だったヨアヒム少年の父親は船長の資格を持つ船乗りだったが、突然やってきた二人の男によって根拠のない嫌疑を懸けられ、その場から拉致されてしまったからである。それはスターリン時代にまかり通っていた秘密警察による所業だった。以来1955年10月まで行き先が一切知らされないままシベリアに抑留され、ついに別人のように変わり果てた姿となって戻されたという。ガウクさんは後に「父の悲劇は私たちの教育にとって棍棒(こんぼう)となった」と語っているが、ヨアヒム少年とその二人の兄弟は、家庭にてあのような悲劇をもたらすどのような国家的権力に対しても全く拒否するよう教育されたのだった。

 少年の日の癒しがたい傷を抱え、まさにあの見えざる棍棒にて打ちたたかれながら育ったガウクさんにとって、自由や市民的権利、あるいは民主主義は決して何か天から授かるような自明なものではない。それゆえにたえず独裁制や不自由のメカニズムを解明することが生涯のテーマとなって今日に至っているのだ。そして新大統領はこれからもそのために熱意に溢れる議論を推し進めるに違いない。

 その一方で今、とりわけガウクさんに期待されているのは、前任の大統領二人が任期を全うできずに続けて辞任するという、かつてない事態によって揺らいでいる大統領のポスト自体への信頼回復である。その意味もあってか、ドイツ福音主義教会の評議会議長シュナイダ−牧師は、この大きな期待が重荷にならないようにとの願いを込めて、ガウクさんとご伴侶ダニエラ・シャットさんに次のように書き送った。すなわち「あなた方お二人があらゆる動揺と不安の時にも神のみ言葉に信頼しますように」と。ちなみに同氏には1991年から別居中の妻がおられるが、ガウクさんがほぼ当確を予想される候補となると、シャットさんと正式に結婚すべきだとの声も一部あがったようだ。しかし儀礼のための離婚や結婚ではないとか、長い間連れ添って四人の子どもをもうけた女性への敬意ゆえ、といった説明をもって世論を納得させたように聞いている。いずれにしてもこのあたり、この国のもうひとつ別の自由もまた垣間見た思いがしている。


(あいがのぼる・日本キリスト教団田園都筑教会 牧師)




「新しい革袋」

金子 恒一

 2012年4月1日、財団法人基督教イースト・エイジャ・ミッションより、公益財団法人基督教イースト・エイジャ・ミッションに名称変更し、移行いたしました。何度かこれまでもご案内してまいりましたが、これは先の公益法人制度改革によるもので、言ってみればそれまで全国に約25,000あった財団法人と社団法人は、全て来年11月をもって消滅する!というある意味少し危機的な状況に置かれていた、と申していいかと思います。その一方で全ての財団・社団法人は、新たな公益法人に関わる3つの法律に基づき、全く新しい法人形態への変容を迫られました。それは税制面での優遇等を受ける代わりに事業内容や運営組織について厳しい基準をクリアすることで公益(財団又は社団)法人となるか、あるいはそれら優遇等がなくなる代わりに運営の自由度が増す一般(財団又は社団)法人となるか、このどちらかを選択し新法人として生まれ変わらなければならないというものでした。

 しかしこれはどちらがよりよいかということではありません。もちろん税制面での優遇等は願わしいことですし、それがなければ死活問題にもなるところも多数あったようです。しかし公益認定法の枠に縛られず、一層自由に活動の領域を広げていくことをあえて望む社会起業的な勇敢な団体もありました。本当にあっぱれです。

 大切なのは、各団体がこれからの社会に必要とされながらも見逃されがちな問題にどれだけ真摯に向き合い、そのために一体どのような事業を果敢に進めていくのか、ということに尽きると思います。富坂に限らず、キリスト教精神に基づく団体は「キリスト教ミッション」として社会に向けてどれだけ意義のある、そしてこれまで以上にインパクトのある活動や事業を今後展開し続けていくのかが問われていると思います。

 新しい革袋は頂きました。富坂が精力的に社会の問題を研究しその解決策を提言しているか、あるいは教育や福祉面での国内外の青少年の様々な必要に応えているか、そしてそれが本当に出来ているかという厳しい目線は、地域社会や公益認定委員会からだけでなく、「天」からのものもあると思います。


(かねこ こういち/事務局長・富坂子どもの家 施設長)





編集後記

今年の桜の開花には特別な想いがありました。通勤の帰りにいつも上野公園を横切るのが楽しみですが、一年前は何とも苦々しい想いで桜を見たものでした。花見は自粛とされていたようですが、それ以前にそのような気分に誰もならなかったと思います。ところが今年の桜の開花は本当に賑やかで、早くこの桜前線が北上し、そしてゆっくり東北を彩ってほしいと心から願いました。花の力は大きい、花音痴の私でも思いました。そしてこの花を装ってくださる「お方」の働きは、我々の小さなはかりごと等全く関係なくいつも前に進むものだと、思わされました。  

(「富坂だより」編集委員会)


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